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zoom RSS ロシア国旗は嫌いだあ あるいは、排外主義を排す

<<   作成日時 : 2009/01/03 06:25   >>

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 今年の年始はクレムリンに初詣でに行って、まあ、それはそれはきれいだった。それはいいのだけれど、ちょっと気になることがあった。
 クレムリンに向かうモスクワ川に架かる橋の両脇が、みごとに、上から白・青・赤(だったっけ?)でライトアップされていたのだ。もちろん、ロシア国旗をもじった(?)ものである。
 なんだか嫌な気分が少しした。別に私はロシア民族やロシア国家に対してなんら含むところはなく、それどころか日本人にしてはこの国を尊重し、敬意を払っているほうだとは思うが、それでも近年のここでのナショナリズムの興隆と、いたるところにロシア国旗を掲げる傾向にはやりきれない思いがすることが多い。他国のナショナリズム(あるいはナルシズム)に対しては過剰反応しないことが一番の対策である、というのは知っていてもなお、このようにあからさまに「ロシア民族の旗」をあちこちで掲げられると、結局私はあなた方の繁栄をともにさせてもらうわけではないのだね、と拗ねた気分になってしまう。ロシアから生活の糧をもらっているわけではなく、ロシアに永住する予定も今のところない私にしてそうなのだ。まして最近増えている、中央アジアやカフカス諸国から出稼ぎに来ている人々の感じる疎外感はいかばかりであろうか。
 この大都市における、ロシア国旗やロシア的なるもの蔓延を目にするにつけ、私には懐かしく思い出される風景が一つある。それは一昨年(2007年)11月7日に、十月革命90周年に寄せて市内でイヴェントが行われていた時のことだ。あの日私は文書館で仕事をしようと思っていたのをご破算にして、市内中心部での共産主義者たちが集まるお祭りの輪の中に入っていった。彼らと私とは、必ずしも目的・方策は一致していない(私はプロレタリアートこそが次なる社会に向けての改革の担い手であるとは信じていないし、レーニン主義的政治方策に賛成するものでもない)。しかしそれでも、彼らの輪の中にあの赤旗がひろがるのを見て、ああ、ここでは民族など関係なく、思想でもって仲間として受け入れてもらえる余地があるのだな、肌の色も、生まれたと土地も関係なく「同志」となりうるのだな、と思い、なにかしらの解放感・安心感を感じたものである。現在、国旗や国歌憲章に多民族の融合を明確に打ち出している国は多くはない(代表的なのは米国と中国だが、私は残念ながら、現在の両国には住むに値するほどの魅力を感じない)。
 無論、ソ連史を研究するものとして、ソ連の掲げた「あらゆる民族の平等」というスローガンがいかに実際からかけ離れていたかについて、少なくとも注意を払わねばならないのはわかっている。しかし、20世紀の歴史においてあれだけ影響力をふるったソ連が、建前としてではあれ、「諸民族の平等と自由」を掲げたことの歴史的意義は、決して過小評価されるべきものではない。ソ連国旗には、どんな民族の象徴も現れていない。国歌にも、諸民族の友好という文句が入っている(ただし残念ながら、ロシア民族を特別扱いする文句も入っているのだが)。ロシアにおいてのみならず、我が国においても、特に若年層において、排外主義的な民族主義が勃興している今こそ、20世紀にいったんは人類が自覚した価値を見直さねばならない、と、心から思う。
 別段、ロシア民族主義だけが特に悪いわけではなく、ロシア人だけを特に責めようというのではない。私がどこにいようと、ウクライナにいようと、ラトヴィアにいようと、カザフスタンにいようと、ほかの民族を排除する歌やら旗やらがはためき、そこにいる民族の優位性ばかり強調されれば、そこでは一抹の寂しさを感じるであろう(現に私は、一週間ばかりウクライナに滞在したが、ロシアに輪をかけた民族主義の高まりを感じ、かなりあの国が嫌いになりかけた。もちろん、歴史的経緯に対する理解は持ち続けねばならない、とわかってはいるし、できる限りそれに基づく同情はせねば、とは思うのだが)。他国のことはひとまず措こう。もっとも問題にしたいのは我が国・日本の状況である。排外主義は、唱えている人間を陶酔させはするが、往々にして意識されないことながら、そこに住もうと懸命に努力する外国人の気力を萎えさせる。それが果たして「国益」になるのかどうか、冷静に考えるべきところである。特に現在の我が国におけるように、高尚な意味でも卑俗な意味でも、「外国人」の力を借りなければいけない、外からの(決して一極からの、ではない!)力を受け入れ、その多様なやり方を取り込まねばならない状況の下にあっては、なおさらそうである。
 この要因を重要視しない人は私の友人の中にもいるのだが、現今の我が国における、特に若年層での、排外主義的な民族主義の高まりは、子供の戯言というレベルを超えてきているように思う。中国や韓国といえば反射的に嘲笑・罵倒することようなことしか知らないような世代が主導的立場を握るとき、はたして我が国の命運はいかなるものになろうか。

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新年早々、長いですね(笑)。でも、上から下まで同意。よくぞ書いてくれました、という感じです。

>しかし、20世紀の歴史においてあれだけ影響力をふるったソ連が、建前としてではあれ、「諸民族の平等と自由」を掲げたことの歴史的意義は、決して過小評価されるべきものではない。

そうなんですよね。ソ連の歴史をあまり知らない人はともかく、知ってる人まで黙ってるのはどういうことなんでしょう。

>子供の戯言というレベルを超えてきているように思う

本当にそう思います。その意味で、昨年はかなりショックな年でした。

思うに、民族主義というのは国民国家にとって、必ずかかる宿痾みたいなものなのでしょうか。ある程度は仕方ないが、とにかく悪化させないようにしなくてはならない。大変なことですが、仕方ないのかもしれません。

気分を変えて。

多分、訪ロは来年(2010年)になりそうです。今年の第一の目標はサウジアラビアなので。。。でも、ロシアには、出来れば2度3度と行きたいと思ってますので、その時はよろしくお願いしますね。
中田れ
2009/01/03 15:12
新年早々ウザいエントリーですみません^^
民族主義的感情というのは、かなり「自然」に、生理的反応に近いもので、したがって煽られれば容易に盛り上がってしまうのでしょう。でもそんな感情だからこそ、どうにかして理性的に抑え込まねばならない、とも思うのです。ことに、我が民族のように地理的環境と歴史的経緯ゆえ外国との距離の取り方が下手なものたちにとっては。

今年来年と、油のあるところにばかり行かれるのですね^^ それはともかく、ぜひいらしてください。来年のほうが私も心の余裕ができている(ハズ)のでより良い対応が可能かと存じます。
kanay@Vc
2009/01/03 21:25

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