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zoom RSS 大学院博士課程は職業意識(プロフェショナリズム)の植え付けこそ重要では

<<   作成日時 : 2005/12/01 22:08   >>

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 博士課程三年目にもなると、具体的に将来のことを考えたりする。私は基本的にはうかつな人間で、如才ない振る舞いもできないし、今まで専門家として身を立てることこそが最重要だと思ってどちらかと言うとわき目振らずに勉強してきたが、時にはわが身の行く末や、自分の分野ひいては学問全般のこの国での扱われよう、に対して思いをめぐらしたりもする。大学院生問題に関して少し調べたり耳を傾けたりもする。
 ポスドク余ってさあ大変、国家はちゃーんとしましょうね、という議論は近年はあちこちでみられて、まあこの問題に対して関心が深まっているのはありがたい限りなのだけど、ときどき、善意なのだろうけど困った意見というのも見つける。博士課程の大学院生に対して、研究職ばかりにこだわるのではなく在学中にマネジメントの知識なんかも身につけようよ、身につけさせようよ、そうすれば就職の幅も広がるじゃないの、というような提言だ。
 なぜ困るか。いやこういったことをいう人はたいてい理科系のだらしないポスドクのことしか考えていないからほうっておけばいいのかもしれないが、博士課程にいる基本的には覚悟を決めている学生に向かってそう甘いことを言われても、逆に不安になってくるのだ。いったい、われわれの味方のような顔をしている人たちは、本当に味方なのか、と。
 要は、偉い人たちよ、つぶしの利く人間になれ、というのだろう。しかし「つぶしの利く人間になろう」などと考えているのであれば今の世の中では修士課程を終えた時点で就職しているはずだし、博士課程に入ってくるということは理系文系問わず、食えようが食えまいが本格的な専門家を目指す覚悟で修行しているはずである(そうでない人間もいるかもしれないが)。それをあろうことか「マネジメントの知識でも身につければいいのに、博士課程の連中は視野が狭いから困る」とは。一握りのマルチタレントな人間を除いて、マネジメントなるものの知識を身につける暇があるならプロフェッショナルとして一人前になるための修行をするのが先決であろう。
 そんなことばかり言えば落伍者が増えるばかりではないか、第一、研究者として優秀な人間ですら実用的な特技を持たなければ食えない、というのは昔からの通例ではないか、という言い方はわかる。しかしそうした現象は基礎科学や非実践的研究に敬意を払わない風土だからこそ深刻化している、という面も忘れてはならない。精神的風土の改善なくしていたずらに「柔軟性」を説いてみても、大学院生の間に虚無性と投げやりな態度、自分の専門に対する甘えた態度を植えつけるだけで、真に自らの仕事に責任を持てる職業人の育成にはつながらない。これこそが自分のやったことだ、これをやった人間として自分はある、という自信もないままに中途半端にさまざまな分野(多くは目先の「役に立つ」「売れる」分野)に手を出す人間は「専門馬鹿」よりもさらに悲惨な末路をたどるだろう。彼あるいは彼女は結局のところ自らが何者かであるという自己同定を持てないままに終わるからで、こうした人間は経済的に安定しようがどうであろうが結局満足感を得られないのではないか。たとえ食うためにやむをえず身過ぎ世過ぎの仕事を引き受けるときがあるとはいえ、修行時代の最初の数年間には、私見では、精神的にはわき目も振らずに自分の専門に没頭する期間が絶対に必要である。
 日本の大学院に欠けているのは「柔軟性」なんかではない。プロの学者を育てるのだという職業意識=プロフェッショナリズムと、それを学生に植えつけるための教育体制、そしてそれを認める「世間」・社会体制だ。
 この問題は根深いので(実は私の分野では特に)引き続き考えていきたいと思っている。

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