科学史、音楽、露西亜、そして、、、

アクセスカウンタ

zoom RSS 科学史を元気にする?

<<   作成日時 : 2008/02/29 00:02   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 日本の科学史の元気がない、という。みんな小さな自分の研究テーマにちぢこまっている、スターがいない、社会に対するアピール力がない、大学院生が集まらない、講座も切られていく、なんというか、ないないづくしだな、と。その通りだと思うが、はてどうすればいいかとなると、どうも姑息な手段しかとられていないようにも思う。「科学をわかりやすく伝える」ための道具として自分を売り込むとか。そんなの科学史家の仕事じゃないだろ、という気がするが、そんな私は現場の切迫感を理解していないおめでたい、時代がかったロマンチスト、なのだろうか。

 最近、久々に村上龍のエッセイを読んだ。ユーモアのない、息苦しいエッセイだが、その中で例外的に、喝采を叫んだ箇所があった。

 日本を元気にするという表現がおかしいのは、トップに居座っている既得権益層をすべて切れば問題の大半は片づくのに、それをやらずに、一般の会社員に対して元気を出しなさいと言っているからだ。日本はどうすれば元気になるのでしょうか、という問いについては、銀行や企業や官庁に居座る老人たち、それと地方や中央の政治家たちをすべて「老人の船」に乗せて、つかの間の宴会で楽しんでもらったあと東シナ海に沈めればいいという回答しかない。
(『置き去りにされる人びと―すべての男は消耗品であるVol.7―』(下線は原本では傍点)、幻冬舎文庫、2007年、118頁)

 これだけが日本「の科学史」を元気にする方法、だとは言わない。しかし、数年間忍従したあと何となしのコネで大学への就職が決まってそのあとはよほどのことがない限りクビにはされない、という安定した立場を享受している旧世代(1960年代生まれまで)に比して、現在の若手研究者がより激しい荒波にもまれているのは確かである。我々は常に、自分の指導教官や学界の有力者に対して媚を売るだけでなく(これはこれで現在でも重要な作業かもしれないが)、外部に対して短期間ごとに自身の意図・方法を明確に言語化することを求められている。
 私のような怠惰なチンピラ研究者はともかく、周りを見てみると、科学史・技術史の分野には問題意識・研究手法・生産性・志操の高さ・人間的魅力等において優れた、世界のどこに出しても恥ずかしくないであろう若手研究者を何人も挙げることができる(まあ、我々の分野にももちろん、「お前それじゃあだめだろう」と言いたくなるような輩も若干いる、かもしれないが)。こうした研究者を「余計者」に留めておかず、下積みの屈辱に甘んじさせておくのではなく、社会の中にそれに見合った受け皿を作る道筋は確保されているだろうか、あるいは現在権力を握る人たちがその道筋を作っているだろうか。確かなのは、現在の偶然に得た既得権益を、怠惰な研究者ほど手放そうとしないであろうし、後進のための道のり作りに向けても努力しないだろう、ということだ。ここでいう道のり作りとは、正当な学問的業績あるいはその宣伝によって(小手先の、流行への媚びへつらいによってではなく!)、科学史という学問分野全体の存在意義を学界全体に認知させる、ということも含まれている。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
科学史を元気にする? 科学史、音楽、露西亜、そして、、、/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる