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zoom RSS 研究者ってのも大変だ、D論書けてもその先が♪

<<   作成日時 : 2009/07/16 00:11   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 7

 一日エンジンかからず。家事と逃避のみ。昨日の二の舞。うう。
 まあでも仕方あるまい、こういう日もあるさ…と、こういう発想をすることが最近増えてきた。堕落? 二、三年前にはもっと一生懸命ガクモンしていたような気もするが。あるいは疲れてきたのか、この若さで。せっかく恵まれた環境で邁進できる機会が与えられているのだから、こんなんじゃいかん、税金ドロボー、という気持ちはどこかにあるのだが。


 ところでつらつら思うに、若手の研究者がD論を仕上げた後、危機に陥る、というのは実は結構ありがちだ(言っちゃあ悪いが、私の直接知っている人々を見てもそう思う)。つまり、新機軸が打ち出せず、D論からの切り出し以外に(ときには切り出しですら)新たな論文を書けなくなる。それは無論、ODの時代には食うために非常勤やらなんやらの仕事をたくさんせねばならず、それに時間がとられるから、そして運良く就職できてもそれはそれで忙しくなるから、というのが大きいのだろうが、それ以外にも、オリジナルな研究というのが多大な知的・精神的エネルギーを要するものであるから、ということがあるのではないか。D論を仕上げるほどの人であれば問題発見能力や一通りの研究遂行能力は当然備えているはずなのだが、エネルギー不足で次のステップに行けない場合が多いのかもしれない。
 かくいう私も、一応D論以降に新たにやることの検討程度はしているが、テーマがあっても動き出さねば仕方がないわけで、D論で燃え尽きたりしないかどうか、心配でもある。逆に言うと、一生適宜テーマを変えつつオリジナルな成果を出し続けることができる人っていうのは、それだけでとてつもないパワーを備えた非凡人なのだろうなあ。

 だいたいM論を通せれば一応研究者としてのスタートラインには立ったことにはなるのだろうが、その先の壁はいくつもある。なかなかオリジナル論文が書けない人、論文を公刊するまでこぎつけてもなかなかD論が仕上がらない人(私はいまこのへん)、D論が仕上がってもそこで力尽きている人、一応論文と称するものを書き続けてはいるが研究者なんだか評論家なんだかよくわからない存在になってしまう人…やれやれ、学問の道は険しく、そして終わりがない。月並みだけど。
 やはり凡人は学問など志すべきではないのか。ううむ。それを言ってしまうと。

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コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
私も現在D論を執筆している身ですが、わかります。
D論を仕上げた後、その焼き直しの論文しか書けなくなる先輩を見てきました。学位取得後も何本か論文を書きましたが、新たな問題がないので、過去の研究の焼き直しのような論文ばかりになるのが他人の目にも露わになります。結局、その先輩は、博論を出版した後、研究そのものをやめてしまいました。他の博士にしても、研究者を続けているが、明らかに失速している人は多いです。
結局のところ、多くの若手博士にとって余裕がなさすぎるのだと思います。学位取得後にすぐ就職できればいいですが、そんな人は稀です。大半の人は研究以外に様々な問題を抱えることになります。
ならば学位取得後すぐに就職できような人以外は研究するなと言われそうですが、そればかりは実際に大学院に入ってある程度研究してみないとわからないし。
そんなことを考えていると、博論を書いているのが憂鬱になってきます。
Vodka Man
2009/07/16 02:58
 Vodka manさま(なんて素敵なハンドルネームでしょうか笑)、コメントありがとうございます。
 やっぱりDを取ってしまったあと失速する人は多いのですね。もっとも、若手博士に余裕を与えれば論文が書けるようになるのか、と言うと、よくわからないところもありますが(昔の余裕ある時代だって、若手の研究者の大多数は論文を書かずにのうのうと過ごしていたのでは、と推測します)、食うにも困る状況があまり続いたり、あるいは食うための仕事にばかり従事していると、精神的にさまざまなことに気を取られて研究に集中できなくなる、というのだけは確かなように思います。

 さらに、現代では、首尾よく大学なりどこかに就職できたとしても、自分の研究のための環境はなかなか手に入らないのではないか、と思います。いや、時流に乗ったテーマを適当に提出して、それでもって得た費用で誰にでもできるようなことをささっとやってみせる、ということはやり易くなっているかもしれませんが。はは
金山浩司
2009/07/16 04:24
(続き)
 「就職するまでも地獄、就職してからも地獄」という環境の中で、いかに研究者としての志操を保ち続けられるのでしょうか…これは難しい
 ううん、やはり研究は物質的・精神的貴族でないとできないのでしょうか。そんな結論だけはぜひとも避けたい。避けるべきである。

 とりあえず…博論書くのは憂鬱ですよね。ただでさえ、こもる作業で、憂鬱なのに。完成させる意義がよくわからんとなればなおさらそうでしょう(いや、人ごとじゃないのですが)。やっぱり博士号には権威を与えるべきである、と思います。今の権威は低すぎる。適当に形式的に博士号を与えるな!!
金山浩司
2009/07/16 04:25
昔からよく言われる「博士号は足の裏についた米粒」という言葉を実感しながら、D論を書いています。実際、博士号は何の権威も権力も生み出しませんからね。何とかD論→出版というところまでは最低限やろうと思っています。その後のことは知りません…。

しかし、毎日、昼も夜もなく部屋に閉じこもって資料を読んで文章を書く生活は、きついです。飲酒量も増えますし。ロシアだと、いろんなウォッカがすぐ買えていいですね。羨ましい限りです。とっととD論を仕上げて、美味い酒が飲みたいものです。
Vodka Man
2009/07/16 12:25
まあ、こもっていると鬱になりますよね。我々のような長期にわたる自宅仕事の人間に重要なのは、散歩、睡眠、美食、笑いでしょうか(「異性は?」うーん)。精神衛生に気をつけつつ、お互い、乗り切りましょう。

ちなみにウオッカやらウイスキーを毎晩独り傾けて…というタイプの呑み方は、はっきりお勧めしません。廃人になります(笑)。呑むなら、一区切り終えた際に自分への褒美としてうまいワインや日本酒を…というのがいいような。
と言いつつ、昨日のコメントは、ウオッカを飲みながら書いてしまいました。すみません。
金山浩司
2009/07/16 18:25
二度目の投稿になりますが、身につまされる問題です。
私の場合は、少し前までは、博論に専念しようと、留学先に静かなアパートを借り引き篭もりましたが、視野が狭まり、対話能力が下がり、知的好奇心が衰退。その時期に書いた章の原稿は(つらい思いをして書いたのに・・・あるいはまさにそれ故)未完かつ退屈な出来なのでおおむねボツにしました。
今は篭もりすぎずに生産的な仕事スタイルを模索中です。
とりあえず学期中は博論生ゼミに参加し、本業をなげうつ勢いで予習していき、アタマをシャッフルさせ、他人のテーマの発表を聞いてます。同僚に友人を作り、ときどき勉強会や会食をするようにもしています。
たまには、隣接分野の講義を聴講します。興味のもてない(or聞き取りにくい)講義にもぐりこんでしまってイライラすることもありますが、視野広げる活動の一環なので許容範囲です。それでも、
日本にいたときは、新書やブルーバックスなどで専門外のテーマをたまに読むのが新鮮で楽しかったのに、そういう感覚を得ることは、できないでいます。
ブログを拝見させていただきつつ、私も頑張ろうと思います。
うぐいす
2009/07/16 21:47
うぐいすさん、コメントありがとうございます。色々工夫なさっているご様子、参考になります。自分に厳しい方なのだろうなあ、とお見受けしました。
私もこのところあまり専門外の本も読まず、テレビや新聞もおっくうで見る気がしない、と、ずいぶん視野が狭くなっているような気がします。博論に集中していると、専門外の勉強をしない言い訳が自分に対して立ってしまいますね。自戒したいところです。
もっとも現代ではネットを通じて様々な情報や思考に触れる機会があります(同僚の論文だって割に簡単に手に入ります)ので、そう厳格になる必要もないかもしれませんが。というか、私に限って言えば、ネットで時間を潰してばかりいないでもう少し専門の仕事に集中しないと(汗)
最近、悩ましいのは面白いブログが多すぎることです。作業の邪魔になってしようがない。みんな、もう少し書くのを自重してくれ(笑)
金山浩司
2009/07/17 00:59

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