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zoom RSS ロシア語の難解な論文を読む楽しみ

<<   作成日時 : 2006/07/24 23:25   >>

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 とあるロシア人生物学史家の、最新の論文を今日、読み始めた
 1920年代、あるロシア人生物学者が人間とサルとの交雑種を作る試みをやっていた。これをどう捉えるべきか、という論文。自分の専門からは少しかけ離れているし、博士論文を書くべき自分がこんな寄り道をしている場合ではないのかもしれないが、しかしまあ、生命倫理のような、今後自分が世間的に期待されるであろう役回り(専門的職業についている人間なら誰でも知っているように、自分の本来やりたいことと周囲から期待されることとには若干のずれがあることが普通だ)を演じるにあたって必要な分野に食い込む努力も、多少は必要かな、と考えた。
 そんな姑息な考えをもって読み始めた論文だったが、いきなりつまづいた。この論文が、交雑種を作ろうとした生物学者を単に非難するような論調であればむしろ読みやすいのだが、これはそんな単純さとは対極の、複雑な問題設定をまず序論から行おうとしている。読み応えたっぷりなのだ。なじみのない生物学用語が多発することもあって、私のロシア語能力ではなかなか読み解くのに苦労した(そもそもロシア語で書かれた研究論文を腰を据えて読むのが久しぶりだったこともある)。結局5ページほど読み進めたところで脳みそが音を上げてしまった。
 私の無能のことは措くとして、ロシアにはこういう研究者がいるものである。複雑な問題から逃げず、複雑さをそのまま言語化しつつ課題を明確にすることに最大限の精力を注ぎ、精錬された回答を導出することに熱をもって取り組む研究者が。私はこの生物学史家のほかにも何人かそういうロシア人歴史家を知っており、これがやはりかの国の学問の魅力であるな、と感じる。
 真剣に、自分自身の言葉を尽くして、ステレオタイプに陥らない洞察や見識にたどり着くことを目指すこと。これは往々にして西側の知識人には欠けている、ロシア知識人の魅力である。そしてそれは日本ではあまり知られていない、ロシアの重要な魅力のうちのひとつである。

 翻ってわが国の歴史学界を見てみよう。日本の科学史はダメだ、と、特に西欧や米国の実情に詳しい方はしばしばおっしゃる。しかしどこがダメなのか、明確に述べられている機会はさほど多くないようにも思う。
 学問の世界ではまだまだシロウトに毛が生えたようなものである私のようなものが言うのは口幅ったいが、おそらくそれは、研究者が自らの見解を十分に展開しようとしないことと密接に関係しているのではないか。見解、というのは無論、独断、とは違う。研究者ならではの情報収集力を生かし、多くの事例をもとに、綿密な帰納的論理に従って、誰はばかることない(批判に耐えうる)自分なりの歴史観を持つこと、そうしたことに向けての志向性が弱い、ここに日本の科学史の「ダメさ」が存在するのではないだろうか。
 「現代的な問題ともこの事例は密接に結びついている」「実情はこんなものであった」等々の言い方がよく研究論文においてなされる。せっかくいいことを指摘しているのに、日本人歴史家の多くはこうしたあいまいな言い方に逃げ、その結論部分を十分に意味づけ、自らの意見を形作ろうとしない。微妙な問題を徹底的に言語化しようとしない。少なくとも私にはそう思われる。
 ひょっとすると、日本の学者(をはじめ知識人全般)の生産性が諸外国に比べて低いと一般に言われるのにも、単なる体力的な問題のほかにも、こうした事情がからんでいるのかもしれない。いや、あくまで仮説ですが。生意気言ってすみませんが。

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