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zoom RSS やっぱりホイッグ史観はどうかと思うという話

<<   作成日時 : 2008/07/02 04:50   >>

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 最近ますますその印象を強めているのだが、どうも近代以降の科学史・技術史をやる人には、勝利者への思い入れ・あるいは欠如・限界とみた事象に対しての未練をもとにした歴史記述に傾く傾向が多いように思う。これは、自然科学・技術という分野が、芸術はおろか政治や経済といった分野に比べても、「勝利者」がより明確に判定される、少なくともそう思える場合が多い、そして教育も勝利者の学説をもとにして行われる、という事情と関連しているのだろう。
 上記のような記述方法は必ずしも著者によって意図的に選択されていない場合も多いのだが、私の知っている範囲内でも、「歴史は結局ホイッグ史観で記述するしかないじゃないか」と一種の開き直りを見せている確信犯の人もいる。

 しかし、やはりホイッグ史観はどうかとも思うのです。科学や技術の歴史においても、どんな問題に関してであれ誰が勝利するのだかよくわからない未決の状態がどこかしらであったわけで、また、当時の学術上の常識や倫理的基準は現在の基準とは全く異なったりするわけで、その中でのジグザグ・混乱・駆け引き等を十全にくみつくさなければ、歴史的事象の経過の理由は明らかになってこないと思うのです。そう、なぜ現在の目から見ての勝利者がある時点で勝利したのか、という理由すら。

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