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zoom RSS D論 550枚

<<   作成日時 : 2009/02/23 00:14   >>

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 書き散らかしてきたD論、今どれくらいの量になったのか、と思って、組み立てた上で文字カウントしてみました。結果、550枚、150ページちょっと。ちなみに付録や目次・謝辞(まだ書いてないけど)、文献表等は含めておりません。
 なんだか、2年近く時間かけている割には、生産性低いな。いや、この2年間は、資料収集やら投稿論文の執筆やら留学準備やら静養やらに結構な時間をとられており、D論にかけた正味の作業時間は半年ちょっとにすぎないのだが、それにしても。書く際に感じている私の疲労感がいみじくも反映されています。夏までにあと(多分)300枚ぐらいは書き足して、第一稿として仕上げねばならないのだが。うう。
 なぜD論執筆が投稿論文のそれと比べてそれほど苦痛なのか、というと、たぶん、自分の中である程度見取り図ができていて結論も見えていることについて、長期にわたって微に入り細にわたり網羅的に書かねばならないような気がするからだと思う。一種の単純肉体労働で、新鮮味や挑戦感のある作業ではないのですな、要するに。とりわけ、今まで書いた投稿論文の中ですでに扱った話題について改めて引き延ばして書くのは、ある意味で楽ではあるが、つらい。
 もちろん、短い論文の執筆にも肉体労働的要素はついて回るのだが、それにしても、こうした論文の執筆にかける時間というのは、自分の中での「爆発」「書きたい情熱」を放出させる時間とうまくマッチすることが多い。勢いで一気にやってしまえるところがあるから、比較的楽なのだろう。

 若干話はずれるかもしれないが…世の中には同じネタの使いまわしを得意とする人もいて、そういった人たちは、同じ表題で多分同じ話題と思われることを繰り返しあちこちで発表している。まあそれには意味がないとは言わない(聴衆の顔触れが異なっていれば)。しかし、いつも思うのは、「飽きないのか、苦痛じゃないのか」ということである。少なくとも私は、特別な場合でもない限り全く同じことを二度(いくら別の聴衆を相手にしても)しゃべるのは苦痛で、今までも、できる限りそういったことは避けてきた。
 しかしそんなことも言ってられないのだろうな、これからの研究人生においては。たぶん「昔やったこと」についての話を求められることはあるだろうし、以前の論文を他言語に移すこともやらねばならないだろう。業績をある程度まとめて書籍化する、なんてことになったら、自分ではある程度わかりきっていることを長時間にわたって見直さねばならない。このあたりの作業の「気の進まなさ」と、皆さんどうやって折り合いをつけているのだろう。

 ちなみに今、去年書いた投稿論文に対して査読結果をもとに手を加えてもいるのだが、こちらはさほど苦痛ではない。内容こそなじみのこととはいえ、論文の構成や表現を見直して磨きをかける、というのはそれ自体が創造的な楽しい作業だからだと思う。

 ううむ、今日は愚痴みたいになってしまった(愚痴だよ)。

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