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zoom RSS 大陸国家を理解する

<<   作成日時 : 2005/12/16 20:28   >>

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 中国との関係をどう築くかはますます日本にとって焦眉の課題になっている。東アジア共同体の構想における相違や、靖国問題、領土問題、等々、軋轢と不協和音はいたるところに見られるが、経済面、文化面での交流の活発化はもはや止めようもないし、今後もこの傾向は増大する一方であろう。好むと好まざるとにかかわらず、われわれはこのプライドの高い大国とつきあっていかねばならないし、軍事面でも国際政治の面でもアメリカに頼ることしかやってこなかったがゆえに起こっているさまざまな問題を解消するためにそれは必要なことでもある。
 中国と比べるとまるで日本では注目されていないが、北方の大国、ロシアとの関係も重要だ。日露関係は現在、領土問題の解決がなければ何も進みそうにないというような単細胞で硬直した状態にあるが、この状態は両国にとって望ましいことではなかろう。中東の政治状態が今後長期的に見ても当分好転しなさそうである以上、日本が原油等のエネルギー資源を安定して確保する上では、中東よりずっと政治的には安定しているロシアへの依存度を高めることを検討することは効果ある方策の一つであるように思われる。また、ロシアは凋落したとはいえ依然として核兵器の面でアメリカと互角に張り合える世界で唯一の軍事大国であるという事実も見過ごせない。この事実は中国との関係を考える上でも重要である。すなわち、友好関係を築いているように見えて実は(移民問題などの)軋轢を抱えている中露関係を考慮に入れると、中国の肥大化、強大化をけん制する上でロシアの潜在的軍事力は貴重な切り札になりうる。先日の中露合同軍事演習で明らかになったように、中国の軍事技術はやはりまだまだロシアには到底かなわない。この軍事力によるけん制は、それがうまく用いられれば、日本人の中国への本能的なと言ってもよいほどの恐れを軽減するのに役立つだろう。つまり、ロシアというファクターを加えることで中国の軍事的・経済的脅威なるものにブレーキをかける(少なくともそのように見せかける)ことが容易になる。
 さてこの中国とロシアという二つの大国、かほど日本にとって今後重要となる国であるが、平均的日本人にとって、心理的には相変わらず親しみのもてない恐ろしい対象かもしれない。それは、両国が冷戦体制下で仮想敵国であり、そのように考える素地がいまだに残っていることもある(それにしても中国を指していまさら社会主義国だからどうのこうの言うのは時代錯誤であると思うが)が、根本的な理由としては情報の絶対量の不足と、日本にとって政治や文化の風土がまったく異質であるように思われるからだろう。
 たとえばこの両国に対してしばしば人権無視、法治国家としての体制の不備、国内の不満分子に対する弾圧のひどさ、強権的な情報統制、といった形容詞がかぶせられる。自由がない、民主主義がない、というわけだ。中国に歩み寄ることが民主主義の破壊につながるかのように論じるものもいる。
 日本はそんなに威張れるような民主主義国家かよ、という問題はさておき、こうした紋切り型のイメージからはそろそろ脱して、もう少し虚心に両国を眺めてみてはどうか、と私は述べたい。というのは確かに上に述べたような形容詞は当たっている場合が多く、それ自体は正当であるのだが、そうしてレッテル張りをするだけでそうした政治文化が拠って立つところを考えてみないと、いつまでたっても真の理解や対話が出来ず、成熟した国際的関係は築けないと思うからだ。そもそも民主主義の不足等々を言うこと自体がアメリカを始めとする西欧諸国の口車に乗っているのに過ぎないのであって、日本としてはもう少し、その民主主義のいかがわしさも含めて素直に実態を見てみたほうがよいのではないか。断っておくが、これは中露両国の人権問題や国家体制等を容認せよとか免罪せよという道徳的要求ではない。
 中国とロシアに共通するものは何か。いろいろあるが基本的には両者とも大陸国家である、ということだろう。大陸国家、というのは地政学もしくは軍事学の用語のようだが、私の含意は少しそれとは異なり、要するに広大な領土を有する多民族国家である、という意味で使っている。この両国の領土を合わせれば、詳しく知らないがおそらくユーラシア大陸全体の半分ぐらいの面積を占めるだろうし、そこには何百もの民族が、さまざまな言語・宗教・習慣を保ちながら暮らしている。
 こうした状況はわれわれ日本人にはもっとも理解しにくいのではないか。およそ日本人は、まったく別の言語や習慣を持つ民族と共に彼らの要求も満たしつつ彼らの活力を利用しつつ共存してゆく、ということがどうしようもなく下手くそであるように思われ、現在でもこうした状況に対する想像力を決定的に欠いているように思われる。口先では共存を言ったこともあった。「五族協和」を掲げた満州国がそうである。しかし当時の実態としては、総じて日本人は現地諸民族に対して威張りたいだけ威張って反感を買うだけであり、彼らの言語や文化を尊重しよう、少なくともそのふりはしよう、とか、まして現地人でも有能であれば高位に取り立てよう、といった発想はなかったように思える(この点は私の不勉強もあるかもしれないので間違っていたら教えていただきたいのだが)。この点たとえば、ユダヤ人やグルジア人、ウクライナ人を多数政府高官として、また各種の社会生活における地位の高い人材として、擁していたソ連とは大日本帝国の様相はずいぶん異なる。
 多民族をまとめつつ一つの政治単位としてやっていこうとする国においては、どこにでも起こりうる民族同士の対立・反目、もしくはその根を抑えるために多大な政治的リソースが使用されざるを得ない。それは場合によっては自治区を認めてやることだったり現地語による教育の体制を整えることであろう。20世紀の動乱時代においてロシアと中国で共産主義の理念が最終的に受け入れられたのも、おそらく、共産主義という平等主義的で極めてインターナショナルな理念を言っておいたほうが多民族国家を統治しやすいから、という事情もあったのではないか。しかしここが大陸国家の難しさで、どんなに平等政策を取っているように見えても必ず不満に思う個人や集団は出てくるものであり、陰に陽に対立もしくは反抗は生まれるものである。ここで政治的リソースとして軍事力や警察権力の登場と相成る。反抗を押さえなければ国そのものが分裂してしまうと恐れる中央政府は、時には国際世論に反抗してでも残酷な弾圧策に打って出ざるを得ないと判断する場合が多くなる。
 ロシアでは人々は、強大な権力による自由の制限よりも、権力の空白による混乱状態のほうをむしろ恐れ、強い政府を要求する、とは時々言われることだ。発言の自由を訴える理屈よりも求心力こそが国内の平和と安定につながるという理屈のほうが説得力を持つ風土では、威圧的で非民主的に見える政権しか安定しては存続しにくいであろう。こうした事情を勘案すれば、なぜ中国とロシアで西欧流の民主主義が根付きにくいのかが見えてくるのではないだろうか。両国では民主主義が根付かないゆえに民主主義の経験が薄く、それゆえ民主主義はますます根付きにくくなる、という悪循環がずっと行われており、これを解消するのにはよほどの年月が必要かと思われる。そうした事情を私たちは理解したうえで付き合うべきであり、こちらの価値観によって一方的に断罪するのは建設的ではないだろう。
 中国とロシアはその規模において日本の何倍ものサイズをもつ(領土の広さの話ではなく)国であり、およそ政治に求められるスケールが異なる国である。日本では、日本がまるごと滅びるかもしれないと心配する人は大勢いても、日本が分裂してその過程で多くの血が流れるかもしれない、と本気で心配する人は今やおるまい。しかし中国とロシアではそうした心配は杞憂ではないのである。この点、両国の政治風土を見る上では見逃してはならない。

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