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zoom RSS ロシア/ソ連は「あくなき南下政策」をとっていたか?:藤原正彦『祖国とは国語』を読んで

<<   作成日時 : 2005/12/31 17:11   >>

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 藤原正彦の『祖国とは国語』(新潮文庫)を購入、帰省中の新幹線の中で読んだ。藤原さん、最近『国家の品格』なる本を出してこちらも売れているようだが、いかにも右翼の好みそうなこのタイトルは避けてこちらの文庫本を買った。私は以前からこのアツい数学者が書くもののファンだった。
 本の内容は新聞コラムが中心で、憂国の調子のものが多い。藤原さんは極めて健全な愛国者であって、偏狭で排他的な国粋主義者ではなく、バランスの取れた観点を持った人だ。収められたコラムの主張には激しく同意したくなるものが多い。小学校における国語教育はあらゆる教育の基礎であることを説く「国語教育絶対論」、役に立つ即戦力の教育(訂正06/01/02)ばかりが大学に要求される現状に意義を申し立てる「産学協同の果ては」、安易なアメリカかぶれを戒める「アメリカ帰りが多すぎる」など、私などとは基本的な発想がまったく異なる人であるにもかかわらず、同様の意見を抱かれているのが面白かった。若干失礼な言い方ですが。

 とはいえ内容全てに同意できたわけではない。一番違和感を覚えたのは、「満州再訪記」に描かれている、戦中の日本がとった行動に対する歴史観である。ここでは藤原の意見は日本の行動に対する陳腐な正当化を出ていない。満州在住の諸国民に迷惑をかけたことの自覚と罪悪感はみられるが、それだけである。最も陳腐なのは対露感で、次のような文面が見られる。
 「満州は二十世紀前半の日本にとって三つの点で重要だった。まず第一はロシアおよびソ連に対する国防の生命線としてである。ロシアもソ連も、あくなき南下政策をとっていた[…]」(168頁、強調は引用者)
 この文章は藤原に限らずわれわれほとんどが暗黙のうちに有している感想を正直に述べたに過ぎないのだろう。しかしこれは陳腐であるばかりか事実に反してもいるし、ロシアの南下政策への対抗という理屈をもって満州国設立の正当化と結び付けようしよう(訂正06/01/02)とする勢力を勇気づけやすいという点では危険ですらあると思う。
 藤原は赤ん坊の頃敗戦直後の満州を命からがら逃げてきた経験をもち、父親もソ連軍に連行されたという。戦中世代にはロシア嫌いが多いそうだがソ連の取った行動を考えればこれは無理もなく、また彼らの蛮行が道義的にみて憤慨するべきものであることは確かである。われわれ日本人の現在のソ連観、ひいてはロシア観の基礎が敗戦直前・直後の彼らの行動によって大きく規定され、それが今の若い世代にも受け継がれていることは確かだろう。未だに日本人の多くはロシア嫌いでありあの国に警戒心を隠せず、まったく不幸というほかはない。
 しかしここでは、ロシア・ソ連に対してわれわれの多くが未だに安易な被害者意識に陥っていることに対してささやかながら異を唱えてみたい。以下述べることは歴史学者などはあたりまえのことと言うかもしれないが、ロシアやソ連に対する感情的で一面的な言説が跋扈している現状に対しできるだけ冷静に歴史的批判を加えてみたいと思う。

 ひとつ。「二十世紀前半の」「ロシアもソ連も」、藤原の言うように「あくなき南下政策をとって」はいなかった。日本人が当時そのように感じていたとすればそれは別の意味で重要だが、いまだにこれを事実命題として語りこの「事実」に寄りかかるのは不健全である。
 ふたつ。これは藤原の記述への異議ではなくて一般に対して言いたいことだが、ソ連の参戦は無論条約違反であったが、ヤルタ協定に基づいており、米英の同意を取り付けていた。この事実は未だに米英の態度を拘束しており、日本は第二次大戦後の国際秩序の中で今後も不利な立場に立たされざるを得ないと思われる。
 みっつ。藤原も、そして他の多くの人も15年戦争期の日本陸軍が北進策と南進策との間でゆれていたことを正当に指摘しているにもかかわらず、この北進しようとする意図を道徳的な審議にかけようとはしない。「思っていただけで」実行しなかったことは裁くべきではない、と言うかもしれないが、日本があわよくばシベリアを取ろうと虎視眈々と狙っていたこと、そして実際ロシア革命後の内戦期には今のイラクでの米軍よろしく口実を設けてシベリアに進駐し各地を荒らしまわったのは消しがたい事実である。日本がソ連の帝国主義的行動を一方的に断罪できるとは私にはとても思えない。

 それぞれ詳しく見てゆこう。第一点だが、1905年から1945年までの満州とロシアとの国境地帯の風景がどのようなものであったか、あるいはロシアと日本との力関係はどうであったかを想像してみよう。より多く怯えていたのはどちらの方だっただろうか。あるいは軍備の点でも、国内基盤の点でも整然として余裕があったのはどちらであっただろうか。答えは明白であるように思える。ロシアも、そしてソ連も、心底から日本を、特に1930年代以降のファナティクな軍国日本を、恐れていた。私は1930年代のソ連史を研究しているが、この時期のかの国の行動を分析するに、ソ連指導部はナチスドイツと軍国日本という反共主義的でかつ何をしでかすかわからない国家に挟撃されることをなんとしても避けたいと考えており、これを外交上の最優先課題とし、国民に対しては戦争への覚悟を植え付けようとしていた、これが圧倒的な印象である。私は当時のソ連共産党の機関紙にもいくらか目を通しているが、満州事変以降の日本の中国における(追加06/01/02)軍事行動に着目しこれを分析しようとしている論文は思いのほか多い。戦争の危機が迫る上に孤立していると感じたソ連は無理に無理を重ねた工業化を推進し、国内の引き締め・スパイ摘発と称して狂気とも思える大粛清を行った。スパイ活動も怠らず、日本の動向には常に注意していた。リヒャルト・ゾルゲのようなきわめて優秀なスパイを日本に送り込み活動にあたらせた事実も彼らの危機意識を物語っていよう。
 この時期、「あくなき南下政策」はあったか? 土台無理な話であった。1905年から1917年までは雪辱を果たそうにもほとんど不可能だったし、1917年1918年(訂正06/01/02)から1922年までは南下政策を推し進めるどころか逆に攻め込まれていたし、1922年から1929年までは共産主義本来の理念からいって帝国主義的な拡張戦争を行えるはずがなかった。(ソ連が膨張主義的国家でなかったといいたいのではない。だがこの時期の「膨張主義」はプロレタリアートの国際的団結に期待して世界各地の革命勢力を鼓舞しようというもので、武力でもって国境を越えて攻め込んでいくような意味でのそれではない)スターリンの時代になると国際主義は後退し、ソ連は自国の領土と勢力圏を確保しようとする普通の帝国主義国家に成り果てた、と言っても良い。しかし満州や樺太の国境を越えて南下しようとする意図がスターリンにあったか? というのは難しい問題で、私の知る限り専門の歴史家も充分にこの問題を分析していないようである。通常日本人は、1945年9月、日本の降伏文書調印直後にスターリンが国民向けに行った演説を引き合いに出して、彼が虎視眈々と日本の領土を狙っていたというように印象付けようとしている。しかしスターリンという政治家の本音を探るのは難しく(彼は便宜主義的にいかようにも言葉を翻す)、私の印象ではこれは彼が本音を言ったというよりは、あくまで国民向けに勝利の華々しさを示し日本への軍事行動―すくなからぬソ連人の流血を伴った―を正当化しようとする「弁明」のようにも思える。第二次大戦であまりの被害をソ連人民にこうむらせたスターリンとしては、ほらみんな、取ったぞ、納得しただろう、というところを言いたかったのだろう。もちろん、このことの道義的評価は別に行わねばならない
 スターリンの意図についてはそのようなわけで不明な点が残る。ただソ連の「南下政策」の能力、という点で言えば、1930年ー45年のソ連にもとてもじゃないがそのような余裕はなかったであろう、ということは言えるのではないか。ソ連にとって懸案はやはり西方の国境であり、極東に関してはノモンハン事件でたたいておいて日本からの圧力を減らすのがせいぜいであったように思われる。

 第二点。ソ連が1945年8月に、まだ有効であった日ソ中立条約を一方的に破棄し宣戦布告し、なだれをうって満州・樺太に侵攻し暴徒のごとく日本の民間人に襲い掛かったことはよく知られている。これを卑怯というのはたやすい。しかし戦争末期の世界というのはもはや戦勝国のやりたいようにやるのが習いであり、日ソ中立条約のような約束など、ヤルタ会談という戦勝国の分け前確定談合の前には吹けば飛ぶようなものであった。米英もソ連が条約違反を犯すことになること、場合によっては領土不拡大の原則(大西洋憲章)に抵触することも認めざるを得なかったのである(そもそもソ連に千島列島の領有を認めるヤルタ会談の取り決めは大西洋憲章には違反しているのではないか。東欧における勢力圏の確定も含め、ルーズヴェルトとチャーチルはスターリンに押し切られる形になったのだろう。ここにも北方領土問題を複雑にしている一因がある)
 ヤルタからポツダムへ、そして対日戦終結へ、と至るまでに、もちろん三大国の関係は微妙に変化し、水面下での緊張が生まれてきた。しかし、ソ連の対日戦参加そのものは、もはや米英としても取り下げてくれ、と言うわけにはいかず、ある程度ソ連の行動を認めざるを得なかった。さすがにスターリンが一時計画していた北海道上陸作戦に関してはアメリカから待ったがかかったが、大戦中を通じてソ連に色々と負い目がある米英としてはあまり強いことは言えなかったのである。
 時々、北方領土問題を世界に宣伝してアメリカなどを味方につけよう、という意見が見られるが、こうした歴史的経緯を見ればこのような意見がナンセンスであることがわかるだろう。アメリカがロシアと日本との間に楔を打ち込むために領土問題を今後も最大限利用するだろうから、ということを差し置いても、アメリカからしても納得できる論理はロシアのそれであって、日本のそれではない。結局のところ北方領土問題はアメリカから見てもヤルタ会談とサンフランシスコ平和条約の解釈いかんにたどり着くのであって、「日本固有の領土」などという妙な理屈はやはり通用しづらいのである。まして感情的にソ連・ロシアを悪者にしようとすれば共感は一切得られないだろう。それを言うならヤルタで千島列島の領有を認めた米英も悪者ということになるからだ。
 戦後60年経ち、国際秩序はこの間にずいぶん変わったが、それでも基本的な秩序を規定しているのが第二次世界大戦の戦勝国であるという事実には変わりはない。国連でも、核兵器保有の面でも、優遇されているのは相変わらずこれらの国々であり、戦争にかかわるところでは日本やドイツはこれらの国々に許される限りでしか行動の自由はない。この状態はもう一度戦争を起こさない限り変わらないのではないか。(私としてはもちろん、ある程度今のままで仕方がない、と考えるが)

 第三点。これは家永三郎氏も著書『戦争責任』の中で指摘していることだが、太平洋戦争に突入する前の日本が資源の確保を狙って場合によっては北進しシベリアを我が物にしようかという計画も立てていたことは事実である。結果的には南方の方がうまみが多いと思ったのか、ノモンハン事件の精神的後遺症の故か、南進策をとるようになったのだが、戦後ソ連を一方的に糾弾する人はどうもこの事実に一切注意を払わないようなのである。ソ連と日本との関係に限っては日本は一方的な被害者であった、というように言われる。しかし古くは革命後のドサクサにつけ込んでシベリアを荒らしまわり、30年代以降も軍国主義の道を歩み列強のパワーゲームの中でまたシベリアを取ろうと狙っていたことを考えると、これでも日本は本当にロシアに対して無垢である、と言いえるのだろうか。結果的には特に悪いことはせず、自らの方が被害者になった。しかし少なくとも、「満州の権益を確保するのはソ連から日本を守るためであった」というのは自らの拡張主義を隠そうとする言い訳、よくある言い訳という奴であり、片腹痛い。帝国主義の時代に現に生きるものならこのような発言をするのはやむをえないともいえるが、現代のわれわれがそうした発言でもって自己肯定しようとするのはいかがなものだろか。
 司馬遼太郎がハバロフスクで見聞したことらしいが、ある日本人元抑留者が70年代に久々にソ連を訪ねてかつて世話になった軍人と会ったところ、この親切な軍人が「日本は今でも対ソ侵略の意図をもっている」と発言したそうだ。驚いた元抑留者は当然それを否定しようとしたが、「自衛隊があるではないか」といって聞き入れなかったという。ロシア人特有の防衛に関する意識過剰といってしまえばそれまでだが、中国や韓国だけでなくロシアもまた日本が軍事国家と化すことを何より恐れていることは注意しておいた方がよい。もし今後日本が戦前の自ら歩んだ道のりに対する自己陶酔に陥りアメリカの尻馬に乗って軍備を拡張するようなことがあればーその徴候は現在あからさまに見られるが―対露関係はますます冷え込み平和条約締結は遠のくだろう。

 以上述べたことはソ連・ロシアの言語道断ともいえる諸々の行動を免罪しようとするものでもなければ、かの国のせいで塗炭の苦しみを味わうことになった何万という日本人の方々に「身から出たさび」を説こうとするものでもない。またむやみに自国の歴史を貶めようとする意識でもって書いているのでもない。ただ一般に戦後一貫してわれわれがあまりにも一方的に被害者面をしてきたことに対し、歴史的事実からみた正当性という点で疑念を呈しておきたかったまでである。

 この悪文を最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。私は別に外交史や政治史の専門家ではなく、修行中の身としてはこんな一文駄文(訂正06/01/02)にかかわっている暇があるのなら専門の文献を少しでも多く読むべきなのでしょうが、昨今の不健全なナショナリズムの高揚の中で対露観の一面化がますます強まっているように見える中、この目立たぬ未熟な一文でも一石を投ずることになれば、と思って書いた次第です。事実誤認、論理の粗雑さ等いくらでもあろうかと思います。ご意見等ありましたらお知らせいただければ幸いです。よいお年を。

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
はじめまして。遅くなりましたが、TBありがとうございました。
結論としてはそもそも第二次大戦の終戦時の枠組みがすべてということですよね。そこを問題にせずに、感情的にロシアを悪者にしても、何も得ることはないですね。
もう戦後60年も経つのですから、そういうことを考え出す政治家が出てきてもいいような気がするんですけど、国家百年の計より自分の人気のほうが大事な人ばかりで困ってしまいますね。
非国際人
2006/01/08 11:47
非国際人様、コメントどうもありがとうございます。
「ヤルタ体制」は東欧では20年ほど前に崩れましたが、北東アジアではいまだに息づいている点が多いかと思います。ただ、大戦終結時に固まったこの体制について私はこの記事の中で「当分変わらないだろう」と書きましたが、現状を受け入れ安住せよ、と言うつもりはありません。ヤルタ体制を融解させるのは容易な道のりではないでしょうが、少なくとも、アメリカを無条件の味方とみなしロシアを敵視するような冷戦時の硬直化した考え方から抜け出ることが、基本的な前提となりましょう。
冷戦は終わったのですし、ロシアはもう敵ではないのですから、日本の政治家たちにも多方面に目を配る外交を行おうというような柔軟な考え方をもっていただきたい、と思います。(外務省の内部事情などを見聞するに、ともすると絶望的な気分になりかねませんが)
金山浩司
2006/01/08 23:48
南下政策に関しましては、ロシア側の機関紙を読まれていると本文に書かれておられますが、ポーツマス条約以降、中央アジア地区における南下政策が続いておられるのは、無視なさるのでしょうか。
また、戦後のソビエトによる、イエメンのアデン、ベトナムのカムランの両ソビエト軍港を鑑みるに、情勢に即した南下政策を日本敗戦後も、続けている訳ですが、その辺りは南下政策では無いと一蹴されるおつもりでしょうか。
割と、長い年月をかけ、その時代の国家間のパワーバランスに即した南下は続いているのですがねぇ。
自国に対する、潜在的脅威に対し、事前に軍事的侵攻や、排除を行うことに関しては、当然の事だと思うのですが。
相手が弱り目の時に進駐するのは、戦略の基本中の基本では無いでしょうか?。
あと、ロシアが敵ではないと言う、発言も全く意味不明ですねぇ。
ロシアは、未だに日本に対し、爆撃機で領空侵犯を繰り返しているのを、ご存知ないのでしょうか?。
戦闘機ではなく、爆撃機ですよ。
南下政策を調べていた通りすがり。
2008/07/09 03:03
回答を書いていたら長くなりました。別途エントリーを立てます。
金山浩司
2008/07/09 17:13
皆さんは勘違いしてるのでは?
ソ連もロシアもかつて侵略された事はあっても、自衛の為以外は他国へ侵略したり植民地にした事は一切ありませんが?
ツポレフ
2009/02/03 07:23
ツポレフさん、それはそれで逆の極論ではないかと。いくらでも反例をあげることができるかと存じます。
帝政ロシア時代にシベリア、中央アジア、カフカス、ポーランドと進出していったのはどうみても自衛のためではないでしょう。
極東に関しても、中国から沿海州を奪い取ったり(モンゴルについては少し話が違いましょうが)、日本に対してはあからさまな侵略を企てたというほどではないにせよ、満州・朝鮮の権益に関する野心とみられたものが日本をいらだたせるほどであったのは確かです(もちろん、だからといって日本の対外進出が正当化できるかは別の問題です)。
金山浩司
2009/02/04 01:04
(続き)
ソ連時代も、当初は侵略される側でしたが、やがてポーランド侵攻を企て―まあこれは革命輸出戦争であって、植民地獲得などとは名目上、形態を異にしてはいますが―、1930年代末から40年代初めにかけては、自衛のためという言い訳のもとではありますが、ポーランド、フィンランド、バルト三国等に次々に侵攻、拡張を行っています。
第二次大戦末期についても、極東については日本の領土(樺太・千島)を取ったのは道義的には正当化できることではありませんし(ただし、だからといってこれらの領土を返してもらえるのが当然だ、ということにはなりません)、当時日本が風前のともしびであったという状況を勘案してみれば拡張のための戦争と言われても仕方がないでしょう。対ナチスの戦争途上で東欧諸国に進出したのについてはこれよりは「言い訳が立ち」ますが、戦後の東欧諸国の処理のしかたは、やはり褒められたものではないでしょう。
金山浩司
2009/02/04 01:05
(続き)
やはり帝国主義的施策を要所要所でとってきたのがこの国だった、ということは間違いないです。ただ、日ロ関係において日本が一方的な被害者であり続けたかのような非歴史的記述はやめようよ、というのが私の話の要点と考えていただければ幸いです。
金山浩司
2009/02/04 01:06

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