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zoom RSS 1938年、モスクワの日本大使館関連の椿事

<<   作成日時 : 2009/12/20 01:54   >>

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 D論を提出後、自分の専門に関する文献は目にしたくなく、実際目にしていない。その代わりというべきか、専門とはややずれる本はわりに読んでいる。そのひとつが、1990年代にフランス語で出た、あのベリヤの息子、セルゴ・ベリヤ(ロケット技術者)の手による父親の評伝である(私が読んでいるのはもちろんと言うべきか、ロシア語版)。驚くべきエピソードの連続で、いろいろと紹介したいところがあるのだが(というかこの本、日本語で出ないだろうか)、本日は、日本大使館がらみで1938年か39年に起こったというできごとを取り上げてみよう。
 1938年、当時10代半ばだったセルゴは、父が内務人民委員部本部に所属するようになったのに伴い、トビリシからモスクワに引っ越してきた。そこでは彼の学業の継続のことが問題になったのだが…

私は地区の学校〔シコーラ、ソ連・ロシアの初等・中等教育機関、だいたいみな6歳ごろから17歳ごろまでここで学ぶ―引用者注〕に編入した。これは日本大使館の向かいにあった。フットボールで遊んでいる際に、我々の球が大使館の窓ガラスを破壊する事件が頻発していた。ある時日本人たちは外務人民委員部に抗議を申し入れ、我々の学校は別の場所に移転されることとなった。結果、私はヴァーシャ〔スターリンの次男ヴァシーリー―引用者注〕とスターリンの娘スヴェトラーナ・アミルーエヴァが学ぶ学校に入りなおした。
Серго Берия. Мой отец Берия. в коридорах сталинской власти. М.: ОЛМА-ПРЕСС, 2002. стр. 54.)

 まあこれはあくまでセルゴの回想で、すぐさま信じるわけにはいかないかもしれませんが。
 しかしまあ、戦前の日本人つえ―!! 
 って、ネット右翼連中が喜びそうな話ですな。
 あるいは、当時のソ連の中学生って結構…

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