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zoom RSS 記事移動−この国で知識人として・・・

<<   作成日時 : 2007/05/22 12:30   >>

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 昨年7月に書いたエントリー「この国で知識人として立つことの困難さ」がなぜかスパムの集中攻撃にあっているので、当該エントリーを消去し、こちらに移動します。さくママ さんからいただいたコメントもこちらに転載します。
こんなことをせねばならんのは残念です。

以下記事内容

 佐藤優『自壊する帝国』(新潮社、2006年)を購入、半分ほど読了した。これを読んでいろいろ考えたこと、言いたいことがあるが、今日の日記では一点のみ、本の内容そのものからは少し外れた論点を取り上げたい
 崩壊直前の旧ソ連の知識人と著者との会話がふんだんに取り込まれたこの本から、私が一番感じたのは、かの国で生きる知識人に存在する、対話的精神のほとばしりであった。この本に描かれる対話には著者による粉飾が大いに含まれているであろうことは承知の上だが、立場の違いはどうであれ基礎的な教養と知識をもとに真剣に議論をするロシア知識人(本来旧ソ連の知識人、というべきだが、煩雑になるので以下、このように略す。ロシア語を扱うもののうちロシア人だけを特別視しようというつもりは毛頭ない)の姿が浮かび上がってくるのには、納得いくものを感じる。私自身、ロシア知識人同士の議論を耳にして、日本ではお目にかかれないような、体当たりの、力強い議論の方法に感銘を受けたことがある。

 翻って、日本の知識人は、どうも一般に真剣な対話をしようとしないように思う(佐藤優はその意味で、対等にロシア知識人と渡り合える稀有な人材ではある)。儀礼的なよそよそしい笑顔、自分の意見を言いもせず他者に対する冷笑的な(直接的でない)批判に終始する対話方法、一見礼儀正しいが結局対話によって何か新しいものを得ようとはしない頑固で保守的な態度、これだけは譲れないという道徳的な共通了解(論理を通すこと、言葉によってのみ決着をつけること、偏狭な自民族中心主義の否定など)の欠如、権威と時流に弱く、その裏返しとして目下のものに対して威張った態度をとる悪習、こうしたことすべてが、我々から、対話を通じて生産的で発展的な知見を得ようとする機会を奪っている。
 根はさまざまなところにあるのだろう。まず、「有名大学」に入り知的エリートの予備軍となる人間に課せられる、ばかばかしく退屈な受験勉強と、それを通じて、テストの点をとること以外に興味を持たせないように仕向ける中等教育の実態がある(私自身、「有名大学」に入るための中等教育を受けた人間として、このことを嫌というほど思い知っている)。日本の学校に通っても、それだけでは自分の意見を持つことを学ぶことができないのは、どうしたわけだろう。本気で何かを学びとろう(何か別のもののための方便ではなく、知識をそれ自体として)とする気力が沸いてこないのはどうしたことだろう。
 そして、階層としての知識人の弱さがある。学者にせよジャーナリストにせよ「自分たちは高度な教育を受け情報をより多く入手できる人間であるのだからそれに伴う使命や責任がある」、ということを真剣に感じさせるような雰囲気は、この国には、ない。だから、知識人自身、自信が持てず、卑屈な態度かそうでなければ下品な態度をとるばかりである。
 彼ら(我々は、というべきか)は好き勝手に自分の「専門知識」を突き詰め、時々思い出したように「解説」しようとするだけだ。横の連帯もなければ、自分の専門分野を超えた広い視野も、また、ない。世界のことも、人間精神のことも、インテリのくせに、一般人より多く理解しているわけではない。古典や文化的遺産に通じているわけでもない。批判的精神や犠牲的精神も、普通に大学や新聞者や出版社に身をおくだけでは、まったく身につかないようになっている。突っ込んだ議論ができる骨のある友人や教師に、(意外に思われるかもしれないが)なかなかめぐり合えないからだ。
 そして最後に、多分に我々の以上のようなだらしない状態のせいであろう、本来知識人と呼べなくもない人々に対する一般の日本人の冷めた、遠巻きに見守るような慇懃無礼な態度がある。本や記事の題目からしてスポーツ新聞ばりのセンセーショナルな見出しや、妙に「わかりやすい」、媚を売ったものばかりがもてはやされ、知識そのものに対しても誰も真剣に考えようとはせず、ディレッタンティズムや茶化しや蒙昧主義(「別にそんなこと知らなくたって」・・・)にすぐに飲み込まれてしまう。知識人階層、など今や実在するものとは考えられず、冗談としてしか受け止められていないだろう。気の利いたタレント風の人間がたまに出てくればいい、それで気晴らしができれば、という程度しか、皆、期待していないのだ。あげくの果てに、何かを知らない、ということが恥、にもならないのだ、この「恥の文化」の国において!
 
 知にまつわる社会問題(研究支援費に関するスキャンダルや、若手研究者に対する支援の問題)すべてに、退廃した日本の知的風土が密接に結びついているのだと思う。今は上のような荒っぽい議論しか打てないが、今後私も、このことをもっと突き詰めて考えていくつもりだ。

さくママ さんのコメント

はじめまして。非常に興味深い内容でした。知識教養は日本を国としてまとめ上げるのには無用なのでしょう。私が危惧致しますのは、実力のない者が君臨することによって、軍事国家的な色合いがまた濃くなっていく様相と、他国(北朝鮮、中国等)による外圧、国内における階級闘争の激化などです。私自身もこの国に生まれ育ちながら、もはやこの国のために何かしようと思い続けることが困難です。海外に流出すればそれで良いとも思いませんが、少なくとも現在以上に精神的、情報的に自由な環境に身を置きたいと思っています。貴方の意見はとても貴重だと思います。

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