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山荘で共同体の基本原理についてうだうだ考える

2011/08/11 02:29
 軽井沢に避暑に来ている。かつて所属していた研究室の後輩の知り合いがオーナーであるところの、山深いところにある邸宅を、そのオーナーのご好意でしばらく貸していただけている。今回、そのかつての所属研究室の後輩(上述した者とは別の人物)と二人で来ているが、実は7月下旬にも同研究室の人間が大挙して(といっても私を含めて最高5人程度だが)押しかけており、研究室合宿、もしくは研究室の院生ルームをそっくりこの邸宅に移してきたといったような様相を呈していたことがあった。
 珍事件も起こった、なかなか楽しい共同生活であったわけだが、ふもとの町まで車で行くしかない、二人を除いては車の運転ができない、という物理的には孤絶した状況の中にいると、共同体を作って生活するという人間の基本的習性が持つ性格について考えさせられることがある。私が言いたいのは、結局共同体では食料分配の問題が決定的に重要な意味を持っており、これを巡って暗黙のうちに公正さとバランスを保とうと、構成員はさりげなく努力するものである、ということである。いや、これは地方で大家族で暮らしている人などにとっては当然すぎる話かもしれないが、普段、大都会の真ん中で一人暮らししており、食料など気が向いたときに買いに行けばいい、と思っている私にとっては新鮮であった。
 山の中にある邸宅では、もちろん備蓄されている食料の量は一定程度を超えることはない。買い出しに行けばよいのだが、それも、いつでも思い立った時にとはいかない。近所の人たちと食糧を融通しあうほどの関係は築けていない。構成員同士は、研究室の仲間とはいえ、まあ赤の他人であり、お互いに対する無償の愛などは(言っちゃ悪いが)期待できない。この状況下で5人もの人間がいると、だれが調理し、それをどう配分するかが、皆の日常における基本的話題―それも、最重要な―として立ち現われてくることになる。そこでは、今から思えば、自分だけはくいっぱぐれないようにという利己主義に対して、共同生活の秩序と人間関係を壊さないようとする配慮を何とか対置させようと、構成員全員が、日々さりげなく努力していたように思える。「**さん、どうそ**を食べてください」という優しいセリフが食事時になると頻繁に飛び交っていたが、それは、われわれが育ちがよいせいか食べ物にがっつかないということもあろうが(ただし、この点に関しては例外的人物もいなかったわけではない)、共同体の互助的状況なんてものはそうした食料分配に関する配慮を全員が常に示すことでようやく保たれるものである、ということの裏返しかもしれない、と思った。

 ところで、今や収監されてしまった鈴木宗男は、所内で炊飯掛を引き受け、公正な分配が行われているか目を光らせているという。上記のようなことを考えるにつけ、さすが彼は元大物政治家、政治の、ということは人間の共同体を運営していく際の調整の、肝をわかっているなあ、と感心させられる。
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