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zoom RSS 仲正昌樹『日本とドイツ―二つの戦後思想』(光文社新書、2005年)

<<   作成日時 : 2006/05/20 23:58   >>

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 ちょっと期待はずれだった。
 二つの敗戦国の戦争総括などの違いがなぜ生じた/生じている のか、明快に対比されつつ述べられているのだろうかと思ったのだが、次から次へと目まぐるしく出てくる両国における思想史の雑多な事例に右往左往しているうちに、自分がどこに連れられていくのかよくわからなくなってしまう感覚を覚えた。何人もの思想家の考えおよびそれの受容のされ方が、しばしばあまりにも単純化された記述によって出現するため、果たしてそれを全部信じていいのかどうか不安になってしまう。さらに筆者の個人的な見聞に基づく独断が本文の記述のいたるところに混じっていて、それも読む側の混乱に拍車をかける。結果として、盛りだくさんの内容であるにもかかわらず、というよりそれゆえに、読んだ後も何も頭に残らない、ということになる。
 「あとがき」などから察するにこの本は戦後60周年の企画本としてきわめて短期間で執筆されたようだが、そのためだろうか、一冊のまとまった本に必要とされるところの、系統的な構成、記述の方法における読者への配慮、事例の取り扱いの丁寧さ、といった要素が見事に欠落してしまっている。一ヶ月でもいいから寝かせた上で推敲を施すべきではなかっただろうか。

 具体的な記述内容については、一点だけ疑問を呈しておきたい。
 本書の中ではしばしば「マルクス=レーニン主義」という言葉が無批判に用いられているが、これは何を指しているのであろうか。「マルクス=レーニン主義に基づいて建国された、ソ連を筆頭とする社会主義ブロックが90年代初頭まで存在し」(132頁)という記述からすれば、いわゆる「旧共産圏」の国家体制のあり方を漠然と指しているのかと思われる。ところで仲正先生ほどの方ならば当然ご存知のように、東ドイツなどの旧東欧諸国において終戦直後に政治操作によって生まれた政権は、レーニン時代ではなくスターリン時代のソ連の国家機構等をモデルにしていた。共産主義者たち(日本のそれを含み)は自らの国家理念を「マルクス=レーニン主義」と呼ぶことで故人の権威を援用していたが、その実態といえば、スターリン主義に特徴的な要素が中心だった。(現在もっぱら「マルクス=レーニン主義」という言葉が罵倒の枕詞として機能している―仲正氏もそうしたニュアンスでこの語を用いているように見えるわけだが―のはこの故である。)
 むろんレーニン主義であろうとスターリン主義であろうと一つ穴の狢である、との観点に立てばここに問題は生じないし、この点は解決済みとみるのがソ連崩壊後の大勢の潮流かもしれない。しかし歴史学者たちの間では今でもこの問題は微妙かつ重要であるとみなされており、レーニン主義とスターリン主義との連続性および断絶性の評価に関する論争は継続中である。(ここではそれに関して詳述はしないが、最近出た本の中での簡潔な叙述として、たとえばグレイム・ギル(内田健二訳)『スターリニズム』(岩波書店、2004年)、10−12頁を参照)
 仲正先生はおそらくこうした「煩瑣で細かい」論点についてはよくご存知ではないのだろうし、次のように反論されるかもしれない。「ここでマルクス=レーニン主義と言ったのはアドルノのような人々のマルクス主義とこれを区別するために使ったに過ぎない。そんな二次的なことにこだわってどうする」と。
 あるいは「あとがき」で先生は「一冊の本にまとめて書くときには単純化や細部の切り捨て、ある程度強引な文脈の再構成が必要であるということを基本的に理解しないまま、「話が雑でいい加減だ」とだだっ子のような”批判”をするのが、日本のドイツ思想史研究者もどきには多いが、ああいうのは要らない」と書いている。(243−4頁)それを敷衍していえば私もだだっ子のようなことを言う研究者もどきなのかもしれない。
 よろしい。私がだだっ子でも虫けらでも構わない。が、仲正先生自身がお嫌いらしい「マルクス=レーニン主義者」たちが元はといえば用いていた「マルクス=レーニン主義」なる用語を、自身が無批判に幾度となく自明の言葉のように使っていることについてはどうお考えだろうか。さらにこの本を読んだ読者がマルクス=レーニン主義なるものを現存した社会主義国家の国家理念と短絡的に結び付けてしまい「そうかやっぱりレーニンって駄目なんだ」という程度の理解で満足してしまうであろう効果、に対する責任はどうなのであろうか。これも「だだっ子のような”批判”」「要らない文句」なのだろうか。私はここで文筆に携わるものが担うべき当然の説明責任を求めているだけのつもりではあるが。

 ついでながら言っておくと、仲正氏自身が属する世代である1960年代生まれには、マルクス主義、マルクス主義者、あるいは旧共産圏で起こったもろもろのこと、に対してとにかく批判揶揄しなければいけないと躍起になるか、そうでなければ異物でも見るような態度で接する人が多いように思える。これは、彼らの多くが青年期前期に年長のしなびたマルクス主義者(もしくはそう名乗る人々)のよくわからないお題目を聞かされ迷惑に感じたたうえに青年期中期にソ連崩壊というショッキングな出来事を経験した、せいだろうか。この本からも、仲正先生が抱いているであろうマルクス主義者に対するうんざりした感情が伝わってくる。同情しないでもないが、しかし後の世代である私にとって正直そのような個人的感情は最終的にどうでもよい。ソ連崩壊からもう10年以上もたった今となっては、あれほどの影響力を20世紀に振るったマルクス主義(およびマルクス主義に基づいて建設されたといわれた国家)に関して、価値判断や情緒的な一刀両断は措いてもっと冷静かつ厳密に思想史的・政治史的分析を加えるべき時、そしてそれがもう少し一般に共有されてしかるべき時、が来ているのではないかと思う。
 仲正先生を含む優秀な人々が、いまだに旧社会主義国家もしくはその元シンパの振りまいていた「マルクス主義」や「マルクス=レーニン主義」の幻影に振り回されている。このあたりの概念に関して、粗雑な理解でことたれりとしている。21世紀になって何年もたつのにそうしたことが見られるというのは悲しい話だ。

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