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zoom RSS しっかりしている(かもしれない)ロシアの学問状況、あるいは博士号に求められるもの

<<   作成日時 : 2009/05/27 01:14   >>

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 師匠と面談。詳細はこのブログにも貼り付けてあるTwitterを参照してもらうとして(笑)、まずまず上首尾の会談ではあり、上機嫌で帰ってきた。最近、研究所に行く時にはいつも「帰りはよいよい、行きは怖い」になっているような。

 ところで昨日の日記で書きかけたことだが、今回自分の博論の概要を簡単にまとめるにあたっては、ロシア人の友人の書いたD論概要(20ページ以上ある、本格的なそれ)を参照にした。これを見て思ったのが、この国では博士号を取る際にアピールすべきことが大変明確であり、それが論文提出の際に埋めるべきテンプレートに反映されていること、そしてまたこうした型を参照することが、博士論文を準備する人間にとっては、研究の指針を定める際に大いに助けになっているのではないか、ということである。
 こちらの博論では、どうやら概要に書くべき内容はかなり厳格に定められているようだ。もちろん分野によって違いはあろうが、私の参照した人文系の論文の場合、タイトル・構成・提出先等の形式的なこと以外に、以下のような項目が埋めるべきそれとして目につく。

・課題 ・学問的意義 ・新規性 ・方法論 ・対象範囲 ・先行研究の概略 ・研究が持つ(あるいは予想される)実践的成果
 
 このように厳格に項目を定め、書くことを要求するのはロシアに独自なことではなく、大陸ヨーロッパ(特にドイツ語圏)に共通する伝統だと聞いたことがあるが、まあそれはさておき。
 要するに、日本でも研究費を要求するときなどに書くような項目が並べられているわけだが、ロシアで博士論文を準備する者は、義務として埋めるべきこれらに立ち向かう段階で、自分の研究の様々な側面について言語化して他人に理解可能な形でアピールすることを求められるわけだ。まあこれらの項目をまじめに埋める博論生がどれだけ実際にいるかは別にして(私の友人は割と真剣に、厳密に書こうとしているように見えた)、重要なのは、「どのあたりを明確にすれば学問的に価値のある、博士号を与えるに値する仕事とみなされるのか」という基準が、これらの中に示されていることであろう、と思う。
 日本では私の知る限り、博論の概要といっても、何も書式は与えられないまま5ページ程度のおざなりの要約を提出することを求められるだけだが、これは博士号の持つ質の維持という点からいって危険なものをはらんでいるこように思う。もちろん、本人に何をするべきかの自覚があり、指導教官・レフェリーともにしっかりしていれば、長々とした概要など書かなくとも問題はないかもしれない。しかしそうでない場合、到底アカデミズムにおける要件を満たしていない論文に対して博士号が与えられてしまう、ということが(可能性としては)起こりかねない。
 このほかにも、私の見るところ、日本で人社会科学系の博士課程学生や若手研究者の多くがなかなか自分のオリジナルな成果を出せずに苦しんでいるのにも、上述したような要件をいちいち細かく(自分でも、指導教官と相談しながらでも)確認していくという過程が我々の学問的経験の中に決定的に不足している、という要因がかなり大きく働いているような気がしている。
 もちろん、形式をあまりガチガチに固めることには弊害もあろう。これまでの型にはまらないような斬新な研究が出てこなくなり、従来の方法論や目標を踏襲した成果しか生まれなくなるのではないか、という危惧もあるかもしれない。しかし個人的な見立てを言えば、現代日本の人文社会系学問では、学問的形式をとやかく言うために新規な研究が芽の出ないうちにつぶされることよりも、内実の怪しい、基盤のしっかりしていない「研究」が、分野そのものが目新しく流行しているからという程度の理由で大手を振ってまかり通っていることによる弊害の方が大きいように思う。
 こうした状況が、学問で要求される作法がわからないまま(何をやっていいか分からないまま)右往左往している大学院生(だけでなく、研究者全般)を大量に生み出す、という結果に結びついていないか、心配なことである。いや、他人事ではないのだが。

 ちなみに日本の博士号も、濫発は止めてもっとしっかりとした基準と審査に基づいて出してほしい…というと、私などは自分の首を絞めることにもなるが、一方で博士号を取得するには多大な労力が必要であるわけで、それにはやはり一定程度の対外的権威も求めたい(まあ平たく言えば、現代日本で博士号のありがたみがなくなっているとすればそれはちょっと困る)、というのが本音でもある。それにはやはり、取得の際の明確な基準の設定、ということも求められてしかるべきではないだろうか。これは若手研究者の教育という点だけでなく、アカデミズムの内実の質を保つという一般的目標に照らしても、無駄ではないようにも思うのだが。

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