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zoom RSS 博士課程を振り返るその六(D5の頃)

<<   作成日時 : 2010/06/19 07:25   >>

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 回想録もD5まで来てしまった。がけっぷちのイメージが強い、博士課程5年目である。いい加減そろそろ博士論文書きあげるんだろうな、と、若い世代の方々はお思いかもしれませんが、ところがどっこい、まだなのです。この年度(2007年度)は、はじめての本格的な長期現地(私の場合はモスクワ)滞在と帰国、そしてそれに引き続く成果発表の日々であった。博士論文を本格的に書き始めるまでにはまだ少々間がある。
 皆さん、呆れておいでだろう…慎重すぎる、というか、のんびりしているというか。私もそう思うが、振り返れば振り返るほど、あのように過ごし、あのような博士論文を書くしかなかったようにも思える。過去の正当化に過ぎないと言われればそれまでだが。

 留学は、いずれしなければいないのはわかっていた。ところで、博士入って5年目にしてようやく本格的留学、というのは遅きに失している、という感を抱かれるかもしれない。しかし私は、あと知恵かもしれないが、この留学が時宜を逸したものとは必ずしも思っていない。このエントリーの主題ではないので詳細は省くが(かつて留学の時期については書いて活字にしたこともある)、現地に行ってじっくり史料調査をするべき時期、というのは、分野と研究の進み具合によっては、必ずしも修士修了後あわてて設定しなくてもよい場合もある、というのが今のところの私の考えだ。

 話を戻す。この年の6月中旬から11月下旬まで、私はロシア国立人文大学なるところにヴィザとすみかを厄介になりつつ、モスクワの図書館・文書館に通い詰めた。いつ頃渡航に関する手続きをしたのか覚えていないが、何せ何も紹介もコネもない個人資格での交渉、ろくすっぽ相手にされず、向こうからの返信もなかなか来ずに、やきもきしたことを覚えている。ようやく予定が固まってからも、長期滞在を前にした不安のせいか、渡航前半月は不眠と無気力に悩まされる日々が続いた。
 留学というのは、こうした精神的時間的ロスが大きいので、やはりホイホイとできるものではないし、いつでもだれにでも薦められるものではないですね。

 4-5月はこの留学への準備のほか、博士論文の執筆開始と、学振特別研究員(PD)応募書類作成に追われていた。後者はついこの間経験した人も多いと思うが、はじめてのPD申請の際にはとにかく書類を書くのが大変で、博士論文のイントロを書くのと同じぐらいの精神力が要求される。これと同時期に、私はまさにD論のイントロ部分を書いてもいたのだが、5月に入ってからは同時並行作業に耐え切れず息切れしてしまい、中旬以降は確か寝てばかりだった。ともかく5月下旬、どうにか申請書を提出し(この年は結果的には見事に落とされた)、来るべき留学にもろもろ備えた。
 5月から6月にかけて、息も絶え絶えになりながらも、某所からの書評Cの依頼をこなした(依頼が具体的にいつだったかは正直覚えていない)。前年に出た、ソ連科学技術史に関する、お世話になっている某先生の大作に対する書評依頼だった。ちなみにこれ以来、私のもとに書評の依頼は来ていない。書評を書かせるには危うい人物と目されたのか、それとも単に私のレパートリーが相当狭いものと思われているのか。コネが足りないのか。いずれでもあるのだろう。

 6月中旬、モスクワに赴き、人文大学の寮に入寮した。それまでの不眠症はウソのように直り、図書館・文書館通いが開始された。この時期、日本その他から来ている、重要なソ連・ロシア研究の若手研究者同僚たち―日本では接点がなかったような―とも知己を得ることになる。
 公的な受け入れ先は人文大学だったが、実際に私が最もかかわりをもっているモスクワの研究機関は、科学アカデミー(これは日本や欧米の研究者たちには説明しにくい組織であるが、まあ、研究専門機関です)の科学史・技術史研究所であった。夏の休暇が終わった後、この研究所にて私の指導教官と話すうち、10月のセミナーで発表しろ、ということになった。
 この時、私はそれまで発表してきた論文とは少し違うテーマを持っており、それを取り上げてみようと思った。たいして時間的余裕がない中でそれをまとめようと思ったということは、多分モスクワに来るまでにそのテーマに関する主要史料を精読して読書メモをとるぐらいのことはやっていたのだろう(訪露以降は新たな史料読みに忙殺され、この発表で扱った史料に関する仕事をする余裕はなかったと思う)。日本でやってきた史料読みと考察をまとめ、新たな知見をロシア人たちに提示する絶好の機会だ、と私は判断したのだ。
 文書館での仕事と並行して作業し、かなり無理があったが、慣れぬロシア語でとにかく発表原稿1時間分を一ヶ月でまとめ、発表に臨んだ。学術関連の口頭発表であれほど緊張したのは、今に至るまでない。ロシア人同僚たちの反応は複雑で両義的だったが、私にとってはともかく、重要なステップだった。一定の自信もついたし、彼我の学術スタイル・基本的な諸前提の共通性と相違が、この時にかなり明確になった。
 この時期は、学術上も、そして寮内での交友関係でも、充実していた。物質的環境は今までの人生の中で最悪であったが、精神的には最も充実した日々だったと思う。この時期の知的・精神的交友関係の一部は今なお、私にとって不可欠のそれとして、続いている。

 11月、図書館文書館で読んだ史料に関するメモの束(大した量ではないが)を抱えながら、私は帰国した。帰国後すぐ、かねてから話のあったソ連史研究者を集めたシンポジウムのための論文書きの期日が示された。論文をまるまる書かねばならない、というのはこれまで知らされなかったことであり、かなり焦った。ともかく、シンポジウムに間に合わせなければいけないので、全体の趣旨に無理やり合わせる形で、私の今までやってきたことをまとめ直すような論文を一ヶ月で書いた。これが論文…なんだっけ・・・Hの原型である。これは私が科学史ならぬソ連史業界に対して初めて自身の考察を提示した機会となった。
 このほか、12月には、来年度以降身分がなくなってしまうということで、背水の陣で(というほどでもないが)某留学奨学金への応募準備を進めていた。しかしまあ、30種類に及ぶ書類とそれぞれを10部以上複写したものの提出を要求され、うんざりした。―ということを官僚の友人に愚痴ったら、「お金を出す、ということは大変なことなんだぞ」と諭されたのを覚えているが、30種類以上、という数に関しては、私は未だに納得していない。
 このほか、10月の発表をもとにした論文(論文I)もこの時期に書き出していたような記憶がある。こうした、諸々の作業を進める力があったのは、やはり充実した留学生活の余波のおかげであろう。
 1月、論文Hの原型をもとに、シンポジウムでソ連史研究者たちの前で発表した。この時に一緒した人たちとはその後も交流が続いており、その交流はのちに、具体的な学術的成果となって結実することになる。
 2月中旬、都内某所の小さな研究会の席上で、論文Iを発表した。この論文は、前年10月のロシア語による発表を下敷きにしたものだったので、書くのにそこまで苦労はしなかったかもしれない。あくまで比較的に、ではあるが。
 しかしこの発表後、私は無気力に陥った。前年春からずっと続く緊張状態と、ここでは書きにくい諸々の出来事により、精神的に消耗していたのだろう。2-3週間何もせずに過ごしたような記憶もある。

 3月、ふと思い立った遊びの発表をすることにした。1-2年前から気になっていたとある日本国内の思想史上の論争について、とあるSTS関連の研究会で発表する気になったのである。まったくお門違いなのだが、扱うテーマは面白いように思えるにもかかわらずSTS領域ではだれもやらないように見えたので、まあ私が遊び半分、やってみるか、ということにしたのである(白状すると、STS関連での業績を何か作っておきたい、という不純な動機もあったのは否めない)。その場の聴衆の反応は悪くなかったが、何だか、これを論文化するにもどうすればよいのか分からず、以来、今に至るまで2年以上、放置している。論文化には私などよりもっと適任者がいるように思うのだが。
 3月なかば、30種類以上の書類を提出した例の奨学金の選考結果が出、私は翌年度のいずれかの日から二年間、再びモスクワに留学させてもらえることになった。このモスクワ行きは思ったよりも後になったのだが、それについてはまた改めて。
 4月、都内某所で研究発表をする機会を得た。当初、とあるソ連の科学哲学者に関する発表をしようかと思ったのだが、まとまらず、とりあえず、前年の文書館で得た新しい歴史的事例に着目した論文もどきを仕上げた。これが論文Jの原型である。この時期、私の心身の状態はいろいろあって最悪に近かったように記憶しているが、それでも論文をどうにか書きあげられるとは、やはり、実地に得た具体的なデータ(史実)というのはありがたいものである。

 あ、次年度のことまで書いてしまった。今日はここまで。
 つづく…かも

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