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zoom RSS ウェーバーも指摘する苦い真実

<<   作成日時 : 2006/01/27 23:42   >>

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 旧HPの業績欄を久々に更新しました。といっても「掲載予定」二本、「審査中」一本を加えただけだが。

 業績をながめて、うーんつぶしの利かない男だな自分は、という念を新たにしています。研究しているのは多くの人が興味を持つようなテーマとは言いがたいし、ときに流行のテーマに乗るというような器用さも持ち合わせていないし(無理やり自分のテーマに話をもっていく強引さは多少持ち合わせているが)、加えて非社交的で人脈作りを面倒くさがる傾向がある。今後数年間、ことによると一生、こういう男は世間的に苦労するだろうな、他人事のようだが。

 若い学者の世間的苦労、というといつも思い出すのがウェーバーの次の言葉である。少々長いが引用すると・・

〔…〕ただ、職員の昇進に関しては、むかしながらのものがある。それは、私講師や研究所助手が他日正教授や研究所幹部となるためには、ただ僥倖を待つよりほかないということである。〔中略〕それがまったくの偶然の支配下にあるということは、実際想像のほかである。おそらく、これほど偶然によって左右される職歴はほかにないであろう。わたくしがあえてこの点を強調するのは、わたくしのようなものでも、こうしたまったくの偶然のおかげで、ほかにわたくしと同年輩で疑いもなくわたくし以上に適任の人がいたにもかかわらず、まだかなり若いころに一学科の正教授に任ぜられたからである。〔中略〕不運な人々のばあいには、偶然はわたくしのばあいとちょうど反対の結果をもたらしたのであって、かれらは、たとえいかに才能があっても、こうした選択機構のなかでは、かれらにふさわしい地位につくことはできないのである。
(マックス・ウェーバー(尾高邦雄訳)『職業としての学問』岩波文庫、15-16頁)


 ウェーバーにして、この言である。しかもこの大先生は続けて、学者の人事の不確定性は選ぶがわの情実が働くからというだけではなく、集団が意思決定するさいに不可避に働く力学のゆえ、そして教育能力の評価というあやふやな指標に大いに拠っているゆえ出てくるのだ、というようなことを述べていらっしゃる。うわあ。救いようがないではないか。
 しかもマックス先生のおっしゃることは、百年近くたった今日でもごもっともであり、私の周りを見渡しても現実はまさにここで言われているとおりなのである(具体例はむろん、差しさわりがあるので挙げない)

かくて、大学に職を奉ずるものの生活はすべて僥倖の支配下にある。若い人たちから就職の相談を受けたばあいにも、われわれはかれにたいして自分のことばの責任を負うことはできない。〔中略〕われわれはかれに向かって、君は凡庸な連中が年々君を追い越して昇進していくのをみても、腹も立てず気もくさらさずにいられると思いますか、というふうに念を押しておかなければならない。
(前掲書20-21頁)


 ウェーバーの言はいつも苦味を帯びている。この手の人はいつの世にもいるものらしく、自分の周りでも思い浮かべることができる。正直、今生きているこのタイプの人は敬して遠ざけたい気分であるが、ウェーバーはもはや遠い昔のーというほどでもないがー別世界の偉い人なので、そうですねえ、と相槌を打つ余裕が生まれてくる。いずれにせよ、意気が上がらないことには違いない。

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