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zoom RSS ショスタコーヴィチとチェーホフ、トゥハチェフスキーとロスチャイルド

<<   作成日時 : 2010/03/24 13:02   >>

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 ロシア国立人文大学で私が今出ているロシア語の授業の一つでは、ひたすらチェーホフの短篇を読破してゆき、先生の解説を受け、討論する、ということをやっている。昔から自分にある文学コンプレックスを払拭しようという気持ちもあるのか、結構我ながら熱心に授業に参加しているように思う。

(余談だが、この文学コンプレックスというのもよくわからない感情である。私の専門分野を研究するにあたって、文学の知識は、少なくとも直接的には必要ない。実際、私の知る限り、科学史家・技術史家たちは詩も小説もろくすっぽ読みはしない。にもかかわらず自分が文学を知らないことに負い目を感じるというのは、知識人であるためには文学の素養が必要不可欠と私が心のどこかで考えているからだろうか。これは何と言うか、ロシア人の態度に近いような)

 否、コンプレックス云々以前に、とにかくチェーホフの短篇はみな味わい深く、それを読んでいくというのは最高のぜいたくな時間の過ごし方であるように思うのだ。しかも専門家の先生の解説がつくというのだから。楽しめるわけである。

 先日は「ロスチャイルドのヴァイオリン」を読んだ。どうも何とはなしの既視感を覚えたのだが、授業のあった日に、日本から持ってきた『ショスタコーヴィチの証言』をたまたまひもといていたら、次のようなフレーズを見つけ、あっと気がついた。ショスタコーヴィチが、若いころ親交をもっていた、そしてスターリンにより銃殺された傑出した軍人、トゥハチェフスキーについて回想する場面である。(これをショスタコーヴィチ自身が本当に語ったのか、それとも編者のヴォルコフによる創作なのか、さしあたってそれはこの際どうでもよい)

トゥハチェフスキイの作ったヴァイオリンを、今だれが弾いているのだろうか。もちろん、無事に残っていればの話だが。それらのヴァイオリンが哀れをもよおす音色を出しているのではないか、と思う。

ヴォルコフ(水野忠夫訳)『ショスタコーヴィチの証言』(中公文庫、2001年)、225-226頁。

 「ロスチャイルドのヴァイオリン」は日本語にもなっているのでご存知の方もいようが、人生の最後になって、無駄に過ぎ去った来し方を振り返った老人が、今までいがみ合っていた音楽家ロスチャイルドに自分のヴァイオリンを形見として与える。老人の死後ロスチャイルドの奏でるヴァイオリンの音色は恐ろしく哀しく、聴く人の魂を揺さぶる、という話である。『証言』を今まで何度か私は読み返しているが、上の引用部分は今まで何の気なしに読み飛ばしてきた。しかし、今や、この部分の記述が明らかにチェーホフの短篇を念頭に置いていること、短篇の主人公とトゥハチェフスキーとが重ねあわされていることをはっきり理解した。こんな程度のことに今さら気付くとははなはだ不明の至りではあるが。

 豊富な伝統を背後に持つロシアの芸術家たちは、今もなおこのような仕掛け、パロディーをふんだんに作品の中に忍ばせているのであろうか。

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