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10世紀前後文化の話をする際に、この時代の先進地域であったアラビア半島含むイスラム教地域のそれに関して、あれは「アラビア」文化だったのか「イスラム」文化だったのか、という論争があるらしい(よく知らないけれど)。言語をとるか宗教をとるか、という話なんだろうか。 私は別にこの論争に関してどちらに与するというほどの知識もないし、論争に与したいとも思わないのだが、ひとつだけ・・・自分はこの手の話を聞いた時には常にペルシャの知識人・オマル・ハイヤームの事を思い出すなあ、という感想のみ、述べておきたい。 ハイヤームはアラビア語で若いころ教育を受け、当時の大秀才として、数学やら天文学やらに関してアラビア語の学術活動の中心地において傑出した業績を残した。しかし後半生はどういう理由によるものか、不遇の身にあり、世をはかなみ、酒におぼれ、そのドロドロの中から母国語であるペルシャ語でこれまた傑出した詩を数多く残した、と、そういういう奴である。日本語にもその詩は翻訳されており、私も愛読者である。 ちなみにモスクワ滞在中に印象的だったのは、ロシア語で大量のハイヤーム関連の文献(詩集や伝記やら)が出版されていることだった。ああ、酒をうたったハイヤームの詩がロシア人の琴線に触れる、というのは非常によくわかるなあ、とも思い、ますます彼に対する親近感がわいたことを記憶している。 それはともかく、、、当時の学術共通言語を身につけながら、結局民族固有言語に戻ってきた、という点で(間違っているかもしれないが)、彼はデカルトやらガリレオとも表面的には類似性があるのかもしれない。私自身は、アラビア語による彼の数学書なんかよりも、どうもペルシャ語による彼の詩―それも、どう考えてもイスラム教からすれば異端に属するような激しい内容を含んでいる―のほうが気になる。これは科学史家としてはどうかとは思うけれどね。 何が言いたいかというと・・・「イスラム」文化という言い方を否定して「アラビア」文化に与しようとする人が、ハイヤームのように「アラビア」に接近しようとしつつ結局アラビア語から離れていった人の存在―彼の場合、「イスラム」からも離れていったように思えるが―をどう位置づけるのだろう、というのが素人ながら気になったのです。ヘゲモニー言語に着目するだけでその時代の状況は捉えられるのかなあ、と。 それだけです。あ、ちなみに、私がこの時代において最も関心ある対象は、イスラムでもアラビアでもラテン世界でもありません。東方キリスト教世界、ギリシャ語圏です。ロシアをやっていますんでね。しかし、西ヨーロッパ人の偏見・蔑視のせいかのか何なのか、現在に至るまでこの地域・領域の研究はもっとも遅れているようで、、悲しいことです。 こういう東方世界に対する偏見というのは現代に至るまで続いているようにも思うなあ。 |
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