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みんなの「ロシアあるいはソ連」ブログ


ロシア史研究会年大会(10月22日‐23日)

2011/10/19 19:13
 ロシア史研究会が年に一度開催する大会が、来たる22日、23日に青山学院女子短期大学で開催されます。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jssrh/taikai/index.html
 個人的には瀧口順也氏(北海道大学スラブ研究センター・非常勤研究員)の「ボリシェヴィキ党大会(1927−1934):スターリニズムの演出と舞台装置」とオルガンコンサート(爆)に着目しています。瀧口氏には2007年夏にモスクワでお会いしたが、研究にかける熱意に圧倒された記憶が。
 あと、来週頭の授業で日露戦争の話をすることだし、日露戦争関連の報告も聞き逃せないですな。

 そういえば、青山学院女子短期大学というのは、非常勤含めて4人(5人だったか)の、科学史を専攻する先生が教えています。科学史技術史教育が異様に充実している短大としても知られています(知られているのか?)。
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ジョージ・ソロスはこんなヤツだった―ある科学史家の回想より

2011/10/15 23:42
 ハンガリー生まれの投資家・慈善家であるジョージ・ソロスが、ウォール街での格差社会反対デモを裏で支援しているという話があるそうだ。 (ロイター通信記事
 米国でもかなり上位に名を連ねるという大富豪にして、格差社会への反対者とは、何とも奇妙ではある。このソロスという矛盾した(ように見える)人格について、米国の高名な科学史家(ロシア・ソ連科学史が専門)であるローレン・グレーアムが回想している。グレーアムは1990年代前半、崩壊後混迷を極める旧ソ連の科学・技術を援助する、ソロスによって設立された資金の顧問を務めていたのだ。この種の基金はいくつかあったが、ソロスがこの領域に進出するや、ほかの米国の基金はその存在がかすんでしまった。それほど、ソロス基金から供出された援助は莫大なものだったらしい。

 グレーアムによればソロスは「子供のころから黙示録的な幻想にとらわれていた」複雑な人格の持ち主であるという。「こうした幻想を制御こそしたが抑え込むことはしなかったということもあり、彼は史上最も成功したヘッジファンドのマネージャーとなった」(Loren R. Graham, Moscow Stories (Indiana UP, 2006), 263)。
 ソロスは自らが誤りを犯しうる存在だと進んで認めることができたと同時に、恐ろしく傲岸不遜であったとグレーアムは述べており、そのために耐えかねて顧問を辞そうかと思ったこともあるほどだったらしい。
 ソロスのやり方は時に実に荒っぽかった。1992年、ロシアの科学者の経済的な窮状が伝えられる中で、ソロスは一人当たり500ドルの資金援助を決意し、グレーアムに向かってこんな難題を出したとか。「ローレン、君はロシア科学のエキスパートだろう、旧ソ連で最良の科学者2万人の名簿を提出できないか。」(Moscow Stories , 265)グレーアムは非常に驚愕した―このやり方をとろうと思えば、どうやって最良の科学者を選ぶのか、金をどうやって届けるのか、問題は尽きない―が、ともかく数週間以内にやり遂げたというからあっぱれなもの。
 ソロスの慈善事業はロシアのマスメディアには疑いをもってみられ―頭脳流出を促している、文化的侵略をたくらんでいるなど、当時、ソロスに対する中傷記事が多く見られたそうだ―、彼は傷つき、この分野からやがては撤退していく。グレーアムはこれらの中小は濡れ衣であるとしながらも、ソロスが慈善事業と投資事業との区別をやがてあいまいにしたことについては残念に感じている、という。1996年にはソロスはロシアのある放送局に投資するようになっていった。これ以降、グレーアムも―彼の善意に対する信頼は保ちつつも―彼の基金にかかわるのをやめてしまった。

 グレーアムは次のように書いている。「ソロスの投資家としてのきらめきには、哲学者、利他主義者、改革者としての動機が混ざりこんでいる。あまりに財産を持っているがため、ソロスが行うことはみな、よいことも悪いことも、規模が膨大になり、そして彼のあらゆる特徴―善意、強欲、莫大なエゴ―は、目も眩むほど、大きく映し出されるのだ。」(Moscow Stories , 275)
 強欲にしてはかりしれない善意の持ち主。吝嗇にして豪放。謙虚にして傲岸。資本主義システムにおける最強の勝者の一人でありながら同システムへの反逆者。なんとも、矛盾と魅力に富んだ人格ではある。
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溪内謙先生の思い出

2011/02/14 03:33
 ソ連史研究の泰斗、溪内謙先生と初めてお会いしたのは2000年の秋、卒業論文を書いている時期ではなかったかと記憶している。当時の指導教官(まだ「教員」ではなく「教官」と呼んで構わない時期であった)、佐々木力先生に連れられ、岩波書店本社にて定期的に行われていた「ロシア革命研究会」に参加させていただき、その場で引き合わされたのである。研究会には内田健二氏、鈴木義一氏、中嶋毅氏、森田成也氏、桑野隆氏、浅岡善治氏、佐藤正則氏等々、ソ連史研究の第一線で活躍しておられる錚々たる顔触れが集まっており、ロシア革命に関する重要史料を訳出編纂した史料集を公刊することを一応の目的として、研究報告等を行っていた。
 まだ何者でもない、ソ連史研究に足を踏み入れたばかりの私にとって、一流の研究者たちの間に交じってのこうした会合は、ありがたいと同時に、率直に言ってずいぶんと緊張を強いられるものであった。研究会の席でも、その後の懇親会の席でも、当初は縮こまったままただただおとなしくしていたような記憶がある。そうした中、最年長の溪内先生は、その年輪の持つ重厚感のようなものにより、かえって最も近づきやすい対象のように感じられた。ある時懇親会からの帰り道で、研究者としての実力・方向性に関する不安のようなものを―今の私に言わせれば、こういった感情は若さゆえの無知と傲慢に起因していたわけであるが―、酔った勢いもあってこぼしてしまったことがあった。そのとき先生は、憮然とするような表情は全く見せず、「ああ、僕の若いころにもそういうことがあったなあ」と同情するような言葉をかけてくださったように記憶している。おそらく、1950年代半ばのアメリカ留学時代―E・H・カーと出会う以前のころ―のことをおっしゃっていたのであろう。先生は、実によくしゃべる―失礼!―他の研究会のメンバーの中にあっては、全般的に活発に発言するほうではなく、また、発言するにしても自身の老いに関して愚痴をこぼされるようなことも多かった。当時、先生は最後の著作『上からの革命』の執筆に従事していたわけであるが、その仕事が若いころのようにてきぱきとは進まない、というようなことをおっしゃっていた。しかしそうはいっても、先生は75歳を超えてなお矍鑠としておられたように思う。口を開くことは上述したようにまれであったが、学問的・批判的意見を吐かれる際は実に厳しく、その意見の直接の対象でない(というより対象になどまだなっていない)こちらも、背筋を正される思いがした。
 修士課程に進学しソ連科学史に関する勉強を本格的に開始した私には、読まなければならない科学史・ソ連史の基本文献は―中世史や古代史、神学、古典学におけるように山のようにあった、というわけではないにせよ―たくさんあった。その中には、溪内先生の一連の作品―『思想』掲載の諸論文、『現代社会主義の省察』、『現代史を学ぶ』等の―も含まれていた。特に、『現代史を学ぶ』(岩波書店、1996年)は何度読み返したかわからないほどである。この書物は、私にとって歴史学の方法論、歴史に対処する際の心構えの基本を説く、バイブルとなったし、今でもあり続けている。ここでは先生の主要テーマである「上からの革命」期のソ連農村における政治的転換についての論評はしない。それは私の任に余ることである。この分野においては若い世代の研究が次々と出ており、それに照らして批判され正されるべき点も多いのであろう。しかしいずれにせよ、この時期のソ連政治の―農村行政にとどまらない―変質がスターリン体制の確立を決定づけたこと、スターリン体制の確立というものが、ソ連一国の歴史はもとより、20世紀の世界史の潮流を一面において決定づけたこと、こうした基本的な歴史観については、私はまさに先生の著書群から学んだのである。
 修士論文を通していただいた直後であるから2003年の4月のことと記憶するが、私は先生に誘われて、本郷界隈のオフィスにお邪魔した後、イタリア料理店に連れていっていただいた。その際の会話の中では―これは書きとめておくに値すると思うのだが―ご自身の、知的来歴について少しうかがうことができた。戦時中も戦後も、大学の先生の誰一人として、あの戦争は間違っているとは言ってくれなかった、それに対する疑念が研究の出発点になった、という内容であったと思う。そのほか、帝政ロシア史プロパーの人間に見られる「ロシアは結局こうでしかない、発展など考えても仕方がない」という宿命論に対しては大いに違和感を感じておられること、宗教団体の思想や振る舞いに一般に不信感を抱いておられること―これは先生の出自がお寺であったことと関係しているのだと思う―などをお聞きした。「人間というのは厄介なものだね、猿であれば持っていないような、未来に対する気遣いと期待をどうしても持ってしまう」「晩年になると、ゲーテもそうだったらしいが、どうも考え方が悲観的になってしまう」といったお話も印象に残っている。そう書くと何だか暗い話ばかりをされたように思われるかもしれないが、そうではない。これほどの大学者が、最晩年に至ってもなお、自己や他者に対する批判精神と、安寧に陥らない厳しい探究精神とを保ち続けていたこと、そのことを私は言いたいのである(この緊張感は、遺著『上からの革命』においても一貫して看てとることができる、と思う)。
 そういえば地下鉄駅前での別れ際には、丁寧な脱帽・握手をされていた。あの立ち居振る舞いはイギリス仕込みでもあったのだろうか。

 先生とはそれきり、お会いできていない。もう一度、今度は鰻をご馳走していただけるようなことをおっしゃっていたのだが、その約束は果たされていないままである。今日2月13日は、先生の8回忌である。
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トレチャコフ美術館のレヴィタン展に行ってきた

2011/01/21 04:33
 トレチャコフ美術館の新館(20世紀以降の品々が主として展示されているほう)では、今、風景画家イサーク・レヴィタンの特別展をやっている。彼の生誕150周年を記念してのもので、ふだん同美術館の旧館に収められているものだけでなく、外国の美術館にあった彼の作品や、書簡などもあわせた、レヴィタン完全展、とでもいうべき大規模なものである。本日見に行った。

 レヴィタンといってもわが国ではなじみがないだろうが、19世紀末を代表するロシアの風景画家で、チェーホフとの親密な交遊などによっても知られている。写実的で手堅い画風ながら、пейзажа настроения ―心象風景画とでも訳せばよいのだろうか―とも言われる、静かでかつ屹然とした内面世界を投影したような絵によって、見る人を惹きつける、そうしたタイプの画家だ。
 以前トレチャコフ美術館本館に行った時、まああそこに収められているのは19世紀までの肖像画や風景画がほとんどで、正直私にとっては若干退屈だったのだが、それまでまったく知らなかった彼の画の前でだけは、目を見張らされる思いがしたものだ。風景画というものにまったく興味を持っていなかった(罰あたりで不教養な)私を虜にした画家であった。
 今回の展示では、20歳そこそこの若いころから晩年―彼は40歳の若さで亡くなっているのだが―に至るまでの、詩的で緻密で、寂寥感と具象世界を超えていくような雰囲気とを漂わせた名画の数々を堪能してきた。

 モスクワ在住の方(このブログの読者に何人いるかわからないが)は、3月20日までやっていますので、是非お訪ねあれ。月曜以外は、10時から18時半まで(木曜日はありがたいことに21時まで)入場可能です。

http://www.tretyakovgallery.ru/ru/calendar/exhibitions/exhibitions2160/
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「テロリストの回想」を読み始める―あるいは、1920年代ソ連の出版事情について若干

2011/01/15 06:01
 住んでいるアパートの入口ロビー(広いものではないが)には、住民が置いて行ったと思しき本を陳列するコーナーがあり、適宜借りていっていい、ということになっている。こんな、住人以外入れない場所にごく少数の本を置いておくよりは、図書館等、より広いパブリックな場所に寄贈するほうがいいのではないか、と思うが、まあそうは言いつつ、たまに眺めてみたりしている。
 今日、そこで何げなく手に取った本が、エスエル党(社会主義者―革命家党)の活動家、ボリス・サヴィンコフ(Борис Савинков)の回想録を中心とする著作集だった。サヴィンコフは帝政ロシアの高官を暗殺する等の活動に携わり、1925年、ソ連の監獄内で自殺した人物である。部屋に持って帰って読み始めた。

 まだ他人の手による序文部分しか読んでいないので内容そのものについては論評しないが、とりあえず目を惹く外的事情として、この、1990年に出た本が、1924年、1928年に出版されたサヴィンコフの本を再構成したものである、ということがある。むろんこれらの本は地下出版ではなく、ソ連国家の出版局の手により、ソ連領内で出されたものである。
 1928年版への序文なるものも同書の中に採録されているが、なるほど、この、「マルクス主義者からナロードニキに逆流していった」人物に関する解説は手厳しく、すでに亡き著者をほとんどこきおろしているといってよい。しかしとにかく出版はしている。

 ソ連政権のイデオロギーからすれば好ましくない人物の著作に対してこうした対応が取られた同様の事例は、私が知っているだけでも他にもある。特にどうということのない(目新しいというほどのものでもない)話かもしれないが、1920年代のソ連ではこの程度の措置は部分的かもしれないがとられていた、という歴史的事実だけ、ここに記しておく。
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都市に込められた歴史性―ロシアの二大都市で過ごしてみて

2010/09/28 05:22
 今月は、ロシアを初めて訪れる日本人若手研究者の何人かに対して、モスクワを案内して差し上げる機会があった。まだ新鮮な視点をもっている外国人がこの国のどこに引っ掛かりを覚え、どこから強い印象を受けるのかが思い起こされた。そういう意味で、もはやすれっからしとなってしまったかもしれない私にとっても、彼らとは少し別の意味で、これはなかなか新鮮な体験であった。
 彼らからはいろいろ面白いコメントが聞けたが、かも氏―このブログのコメント欄でも時々登場している―のコメントはとりわけ興味深いものであった。かも氏が現在在住しているドイツ西部のボーフムという街は、まだ来歴が新しいこともあって(また地方の小都市であることもあって)、その街が背負ってきた歴史を感じさせる建物等の文化的遺産に乏しい。それに対し、モスクワにはそういった遺産がふんだんに集中してみられる。この集中ぶりは後発帝国主義国の特色なのではないか、と(私の理解したうえでは、ということです。かも氏がこの通りのことを言ったかどうかは定かではありません…)。
 確かに、言われてみれば、―後発帝国主義国云々はともかくとして―モスクワという街は中心部を散歩するだけで、由緒・いわれある(あるいはよくわからないままにもいかにもそういったものを背負っていそうな)建物に、数十メートル歩くごとに行きあたることができる。これが、私が今一時滞在しているペテルブルクとなるとさらに極端で、この北の都の目抜き通り(ネフスキー大通り)ときたら、19世紀から基本的な街並みや建物の構造は全く変わっておらず、街全体も革命前ロシアの景観を保存する巨大な建築博物館のようになっている。まあ、こうした整然たる風景が形作られたのはおそらく、ロシアが伝統的に中央集権的な政治体制を採ってきたことと無関係ではないが、そのことの善しあしは措くとして風景だけを見るなら、とにかく圧巻である。
 こういった街に暮らしていると、何もここで生まれたわけでもなければここに特に愛着を覚えているわけではなくとも、この地において数百年にわたる人間の創造的建設の努力があったこと、一つ一つの建物に明確な個人の(あるいは集団的な)意思が集約され具現化されていること、その遺産が今でも利用されていること、を否が応でも意識させられる。ここで生まれ育った者、あるいはここに興味を抱いて移り住んできた者であればなおさら、この意識は強まるであろう。人によっては街の歴史に対する大いなる興味が、あるいはそうした歴史を世代を超えて伝えていきたいという強い欲求が、呼び起こされるであろう。実際、モスクワとサンクト・ペテルブルクの本屋には、両都市の来歴を詳しく図入り・写真入りで解説した本が、それこそ何十種類も置かれている。そしてそれらのほとんどはロシア語で、すなわち外国人観光客向けではなくロシア人に(もっと言うならその土地に住む人々に)向けて、書かれたものである。
 翻って我が国の都市と文化は…と言えば慧眼なる読者にはあとの展開があからさまに見えるであろうし、言うだけ野暮な気もするので、これ以上多言は費やさないことにする。ただ一言だけ贅言するならば、国の代表的な諸都市に次々と新しいものを導入することに熱心なことと、自国の(あるいは他国の)歴史を顧みず、過去に立ち返って現在の指針を求める(あるいは他国を理解しようとする)姿勢に乏しいこととは、―どちらが鶏か卵かというのではなく―おそらく表裏一体の関係にあるのではないか。無意味な仮定ではあるが、我が国がもし、近代以降、代表的諸都市において集権的体制のもとで都市計画を綿密に立てたうえで建造物に対する頑固な保護を行っていたならば、いま「歴史コミュニケーション」に対して歴史家が割くべき負担はかなり軽減されていたかもしれない。
 ロシアに、というより西洋という「歴史臭い」―永井荷風が確かどこかでこの表現を使っていたような―場所に、そしてとりわけモスクワのような街に、身を置いていると、私自身歴史家のはしくれのつもりでもあることもあり、ついこのようなことを考えてしまう。上述したことは私が言いだしたことでもなければ、私自身、昨日今日に気付いたことでもないが、今回、観光案内などを試みる際にふと改めて思ったので、書きとめておくことにした。
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モスクワに帰ってきた

2010/09/05 14:21
 くそ暑い東京から、昨日(9月3日)、モスクワに戻ってまいりました。
 シェレメチェヴォ空港に降り立ったときから、「またこのややこしい国に来てしまった」、あるいは「またモスクワかよ、少々飽きてきたぜ」、という感情のほかに、なんだかんだ言ってここは今の生活の拠点、安心できるよなあ、という感情も湧き上がってまいりました。
 これには気温の問題もあるかもしれない。東京で過ごす10日間、連日深夜になっても下がらない気温と湿度に、うんざりしていた私は、今のモスクワの、日本で言えば初頭の気温に、新鮮さと安心感を覚えていた。飛行機のタラップから降りた途端、他のロシア人が「おお寒い」などと言っているのを横目に、思わずくつろぎの笑みがこぼれたほどだ。なるほど、9月にしては少々寒く、厳しい気候であるが、それでもあの東京の(あるいは一か月前のモスクワの)酷暑に比べれば、ずいぶんと人間らしい環境に来たものだ、と感じた。

 気候のことはさておき、空港から市内に向かう電車の窓を通じて接する、灰色の建物、あたり構わず携帯電話で喋りまくる男、秩序も何もあったものではない駅前の市場、どんよりとはしているが決して息苦しくはない空気、何か思いつめたような表情の人々、私の留守を預かってくれた友人ヴァーニャの気さくであっさりした、それでいて細かいところまで気の利いている対応ぶり、すべてがまた、懐かしさを呼び起こすものであった。
 ロシアに骨をうずめるつもりは私は今のところないのだが、仮にそうせざるを得ない状況になったとしても、それはそれであきらめがつくかもしれない。いや、これを堂々と言うのはまずいのかな。

 ロシアは、多くの人々(日本人に限らず)にとってはあずかり知らぬところの、謎の国なのだろうが、私にとっては、最も親しんでいる外国である。その意味で、やはりほかの国とは異なる。母国以外にそうした国を一つ持つということは、人間の知的・情念的精神にどんな影響を及ぼすであろうか。
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煤煙去る、か

2010/08/12 00:41
 酷暑煤煙で大変な事態になっているヨーロッパロシアですが(どうでもいいが、「こくしょばいえん」って、何だか麻雀の役みたいだな)、昨晩とうとう、首都モスクワに限っては雨が降り、とりあえず煤煙は洗い流されました。今日も暑いですが、ふつうに呼吸ができ、それなりにさわやかな風も吹きます。
 しかしニュースによっては「まだ喜ぶのは早い、今後の風向きによってはふたたび首都が煙で覆われることもあり得る」とも。今は束の間の一息、という感じですかね。確かに、モスクワは雨に救われたわけだが、広大なロシア平原の至るところで火災はまだ続いており、すでに数千人の人々が焼け出されているとも言われる。で、モスクワの死亡率は通常の二倍に達している。ほんと、大変です、ロシア。
 この事態のもとでプーチンやメドヴェージェフのとった対応と言えば、休暇を取っていたモスクワ市長にヤキを入れる、自ら爆撃機(?)を操縦して消火活動に参加する、個人資金から火事に焼け出された人々への救済基金に振り込みをする、といった、まあなんというか、あからさまに場当たり的な人気取りパフォーマンスばかりが目立つ。元々近年ではこの強権的タンデム体制に対する国民の支持に陰りが見られるようだが―私も、モスクワ市民との会話の中でそれを感じた時があった―こんなに自国の人々を愚弄しているようでは、早晩暴動でも起きるんじゃあるまいか。

 それにしてもロシアの住居は、暑さに対してはからきし弱い。酷寒に耐えるために極力断熱がよくなされ、室内のあらゆる熱源(人体や猫の体も含めた)が暖房と化するように考慮されているため、冬のもっとも寒い時期でも室内では快適に過ごせるのですが(逆に日本の住居は、少なくとも本州部に限って言えば、寒さ対策というのを何もやっていないのが通常)、それが夏には仇になります*。まあ、例年であれば耐えがたいほど暑い時期は8月のせいぜい2-3週間なので、その間だけ我慢してしまうわけですが、今年はきついな。
 特に私は人一倍暑がりなのでちょっとしんどいです(一方で、逆境のもとで頑張ろう、という発奮気分も駆り立てられないわけではないのですが)。秋よこい―

*同様のことは火災対策にも言えるのかもしれない。泥炭地近辺に消火設備を置いておかないとはどういうことだ、とお怒りの日本人の方もいらっしゃるようですが、まあそれを責めるのがちょっと酷かなとは思います。この国では35度以上の気温の日々がこれだけ続くことがある、なんて想定してませんからねえ。
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霧のモスクワから―あるいは、世界で最も地獄に近い都市

2010/08/10 03:08
 原爆記念日に東京からモスクワに飛んだ。一ヶ月半ぶりのモスクワは、なんだか薄汚れて見えた。
 いや、比喩ではない。文字通り、現在のモスクワ(だけではなくヨーロッパロシア全域)は、酷暑とそれによる森林火災のせいで煤煙に覆われているのだ。百年ほど前、工業化の進展とその功罪が著しくみられる英国を象徴するのに「霧のロンドン」という皮肉な表現が用いられたことがあったと聞くが、現在のモスクワは、まさに文字通り霧にむせんでいる。「霧のモスクワ」から、私はこの記事を書いている。
 暑さもひどい。日中は35度を超える。それぐらいなら日本でも、と言われそうだが、考えてもみてほしい、北国では住居等に暑さへの対策は施さない。空調なども一部の富裕層の住宅(ある種の日本人の住宅も含む)や高級レストランを除いては備え付けられていない。もちろん、私のアパートにもそんな便利なものはない。いきおい、やむを得ず窓を開け―そうしないと気密性が素晴らしいこちらの住宅では室温は上がり放題なのだ―、やむを得ず煤煙を吸い込み、やむを得ずマスクをし、やむを得ずふき掃除に奔走する、という、そういった塩梅になる。
 あるニュースによると、煤煙に含まれる有害物質は一日でたばこひと箱分に相当するとか。むべなるかな。時間帯により差はあれど、ひどい時には―今がまさにそうなのだが―室内にいてもなんだかむせかえるようだ。

 到着の翌日、土曜日が最もひどかった。日中、やむを得ず買い物のために外出した。長期間家を空けた後であり、買い物には行かないと飢える羽目になるからだ。視界は百メートルしかないとニュース等で言われていた。いくらなんでもそれは大げさなのでは、とお思いになるかもしれないが、実際に見てきた私の感覚では、これは本当である。モスクワは、繰り返すが、霧にむせんでいたのだ。気味の悪い黄ばんだ空の色、本来快晴のはずなのに煤けてしか見えない太陽。そのように太陽は機嫌悪いのだが、それでも容赦なく気温は上がっており、暑苦しく、埃がねっとりとまとわりついてくるような不快感を覚える。この街には元来はこれでもかというほど住人はいるはずなのに、真昼間でも人影もまばら。この黙示録的風景の中、30分も戸外にいると目が痛くなってきた。南太平洋の島々の観光パンフレットなどによく「天国に最も近い島」などというのがあるが、それをもじって言えば、今現在、世界で地獄にもっとも近い都市がモスクワなのではないかとすら思える。いや、これはもちろん、半径百メートルしか見ていない人間の観測の偏りに起因する言葉である、としても、だ。

 ちょうどこの日、日本から持参した本、栗生沢猛夫著『ロシアの歴史』(河出書房新社、2010年)をざっと読んだ。これはロシア史に関するあくまでの入門書であり、私が全く知らなかったような知見がとりたてて含まれているわけではなかったのだが、あらためて、このロシアという国がそのたどった歴史において恐ろしいほどの負荷を抱えていることを思い知らされた。幾度、この国を外敵が襲ったであろう? そもそもこの国の人々が生存のために戦わねばならなかった自然条件の厳しさはいかほどであっただろう? 統治のまずさと内紛により、どれだけこの国は呻吟しなければならなかっただろう? 広大で雑然とした国土を防衛し、民族対立の疑心暗鬼に応対するために、どれだけの代償を払わねばならなかっただろう? そして今また、ロシアは突発的で奇妙ではあるが対処せざるを得ない試練を突き付けられているのである。この歴史と現状を見るにつけ、たとえロシア人ならずとも、たとえキリスト教徒ならずとも、世界の苦悩を一身に引き受けているのはまさにこのロシアなのではないか、という非合理的な考えに惹きつけられかねない。
 言うまでもなく、ロシアのこうむった苦難は―今のそれも含めて―単なる天災ではなくこの国の人々自身が引き起こした人災である。それでも。
 私なぞは、あくまでその気になれば逃げだせる外国人に過ぎないのだが、この国の歴史と文化に敬意を抱く人間として、せめてまねごとであろうともロシアが背負っている苦悩を今のところだけは共有しようかと思う。(この考えに含まれている多くの非合理性は承知の上で。)同時に、ここが肝心なのだが、ロシアに比べてはるかに諸条件が恵まれている国―たとえばわが祖国日本―の人々が、まるで自国が今現在危機に瀕しているかのような被害妄想的言辞を振り回すのを聞くときには、ちょうど正反対の野郎自大的言辞を聞くときと同様の、反感をおぼえざるを得ない。卑近な言い方をすれば、「お坊ちゃまのぜいたくな世迷言」と思えてしまうからだ。

 ところで、予報では、今週中はモスクワでは暑さにしても煤煙にしても事態の改善は見こめないという。思うに、おためごかしを言わない、というのはロシアのニュースの特徴かもしれない。これも、あまりにも苛烈すぎる歴史―事態が何か改善に向かう、ということがとても信じられないという観念が植え付けられるほどの―のせいだろうか。このような傾向については、「現実に対する厳しい見方が培われている」、とも言えるし、「あまりにも悲観的すぎるために未来への見通しが立たず、そのために事態が悪化する悪循環を招いている」、ともいえよう。いずれにせよ、この国の余りにも痛ましい歴史に、今、またも新たな1ページが加えられようとしているのは確かなようだ。
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ロシアからドイツへ―第一印象

2010/06/30 16:23
 カリーニングラードを6月27日朝発ち、空路で、リガを経由して帝都ベルリンに向かう。地図で見るとこのルート、いったんベルリンから離れてまた舞い戻っているわけで、なんだか非効率だが、この便しか見つからなかったのだ。
 リガ空港では西側世界の息吹が感じられるかと思ったが、この予測はほぼ当たり、部分的には外れた。ロシア語表示を見かけず、建物そのものが整然として清潔であり、荷物のセキュリティーチェックが異様に厳格で(ロシアの空港では、正直に言って、荷物や身の回り品に関してはあれほどチェックを厳しくはやらない)、ロシア人以外の人間を見かけることが多いという意味では当たった。部分的に外れたというのは、なんだかんだいってロシア語がここでも割に使われていることだ。タラップ近辺での乗務員整理員(?)のお兄さんは、話す相手によって英語、ロシア語、ラトビア語(だと思う、たぶん)の三か国語を使い分けていた。すごいというか、ご苦労様なことである。シェンゲン協定締結諸国への入国審査では、英語でのやり取りを余儀なくされることをあらかじめ覚悟していたのだが、管理官のお姉さんは「ロシア語しゃべれる?」と私の顔を見るなり聞いてきて、ロシア語での質問となった。
 ついでに言うとこの入国審査では、ロシア滞在時の身分や今後の旅行プランについてかなり根掘り葉掘り聞かれた。後者についてはともかく、前者については管理官様よ、あなたの管轄外じゃないの、と思わないでもない。ロシアからヨーロッパに入国する人間というのは、たとえ日本人であっても怪しまれるのだろうか。この点に関する情報と意見、もしありましたらお願いします。

 リガから一時間ちょっとでベルリンに着く。いよいよヨーロッパ文化の中心地のひとつに潜り込むわけである。
 テーゲル空港に着いたのだが、旧東ベルリン地域にあるホテルまでどう行ったらいいのか分からず、迷った挙句タクシーを使った。高くはついたが、後から考えればこれは正解だったようにも思う。タクシーの運転手はトルコ人で、運転中ずっと電話で喋っている。私が初めてのドイツで雨あられと聞かされた言語は、ドイツ語ではなく、トルコ語だった。ホテルの部屋は屋根裏部屋のようなところだが、まあ、中庭に面していて涼しいし、施設等は文句はない。
 一日目はもう博物館などは閉まっている時間だったこともあり、散策のみに費やした。テレビ塔や聖マリア大聖堂、フィルハーモニーザールやソニーセンターなどをひたすら横目にだけ見つつ歩いた。
 ところでこの日は球蹴りの試合があり、ドイツが勝ったらしい。まあ私には関係のない話だが、いわゆるサポーター(本当にサポートしているのでしょうか)が市内いたるところで咆哮しており、散策を楽しみたい身にとっては大迷惑。

 以下、ドイツの第一印象を思いつくままに挙げている。ちなみに私が一番よく知っている外国はなんといってもロシアであり、ロシアとの比較という目線がどうしても入ってしまっていると思われる。以下の雑感は、そういう(旧西側世界の中ではかなり変な)人間の個人的なものである、と思っていただければありがたい。

・飛行機で到着する際、快晴だったことを幸いに空から風景を見たのだが、ここはなんとまあ大地が開発されつくしている国であることだなあ、という感慨をもった。いたるところに集落があり、人間の手が入った跡があり、一方で茫洋とただ続く森、などといったものは見かけない。(もちろん、森が存在しないというのではない。それはたくさん存在するのだが、あくまで「人間によって確定された領域としての森」なのであり、「開発されそこなった手つかずの地帯」ではない)これはロシアとの比較だけでなく、すぐ東のポーランド領らしき場所と比較しても思ったことである。もっともこれは単純に人口密度の問題かもしれず、第二次世界大戦以後、プロイセン地域在住の大量のドイツ人が、故郷がポーランド領になったことを受けて西のほうに追いやられたことと関係があるのかもしれない。一度、調べてみる必要がありそうだ。
・道路を走っている車がとにかくみなピカピカで、高そうなので驚いた。金満国だなあ。
・噂には聞いていたが、街中では自転車が縦横無尽に走り回っており、自転車専門の道らしきものも画定されている。道路がすべてきちんと舗装されているからこそできることである。あっぱれ。
・ごく一部で見たにすぎないが、頭上に張り巡らされている土管のようなものを見かけた。あれはなんだろう。上水道? それにしてもなぜ地上数メートルのところに…
・ベルリンの地下鉄は、路線図、切符の買い方ともに、複雑すぎて何が何やら。モスクワの地下鉄は単純明快だったなあ(遠い目)。
・水道が何だか妙だった。いや、水の話ではなく、洗面台が、すぐさま水が流れるような仕組みになっていないのだ。栓のような金属物質がはめ込まれており、いったん水を貯めこんだ上で微量ずつ流していく仕組みになっている。これはドイツ全土でそうなのだろうか。若干気持ち悪く感じたのだが、環境への配慮のために採用された仕組みなのだろうか。
・ホテルの窓は二重にはなっていない。冬の寒い時期、大丈夫なのだろうか。
・カフカス風の料理屋らしきものはない代わりに、トルコ風のそれはよく見かける。私も初日、ケバブ(鶏肉や野菜をナンのような生地で包んだもの―と言っていいのかな)で腹を膨らませた。モスクワで食べた同様の料理より、スパイスが抑えられて、柔らかな味わいだった。
・ロシアよりも全体として老人を多く街中で見かけたような気がした。ドイツのほうが道路その他の環境整備が整っており、老人が外出しやすい条件がある、ということも大きいのだろうが、最大の原因はおそらく、ロシア人の多くは(特に男性は)老人になる前に死んでしまう、ということにあるのだろう。

 いろいろ驚き感心はしたが、全体的には、旧東ドイツ地域を最初に見たせいもあるのだろうか、先進国と言ってもこんなものか、という若干の失望の混じった感想を抱いた。モスクワほどではないにせよ、道路には吸い殻が捨てられ、醜い張り紙が電柱に張ってあり、壁という壁には落書きがなされ、路上駐車の車も見かける。地下鉄構内もなんだか薄汚れている。逆に言うと、西側世界に対する期待感というのが私の中で強すぎたのかもしれない。亡命した旧東側諸国人のようだな…
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タイトル 日 時
カリーニングラード紀行
 欧州旅行の前哨戦として、バルト海沿岸の歴史ある都市にしてロシア連邦の飛び地、カリーニングラードに三泊してきた。半年前に旅行した際に知り合った友人(セリョージャ、デニス)が住んでいるので、彼らを訪ねるのを主な目的として。  6月24日、モスクワから飛行機で2時間にてカリーニングラード着。セリョージャとすぐに落ち合えた。市内のホテルで、荷を下ろして、デニスの家に向かう。鶏の丸焼や小魚を肴に、幾度も再会を祝する口上を述べ、何杯も開けた。この晩はデニスの家に泊めてもらう。  6月25日、ちょっ... ...続きを見る

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2010/06/28 16:55
ロシア語利用者の見たドイツ語
 最近重い話題が続いたので、ここらで他愛もない話を入れようかと思う。お閑な時に寝転がりながらでもお読みください。寝転がってWebが見れる環境にない人は(実は私もそうだ。わはは)、傍らに酒とつまみでも置きながらお読みください。 ...続きを見る

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2010/06/10 04:32
戦勝パレードの感想
 8時半ごろ起床。10時からテレビ中継で、赤の広場にて行われた「大祖国戦争」戦勝65周年記念祝典の様子を見る。メド氏のスピーチと軍隊のパレード。  以下、雑感をつらつらと。おもに一年前の同じ祝典と比較して。 ...続きを見る

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2010/05/10 01:22
雑感
最近はブログへのモチベーションが低下している。あまりにも多くの人に見られすぎている、ということが慎重さのゆえんになっている。これは認めざるをえない。 でもまあ、たまにはやっぱり書きます。ひと月ふた月もすれば、言いたいことの多少もたまるので。以下、最近感じたことのうちいくつかをつづります。 ...続きを見る

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2010/05/08 06:21
ツポレフかっ!(続き)
 前回の記事にうぐいすさんからコメントを頂いたこともあり、また新しい情報が入ったことにより、もう一度、10日に起きたスモレンスクでのポーランド大統領機墜落事故について触れます。  一昨日から昨日にかけて体調不良で臥せっていたもので、エントリーをあげるのが遅くなり、時宜を逸している気もしますが、ロシアのことわざにあるように「遅くともやらないよりはまし」だろうということで。 ...続きを見る

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2010/04/14 12:36
ツポレフかっ!
 昨日の衝撃のニュース。スモレンスク付近にて飛行機(ツポレフ型・旧ソ連製)が墜落、乗客乗員が全員死亡。乗客の中にはポーランド現大統領はじめポーランドの要人が多数含まれていたとか。あな恐ろしや。かの国の国民、かの国そのものがこうむった打撃はいかばかりであろうか。 ...続きを見る

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2010/04/11 18:51
もろもろ
・復活祭の日曜日は博論改稿作業。再提出を三週間後に控え、そろそろ本気で進めていかないとまずいのだが、後ろを振り返る作業であるゆえか、気勢が上がらないことこの上ない。ううむ。 ...続きを見る

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2010/04/05 03:07
看過されるロシア
 29日月曜日朝のモスクワ地下鉄爆破事件はもちろん、当該都市在住者の私には衝撃的であった。今日はやはりというか、一日落ち着かない気分でした。  安否を気遣うメールやメッセージをくれた皆様、ありがとう。あなた方のことは一生忘れませんよ(ホントに)。 ...続きを見る

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2010/03/30 03:44
学位授与・おさらば
 もう一週間前の話になるが、学位授与式というのがあって、私も出席する権利はあったらしい。しかしいかんせん、海を隔てて1万キロの遠方で行われていたために、参加はかなわなかった。まあ、もう自分の意識は次に向かって動いており、あまり過去の事業を振り返って感慨にふけることもなかろう、と思うので、構わない。  そうは言っても、実はあと一ヶ月でD論を書きなおして改めて提出せねばならない。激しくやりたくない仕事である(爆)部分的には見直し始めているが、やはり3カ月も寝かせておくといろいろ出てくるなあ。 ... ...続きを見る

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2010/03/29 21:05
ショスタコーヴィチとチェーホフ、トゥハチェフスキーとロスチャイルド
 ロシア国立人文大学で私が今出ているロシア語の授業の一つでは、ひたすらチェーホフの短篇を読破してゆき、先生の解説を受け、討論する、ということをやっている。昔から自分にある文学コンプレックスを払拭しようという気持ちもあるのか、結構我ながら熱心に授業に参加しているように思う。 ...続きを見る

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2010/03/24 13:02
メリークリスマス!
 1月7日。クリスマスですねえ。   何か気の利いた言葉でも言いたいのだが、教養が足りないせいか、悲しいかな何も思いつかない。仕方ないので、クリスマスとは関係ない、今年の抱負などをこっそり書いてみる。 ...続きを見る

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2010/01/07 20:41
北極は初日の出を知らない―ムルマンスク旅行に関するメモ
 大晦日から二日にかけてはムルマンスクに行ってまいりました。極北の不登校、もとい不凍港ですな。北極圏に属する街の中では世界最大を誇っているほか、第二次大戦時にはソ連の諸都市の中でも最も頑強にドイツに抵抗していたそれの一つであることを誇っている街でもあります。いやはや。  何でまたこの時期にそんなところに、と言われそうだが、まあ、極夜のもとで2010年代を迎えた、というのも話のタネになるかな、と思いまして。で、実際今ブログのネタにしているわけです。 ...続きを見る

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2010/01/04 11:48
昔ドイツで今ロシア―カリーニングラード旅行に関するメモ
 年末年始、みなさんいかがお過ごしでしたでしょうか。私はカリーニングラードとムルマンスクを旅してきました。現ロシア連邦領の最西端と最北端を見て回ってきた、という感じですかな。  本当は地中海とか南の方に行きたかったのだが、トルコなども今はたいして暖かくないよと大家に言われたのと、何よりもヴィザの問題がややこしくなりそうなのとで、国外に出るのはまたの機会に、ということに。 ...続きを見る

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2010/01/04 11:04
ユング『千の太陽より明るく』露語版まえがき、あるいはソ連人は原爆投下をどのように見ていたか
 少し前のことだが、レーニン図書館にてかの有名な―20世紀の科学技術史をやる人は一度は読んだことがあるのではないか―、ユング『千の太陽より明るく』ロシア語版を閲覧した。原著(英語)が1958年刊行なのに対し、1961年に出たというから、かなり早くに翻訳されたことになる。  ここでの翻訳者(В. Дурнев)によるまえがきが、ソ連人が広島・長崎への原爆投下に対してとっていた一般的なスタンスを表していて結構面白い。日本人読者にとって特に興味深かろう一節をご紹介しよう。 ...続きを見る

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2009/12/21 06:28
1938年、モスクワの日本大使館関連の椿事
 D論を提出後、自分の専門に関する文献は目にしたくなく、実際目にしていない。その代わりというべきか、専門とはややずれる本はわりに読んでいる。そのひとつが、1990年代にフランス語で出た、あのベリヤの息子、セルゴ・ベリヤ(ロケット技術者)の手による父親の評伝である(私が読んでいるのはもちろんと言うべきか、ロシア語版)。驚くべきエピソードの連続で、いろいろと紹介したいところがあるのだが(というかこの本、日本語で出ないだろうか)、本日は、日本大使館がらみで1938年か39年に起こったというできごとを取... ...続きを見る

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2009/12/20 01:54
ボルシチとビーフストロガノフと
 酷寒の中、外出し、買い出しをしてきた。今晩はボルシチとビーフストロガノフという、定番で単純だがそれだけに奥の深い料理双璧に同時に挑戦してみた。この二つ、どちらも基本的素材として牛肉を使うので、効率がいいということもある。 (付記:ボルシチのだしは牛肉で取らなければいけないという決まりはなく、豚肉でもきのこでもよい)。  結果は大成功。どちらも大変おいしくできあがった。素材の柔らかさや混ざり具合が絶妙だったと思う。やっぱり俺には料理の才能があるのかしらん、などと思ってしまった。  買ってき... ...続きを見る

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2009/12/16 01:30
なんでこの国では外出するだけでこんなに疲れるのか
 今日は私にしては長時間外出してきた。疲れた。 ...続きを見る

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2009/12/15 04:11
おおカムチャッカ
 ビーフストロガノフがまあまあうまく作れたのでご機嫌であります。皆さんこんばんは。 ...続きを見る

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2009/11/17 04:47
十月革命90周年記念日に私は何をしていたか
 昨日はそんなわけで92周年記念日だったわけですが、2年前の11月7日、つまり90周年記念日に自分がやっていたことを思い出していた。 ...続きを見る

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2009/11/08 19:49
92周年!
 朝起きたらそこには銀景色があった(野宿したという意味ではない)。気候が悪くとも、街が雪化粧されると心が晴れますな。  そして今日は十月革命92周年。私も何らかの形で祝わないと。って、昨晩すでに祝ったような気もするが。エンゲルスとか読んでたような気もするが。杯を片手に。 ...続きを見る

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2009/11/07 18:21
民族統一の日だそうで
 現役バリバリの人ならともかく、とうの昔に結論が出ている爺さまが死んだからといってそんなにまで大騒ぎすることないじゃんよ、  とちょっと悪態をついてみる。 ...続きを見る

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2009/11/04 14:31
スターリン時代を生きた哲学者の回想録より
 このブログにも時折コメントを頂いている同志ひら氏(歴史家)が、読んでいる史料の内容紹介をMixi日記でなさっている。これに触発されたこともあり、私も当ブログにて同様のことをちっとしてみようかと思う。ただし、ひら氏がユーモアあふれる紹介を行っているのに対して、今日私が紹介する箇所はユーモア抜きの重苦しいものである。あしからず、ご了承を。 ...続きを見る

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2009/10/20 04:00
ロシア語には「―について」を意味する表現が異様に多いということについて
 今午前二時なのだが、どうも眠れない。仕方がないので、寝床でつらつらと考えた、どうでもいいようなネタをつづることにする。ロシア語を中級以上に知っている人でないと何のことやら、かもしれませんが。 ...続きを見る

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2009/10/16 07:24
メドヴェージェフ大統領が俺を…
 熊さんこと、現ロシア大統領ドミトリー・メドヴェージェフ氏がいつのまにかTwitterで俺をフォローしている…どうやら本物らしい。  何か大きな作戦の一環なのだろうか? しかしですね、私のようなものを仮に籠絡したところで役には立ちませぬですよ。 ...続きを見る

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2009/09/26 17:06
ニュース「サッチャー、ソ連に東西ドイツ統一を望まないと伝えていた」
「サッチャー、ソ連に『ベルリンの壁壊さないで』と―英タイムズ紙記事」(ロシア語版BBC) ...続きを見る

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2009/09/12 13:31
モスクワ帰還
 10日間の中・東南欧滞在、一か月の日本滞在を経てモスクワにまた帰ってきた。こちらの家にはさほど問題なし。ぱちぱち  この夏はいろいろと元気づけられることが多かったような気がする。ブダペシュトの国際会議では研究者としての自信をやや取り戻せたし、日本滞在時には、いろいろ旧交を温めることができた(まあ要するにたくさん呑み語らったわけですな)。前回3月の一時帰国はこちらとしては大変に不本意なもので、ペースを乱さないためにあえてあまり人にも会わずに家に閉じこもり、出国する時にも「さっさと戻ろう」と砂か... ...続きを見る

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2009/09/11 12:52
ハンガリーからセルビアへ
 帰国した。ブダペシュトでの学会はとても楽しく刺激的だった(自分にとってもまあ、成功だったと思う)し、最後の最後ですったもんだもあったのだが、それは改めて、ということで。  今、東京の自宅近くの漫画喫茶からこれを書いている。そう、もはや私はモスクワに生活の拠点があるので、東京はかえって不便だったりするのである。でもネットや電話がないのも、気が散らなくて結構いいものだが。 ...続きを見る

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2009/08/08 23:33
ツィオルコフスキー
 逃避行動として。ツィオルコフスキーの作品集をぱらぱら。  晩年のツィオルコフスキーってのは、なんだかグダグダだ。「魂は不滅なのじゃ! 輪廻転生するのじゃ!」と延々繰り返し訴えていたり。大丈夫かこのおやじ、ボケてんじゃないのか。でも、少なくともロシアでは偉い人ということになっているので、生誕150年記念の一昨年にはいろいろと本が出たりしたようですね。  まあとはいえ、これは面白いんじゃないか、と思えるような議論もある。空間とは物質なのか、空間と物質は相互に転換可能なのかしらん、とか。生命は宇... ...続きを見る

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2009/07/15 20:01
断湯の思い
 あ、断腸の思いじゃないですよ。断湯―お湯がいよいよ止まったのですよ、奥さん。  ロシアでは毎年、暖水を提供するパイプだか熱機関だかを夏期に点検交換いたしますのです。冬に万が一、各家庭に延びている暖房装置に流し込むお湯が止まると、死活問題になるから、ということで。この点検期間は数週間に及び(今年のモスクワでは2週間らしい)、その間はお湯の提供一切なし。冬季に暖房が確実に欲しければ、これぐらいの不便は我慢せい、ということですね。 ...続きを見る

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2009/07/15 16:46
無題
・ВВЦ(全ロシア展覧センター?)に往復二時間かけて、浄水器のフィルターを買いに行く。あそこまで行くこともなかろうと思うのだが、ほかにフィルターを売っている場所を知らなかったりする。あ、モスクワっ子に聞けばいいのか。久しぶりのВВЦでは人力車ビジネスが出現していた。乗らなかったけど、見ているだけでも面白い。 ・月曜の日中でも、モスクワでは暇そうにたたずんでいる人が多い。まあ、ヴァカンスの時期だからかな。東京では年間通じて、だれもぼんやりとはたたずまない。文明の発達度合いが遅れてるんじゃなかろう... ...続きを見る

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2009/07/06 20:27
ゴーゴリとロシア語、その他
 一昨日は久々に人に会いに、人文大学近くまで出かけてまいりました。新たな知り合いを増やすのには失敗したが、旧知の方々と楽しく歓談してまいりました。 ...続きを見る

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2009/06/30 00:49
どの街が好きか
 じんくわん氏が日本からの学部生交流事業に尽力され、日露大学生同士の一週間の交流をコラボレートなさったそうだ。日本人学生らは特にロシア専攻、というわけでもない、とのこと。いいことだと思う。(6月25日追記 交流をコラボレートする、はおかしいですね。交流にコラボレートする、か、交流をプロデュースする、か。無理して横文字なんぞ使うから(汗))  学部生あたりでいろいろな国に行くのはそれだけでも結構だと思うが、その際、選ぶ対象の国として欧米の「先進国」かいわゆるワイルドな「開発途上国」か、の二極に分... ...続きを見る

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2009/06/25 04:04
iTunesUの恐ろしさ(その2)
 ちょっと前にiTunesUについて「びっくりしました」という趣旨のエントリーを書いたが(いいのか、そんなまとめで)、それがかも様のお目にとまったらしく、ご自身のブログにて関連した記事を書いていただいたようだ。ありがとうございます。  言い訳すると、あの時は軽い興奮状態のまま、いろいろとよく考えもせずに書いてしまったかもしれない。かもさんのおっしゃる通りドイツ語圏でもわずかながらiTunesUへの参加の試みはあるらしいし、日本でも例えば東大が、一般向け公開講座を、ネット上で無料配信したりしてい... ...続きを見る

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2009/06/18 04:00
クヴァスとコーラとの微妙な関係
 最近研究関連のウザい記事ばっかりだったので、久々にロシアネタでも。 ...続きを見る

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2009/05/27 20:18
ついにロシアでも感染者
 主要国のうちで唯一、新型インフルエンザの感染確認がなされていなかったロシアですが、このたび、とうとう、アメリカからの帰国者の中から感染者(大学の先生らしい)が特定されたようです。 ...続きを見る

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2009/05/23 21:48
新PC購入
 昨日思い切ってキエフスカヤのショッピングセンターに行き、新しいPCを買ってきた。東芝のノート、2万7千ルーブル(約8万5千円)。ちなみにメモリは3GB。痛い出費だが、いつお亡くなりになるかわからないPCを前にびくびくしながら生活するよりは、と思って買ってきた。今まで使ってきた二台のマシンは、かなり危機的な状況(ハード面で)にありましたからな。今度一時帰国するときに、保証期間がまだ有効な一台については徹底的に治してもらうつもりだが。 ...続きを見る

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2009/05/15 17:25
ニュース番組
 風邪をひいた。のどが腫れ、微熱がある。一日寝たり起きたりで、ここぞとばかりにサボっている。風邪をひくとサボる口実が自分に対して出来上がる、というのがよい。まあ、確かに独り暮らしで病気になると心細い、というのもあるが、近所に買出しに出かける程度の体力はあるので、数日休めば何とかなるだろう。  先週研究所の研究員の方に知らせていただいた、指導教員の先生の講演も、そんなわけで大事をとって聞きに行かずじまいだった。残念だが、これは仕方あるまい。 ...続きを見る

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2009/04/14 04:37
無題
 モスクワでは快晴の日が続いている。ただ、こちらの気分はいまひとつ。昼ごろ起きるも、あまりやる気が起こらない。 ...続きを見る

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2009/04/09 23:05
ワサビ入り韓国海苔と、砂糖大根に関する考察
 昨日今日とやる気がおきない。一日中、呆けたように過ごしているばかりである。まあ、珍しいことでもないし、この状態が永遠に続くということもあるまいが。  このブログでロシアの食糧事情のことでも書いて、気分転換を図ることにしよう。 ...続きを見る

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2009/04/08 01:27
モスクワ帰還!!
 昨日、一ヶ月間の一時帰国期間を経てモスクワに無事戻ってまいりました。この一ヶ月は、家にネットはない、電話はない、で、21世紀の日本の都市部とは思えないような生活をしておりました(携帯電話も持たなかったし)。それに比べればこちらは便利だ^^ おかげで、ゆっくりと久々のブログ更新もすることができます。 ...続きを見る

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2009/04/03 15:26
ペルシャ語の響き
 数日前の話だが…  一時的同居人のJが、本屋でオマル・ハイヤームの詩の朗読CDを買ってきたという。それはぜひ聞かせてくれたまえ、ということで、私のパソコンで再生させ、耳を傾ける。言語学者のJは、専門外ながらペルシャ語についても一家言あり―というかイラン人の友人もいるので普通に話せるのだな、やつは、すごい―、彼の蘊蓄にも耳を傾ける。いろいろ勉強させてもらった。  ハイヤームは古今東西の詩人の中で現時点で私が最も共感をもつ人物でもあり(科学史家としても、彼の生涯は興味深い)、露語訳を通じて詩の... ...続きを見る

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2009/02/12 16:21
「ソ連時代のほうが、全体としては良かった」
 モルドヴァからJが来ており、うちに泊めてやっている。なんだかつい数ヶ月前にも東京で全く同じ状況を経験したような気もするが。気のせいだろう、多分。 ...続きを見る

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2009/02/05 00:17
リャザノフ編集のエンゲルス『自然弁証法』(1929年版)入手!
 昨日のことだが、レーニン図書館前で露店で古本を売っている、顔なじみのオヤジから思わぬ掘り出し物を入手した。ロシア語版エンゲルス『自然弁証法』第二版(1929年版)である。不世出の文献学者リャザノフが編集した結構な稀コウ本である(刷られたのは5000部だとか)。  この版、何でそんなに珍しいかというと―リャザノフという人、1930年代以降、スターリニストに弾圧されて最後は大粛清の時期に獄死してるんですよね。そんなわけで、世界で初めてエンゲルスのこの遺稿を出版した功績ある学者であるにもかかわらず... ...続きを見る

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2009/02/04 23:48
嫌いなもの-ヴィザ
 数年前まで、嫌いなもの、なくなってほしいものは何ですかと問われても、―いや実際にはこんな質問をされることなどまずないけれども、仮に問われたとしても―、ちょっと返答に窮していただろう。で、変に抽象的なもの(米帝の傲岸さ、とか)を苦しまぎれに出していたかもしれない。  しかし今では即答できる。「ヴィザです」。まったく、この、厳然たる国家間の壁を象徴する書類のために、滞在国に有力な紹介者・保証人(大学など)を持たない私などはどれだけ神経をすり減らしてきたことか。  ヴィザ制度は、実際に人々を威圧... ...続きを見る

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2009/01/28 18:08
ロシア語―書いてこなかった人が陥りがちな誤りのパターン
 自分のロシア語歴は結構長いのだが、正直なところ、文法やら何やらであやふやになっていることはいまだに多く、今回長めの論文めいた文章を書く過程で、次々とそうした穴が露呈してしまった。たぶんこうした弱点の多くは、私が今まできちんとした文章を書くことをあまりやってこなかったことに起因していると思う。  そうした反省を踏まえ、外国人、とりわけ会話と読書しかやってこなかった中級ロシア語学習者がひょっとすると陥りがちなのではないか、と私が推測(邪推)する点を挙げてみることにします。ええ、自分の恥をさらすこ... ...続きを見る

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2009/01/28 01:54
発表前日
 セミナー発表前日。が、困ったことにやる気が出ない。  いや、発表の前日になるとなぜか途端にやる気がなくなる、というのは以前からあった傾向で、今更驚いたりはしない。ただ今回の発表は、そういうのとは違ったところでなんだか気が重く、その気が重い理由は自分でもわかっていて、しかもその理由は一日や二日自分の側が努力したところで取り除けるようなものでもなかったりする。  こういう場合は、経験に照らしてみると、焦らないことが重要だ。文法・スペル関連の添削をお願いしていたのが今日中にはメールで帰ってくるは... ...続きを見る

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2009/01/26 21:22
ロシア語ムズい…
 今日は、明日先生を交えて検討する発表原稿を見直しておりましたが、何とも痛い作業です。題材や論理構成はそんなに悪くもないかな、と思うのだが、ロシア語が…  9年近くロシア語を使った研究をやってきて、最近は毎日生で耳にし、目にしているというのに、書いてみると、いやはや情けない体たらく。すっかり鬱になってしまった。  外国語でまとまったもの(インフォーマルな手紙などではない、多少改まった文章)を書いた経験のある人は同調してくれるのではないかと思いますが、自分の書いたものを見直してみるのはどうも気... ...続きを見る

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2009/01/22 02:52
欧州カンパ
タイトル間違えました。欧州に寒波だそうで。雪も降って大変なようですね。 モスクワも外は決して温かくはありません。最近はマイナス10度ぐらいかな。しかし、この国にいる限り、天然ガスの供給が止められて暖房がストップするようなことはないでしょうから、全然かまいません。はは。 ...続きを見る

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2009/01/10 21:24
怖い一口話
 いまいちやる気の出ない日々。別に体調が悪いわけでもないのだが。年末年始に頑張りすぎたかな?  気晴らしに、アネクドート(一口話)を一つご紹介します。たしか開高健のエッセイに出ていたものだったと思う。 ...続きを見る

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2009/01/10 04:44
K氏と対談
 わが分野(ソ連物理学史)の第一人者のひとりであるK氏と昼食をとった、というか、ごちそうになった。一時間半、一対一で話し込むというぜいたくな時間。対話の具体的内容の多くは企業秘密なので(ウソ。おおむね専門的すぎるので書いてもしようがないのだ)触れないが、印象に残ったことを少し。  優れた研究者にはありがちだが、会ってすぐ、よもやま話もそこそこに本題の研究関連の話に切り込んできたのに少し戸惑った。しかし、私は日本語で話すときもそうだが元来よもやま話というのが苦手なので、話題がかみ合えばそちらのほ... ...続きを見る

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2009/01/05 22:15
ロシア国旗は嫌いだあ あるいは、排外主義を排す
 今年の年始はクレムリンに初詣でに行って、まあ、それはそれはきれいだった。それはいいのだけれど、ちょっと気になることがあった。  クレムリンに向かうモスクワ川に架かる橋の両脇が、みごとに、上から白・青・赤(だったっけ?)でライトアップされていたのだ。もちろん、ロシア国旗をもじった(?)ものである。  なんだか嫌な気分が少しした。別に私はロシア民族やロシア国家に対してなんら含むところはなく、それどころか日本人にしてはこの国を尊重し、敬意を払っているほうだとは思うが、それでも近年のここでのナショ... ...続きを見る

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2009/01/03 06:25
唯物論者?
 先日研究所に行き、たまたまそのとき行われていたミニ・パーティー(彼らの定義づけによれば「セミナー」あるいは「国際シンポジウム」)で、現地指導教員の先生から、「たぶん、おまえは唯物論者だろう」と問われた。「たぶん、そうだろう」と、適当に口真似をしてその場は答えておいたが、さて、はたして自分は唯物論者だろうか。  以下、哲学に詳しい方にとっては全く幼稚にうつるであろう議論を展開することを断っておく。目に余る、という時にはお叱りをください… (ちなみに先生は「私は観念論者だな、ハハハ」と言ってい... ...続きを見る

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2008/12/29 06:30
自動缶開け器Ван Тач Киан Опун
 テレビを見ていたら、商品宣伝番組で自動缶開け器の宣伝をやっていた。缶詰め缶に取りつけてボタンを押すだけで、自動的に回転しながらふたを開けてくれる、というやつだ。細長卵形の外見をしており、商品名は「ワン・タッチ・キャン・オープン(Ван Тач Киан Опун)」。実演してみて、「ファンタスティク!(ロシア語でもこう言うのである、本当に)」だとか言っていた。  しかし思うのだが、こういう道具って、日本でのようにほとんどすべての缶詰め缶のふたに開けるための装置(うまく言葉で説明できないが、あ... ...続きを見る

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2008/12/27 21:53
ロシア知識人たちの憂鬱
 ロシアで「存在しないことにされているもの」:障害者、ごみリサイクルの必要性、著作権。はは、まだまだありそうだな。ロシアがいわゆる先進国の仲間入りをする日は来るのだろうか。(文化相対主義者たちから軽蔑されるのを承知で、こう言ってみたくなる)    この国の知識人層は総じて、自分たちの現状・将来に関してひどく悲観的なように見える。我が国の人間にも同様の傾向があるが、その比ではないようだ。東京にいたころ我が家に居候していたJは、「シベリアは近い将来に[かつての中国のように]列強による分割を受ける... ...続きを見る

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2008/12/25 23:49
モスクワ生活開始
モスクワに来て一週間経った。生活は落ち着いてきている。研究活動も開始できている。良き哉。 ...続きを見る

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2008/12/24 04:02
友再び
 モルダヴィア系ロシア人の友人が東京に帰ってきた。北海道で一か月生活し、関西を旅行で回ってきたという。  十月革命記念日(11月7日)までしか日本に居られんのだ、と言っていたが、どうやら彼自身ヴィザの見方を勘違いしていたらしく、実は来月初めまで滞在できるのだとか。  おお、また愉快な共同生活がしばらく。 ...続きを見る

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2008/11/04 20:47
遠方より客来たる
 モスクワにいた時分によくつるんでいた、ロシア人友人がモルドヴァからやってきた。今朝、成田に迎えに行ってまいりました。これから二週間、うちに滞在させるつもりで、愉快な共同生活になりそうです。 ...続きを見る

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2008/09/07 16:21
ハイヤームはアラビアの人? ペルシャの人?
 10世紀前後文化の話をする際に、この時代の先進地域であったアラビア半島含むイスラム教地域のそれに関して、あれは「アラビア」文化だったのか「イスラム」文化だったのか、という論争があるらしい(よく知らないけれど)。言語をとるか宗教をとるか、という話なんだろうか。  私は別にこの論争に関してどちらに与するというほどの知識もないし、論争に与したいとも思わないのだが、ひとつだけ・・・自分はこの手の話を聞いた時には常にペルシャの知識人・オマル・ハイヤームの事を思い出すなあ、という感想のみ、述べておきたい... ...続きを見る

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2008/08/28 01:38
復帰
 10日ほど少し研究活動が落ち込んでいたが、本日、調子が復帰した。ここしばらくは2008年3部作のうちの第一作・総説編の直しにかかわってきたのだが、それのめどが一応ついた(まだ完ぺきではないにせよ)からだろう。ちなみに第二作・思想編は最終的な直しを入れて10日前に送りだし、第三作・人間編も一応それほど恥ずかしくはない(かなあ…)水準にまで仕立てて同じく10日前に投稿した。 ...続きを見る

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2008/08/25 20:44
露帝
 3つの論文の仕上げであわただしい日々。そんな中、ショッキングなニュースが(すでに数日前だが)。オリンピックどころじゃない。  ロシアよ、これではやっていることがまるで米帝と同じではないか。今後数十年間にわたる怨嗟そして不名誉な記憶を残すだろう、まったく。  こんな国に今後、行かねばならない。 ...続きを見る

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2008/08/11 14:21
市民科学研究室講座(原爆開発の歴史に関する)に参加
 暑い中、久々にNPO法人・市民科学研究室の催しに行ってきた。去年から話題沸騰のドキュメンタリー映画「よみがえる京大サイクロトロン」を上映して、それに基づいて討論しましょう、という企画。  映画そのものは「よくやった」、ということで済ませまして(近しい研究仲間の作品なのに申し訳ない。長く論評している余裕がない)、そのあとの討論―主として第二次大戦戦時下(終戦直後も含む)の物理学者の軍事研究協力をどう評価するかに関して―から感じたことを、忘れないうちに書き記しておこう。雑駁なメモですが。 ...続きを見る

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2008/08/03 01:51
コメントに対して
 過去のエントリーに対する南下政策を調べていた通りすがり。さんから寄せられたコメントへの回答を書いていたら長くなり、字数制限を超えてしまいました。以下に掲載します。 ...続きを見る

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2008/07/09 17:40
リトアニアからソ連が消える
 リトアニアが国内でのソ連を想起させる象徴の掲示、ソ連国家の演奏等を禁止したそうだ。ファシスト・ドイツと共産主義ロシアを同一視している、という解釈でいいんだろうか。多分いいんだろうな。 ...続きを見る

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2008/06/18 22:19
ストーカー
 入院中には無聊を慰めるため、大量の本や映画を持参した。入院前日までにロシア行きの準備をしていたのだが、そのために詰めていた荷物―本、パソコン、辞書、着替え等々―をそのまま持っていった感じだ。たぶん、自力でスーツケースを引きずりながら入院してきた患者はそうそういないのではないかと思う。 ...続きを見る

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2008/06/17 02:08
渡露はたぶん24日
 本日、ようやく5月24日に渡航できそうだとの連絡が。ここまで来るまで、やきもきさせられました。やれやれ    最近はいろいろと重なっている。ゼミの準備、論文投稿、うんざりするほどの書類仕事、学振申請、部屋の整理、ロシアでの研究の勘を取り戻すこと、散髪、音楽活動、日本酒を味わっておくこと、などなど、結構大変です。風邪気味で数日寝込んでいた身にはちょっとつらい。  とはいえ、そうしたことの中での最優先課題はかわいい女の子と飲みに行くことだったりするわけだが。 ...続きを見る

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2008/05/14 23:10
やっぱり…
Mixiのニュースで 「酔っ払った軍人が戦車で民家に突っ込む」 というタイトルを発見。 ...続きを見る

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2008/03/15 18:11
また行くぞ、モスクワに
 去年12月に膨大な書類を提出させられくたくたになりつつ、さんざん待たされた文部科学省長期海外留学派遣制度の選考結果ですが、本日ようやく大学を通じて連絡があり、面接に合格、つまりもう最終的にすべて合格、とのことです。   今後二年間、モスクワに留学しながら勉強を続けさせていただける(生活費も保証される)ということで、全くありがたやありがたや、というところです。ご心配いただいた方々には、お礼申し上げます。  とりあえず、ご報告まで   (モスクワ行きは思い立ったらすぐ、とはいかないので、早く... ...続きを見る

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2008/03/11 23:15
「ヴェトナーム! ホー・チ・ミーン!」
 去年モスクワに留学していた時期にはちょっと変わった出来事にあうことが多かった。以下はそんなエピソードのうちほんの一部。 ...続きを見る

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2008/03/08 21:17
またモスクワです
 昨日晩にモスクワに着陸して、市内の宿泊所に運ばれました。  またモスクワか、やれやれこんなところに性懲りもなく、という気持ちと、ここには友人もいれば、求めている資料もあれば、俺を半分(あくまで半分だが)非日常に引き込んでくれるものがある、まあいいじゃないか、という気持ちが半々、といった感じであります。    幸先は…今日の午前中まではひどいものでした。時差ボケ、使い方のよくわからない電話、たいしてボリュームのないホテルの朝食。しかし午後からは、従来との知り合いとのコンタクトが少しずつうま... ...続きを見る

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2008/01/30 02:53
祝! 発表原稿完成
 今日は自慢話です。 ...続きを見る

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2008/01/23 23:03
モスクワが俺を呼んでいる
 今月28日から2週間ほど、またモスクワに行くことにしました。よりによって一番寒い時期にです。大きな声では言えないが研究費を使って行かせてもらいます。つまり、研究成果を得て帰ってこなければ処刑、ということですな。 ...続きを見る

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2008/01/12 20:41
日本の第一印象
 モスクワから帰国して10日たつわけだが、ここまで日数がたつと、半年間ご無沙汰していた日本の生活にもさすがに慣れてきて、あれやこれやの習慣が当たり前のように思えてくる。久々に接する母国に対する違和感(これは母国を相対化してみる際に、かなり重要なのではないかと思うけれど)は、私のように半年程度しか外国に接していなかった場合、帰国後3日、遅くとも一週間もたてば雲散霧消してしまうものなのかもしれない。いかんなあ。こうした慣れの感情に完全に押し流されてしまわないうちに、数ヶ月ロシアに過ごした人間が感じた... ...続きを見る

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2007/12/08 02:55
これは「ロシアだから」なのか?
 ロシアに対する日本人の文句は尽きることがない。政治問題には今日は触れないが、日常生活レベルで、確かにロシアの都市は日本の都市部に比べればいろいろと不便であるから、無理もないといえよう。かく言う私も、モスクワ滞在はのべ半年以上にわたるが、毎日のように、モスクワに対して、今住んでいる寮に対して、文句を言ったり、首をひねったりしている。  しかしここで考えねばならない。はたして、われわれが文句を言っている対象は、ロシアに特有なのだろうか? あれこれの不便は「ロシアだから」なのだろうか? そ... ...続きを見る

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2007/10/22 02:28
ロシアの食文化をめぐって
 しばらく放置しておりました。皆様いかがお過ごしでしょうか  10月になりましたが、まだ10月なのか、というのが偽らざる気持ちです。9月は研究面で驚くほど充実しており、快調だったのですが、10月に入って反動が来たりはしまいか(経験上、こういうことはありがち)、と戦々恐々としております。  ともあれ、肩の力を入れすぎずにがんばっていこうと思います。 ...続きを見る

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2007/10/03 06:06
モスクワで見つけた面白い「注意書き」二題
 皆様いかがお過ごしでしょうか。私は本日浄水器を新しく買ったのでご機嫌であります。  モスクワの水道水は、まあ、飲むと死ぬ、というほどではないが、かなり不味いもので、どうも信用できない。ために、浄水器は健康的な生活のためにどうしても必要である、ように思える。  最近、今まで使ってきた浄水器のフィルターがきちんと働かなくなってきたのだが、今日暇を得てフィルターを買いに行くことができた。早速試してみたのだが、やはり、いい水でお茶やコーヒーを飲むと、味・そして飲んだあとにわいてくる活力、がぜんぜん... ...続きを見る

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2007/09/16 04:33
文書館員ナターリヤ・ミハイロヴナ
 モスクワの地を踏んでから3ヶ月が経過し、今回の滞在も折り返し点を過ぎた。ロシア語は相変わらず下手なのだが、それなりに生活を楽しむすべは覚えたとおもう。  予想通りというか、ロシアでの生活は突っ込みどころ満載なのだが、われわれの業界では避けて通れない文書館・図書館にも、手ごわい敵が待ち構えている。文書館員(アーキヴィスト)だ。特殊なテーマで申し訳ないが、この件についてはかなり溜まっているものがあるので、今日このブログで吐き出してしまいたい。 ...続きを見る

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2007/09/16 01:04
売り手が買い手に感謝するのは当然なのか?
 ロシアに来た日本人が驚くことのひとつに、キオスク・商店での売り子の愛想の悪さに加えて、買い手の側が商品を受け取るさいに「ありがとう」という習慣のことがある(もっとも、それほど頻繁に見かけるわけでもなく、また、たまには「買ってくれてありがとう」という店員もいなくもないが)。実は私自身、いまだこの習慣にはなじめておらず、商品受け取りの際にどういう態度を取ればいいかわからず、ばつの悪さを感じてしまうのだが、まあそれはともかく、ここからいろいろと日本人の論評が始まるわけだ。 「あんなに態度悪い店員に... ...続きを見る

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2007/09/06 05:42
ロシア人科学史家の見た日本
 昨日、一ヶ月ぶりに、当地モスクワでお世話になっている科学史研究所を訪ねた。この研究所、火曜日と木曜日の午後にはたいてい誰かいて、−もっとも、今はバカンスの時期であり、閑散としてはいるが−研究員の方々といろいろとお話をすることができる。そういう気さくな雰囲気の中、昨日も別段アポも取りつけず、ふらりと訪問した。  昨日は、数学史のA氏と物理学史のD氏がいた。この二人、両方とも学会関係で日本に来たことがあるとかで、私の顔を見ると日本の印象をいろいろ話してくれた。今思い出せる範囲で、彼らの話を書きと... ...続きを見る

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2007/08/18 03:28
家のつくりは冬を旨とすべし
 暑い。いや、日本はもっと暑いのは知っているが、モスクワでは冷房というものがないので、かなり暑さがこたえる(去年8月、札幌で数週間過ごしたときにも同じようなことを言っていたような。避暑を兼ねたつもりが、裏目に出た、とか)。私は暑さが大変苦手なので、ここ数日の、最高30度以上にまで上がる気温にはかなり参っている。 ...続きを見る

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2007/08/17 03:42
2ヶ月
 去る13日、、当地モスクワに来てからちょうど2ヶ月たちました。  そんな日の夜、モスクワーサンクトペテルブルク間でテロが。まあ、合理主義者たる私はこの二つの間に特に因果関係を見出そうとは思っていませんが、憂鬱な事件です。  2ヶ月たった今、ロシアのことは特に好きにも嫌いにもなっていません。ただ当初、この国の日常生活関係における不効率、不便さに対してしばしば(内心)文句を言っていましたが、慣れてしまった今は、逆にロシアを別の面から見直したりしています。私のように人文・社会系の学術研究に従事す... ...続きを見る

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2007/08/16 03:11
近況と、ウクライナ・ナショナリズムをめぐって若干
 日本は全国的に猛暑だそうで。ご愁傷様です。  などと見下ろすかのように言いましたが、当地モスクワでも午後6時ごろは結構な気温になります(不思議なことに、この時間が一番暑い)。おまけに数日前から、発熱と胃腸の不良に悩まされていて、今日などはかなりダウン気味、一日部屋で過ごしておりました。8月に入ってから、精神面はともかく体調はどうもいけないな。気力の残っているときを捉えて読書・勉強するようにしていますが。  20代前半まではどんなに無茶苦茶な生活を送っても、翌日休養すればなんともなかったのだ... ...続きを見る

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2007/08/12 01:11
「舌がキエフまで連れて行ってくれる」、あるいは、ロシアの街なかに案内図が少ないことについて
 皆様お元気でしょうか。私はここ数日、歯痛に耐えて暮らしてまいりました。日本で治療が済んだはずの歯が、治療の不足だか予後のメンテナンスが悪かったかで鈍い痛みに襲われています。幸い、当地の薬局で処方してもらった痛み止めが効いているので何とか耐えられてはいますが、結構不便&苦痛な日々を送っています。ちなみに、保険がきかないこともあって、歯医者に行く決心はいまだついていません。  このブログでキエフ紀行文の続きを書きたいのですが、そんなこともあってここ数日更新が途絶えていました。さて今日の話題は、表... ...続きを見る

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2007/08/07 03:31
陸の国境
 ロシアーウクライナ間の陸路での国境通過について書く。日本からロシア旅行をする人間の多くは国境審査の厳格さ・杓子定規加減に驚くが、この二国間でもそれは同様だった。私は個人的には、陸路での国境越えというやつが生まれて初めてだったこともあって、恐怖感などよりは期待感・興奮度のほうが高かったが、それでもかなり通過時の緊張感を覚えていることもあり、この厳しさについても書いてみることにする。  21時過ぎにモスクワの駅を出発した夜行に乗ったのだが、この際、乗車券だけを提示すればいいかと思いきや、パスポー... ...続きを見る

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2007/07/31 04:19
ウクライナの首都とロシアの首都の相違について
 キエフ旅行について、いろいろ語ってみたいのですが、今晩はひとつのまとまったテーマについて長く書くほどの気力や自信はないので、いま住んでいる町・モスクワとキエフとの対比で気づいたことを箇条書きにしてみようかと思います。なんだか、このブログの読者のほとんどには、「ようわからん」「それがどうした」と言われそうな書き方ですが、ご勘弁を。この二つの街、同じ宗教圏に属していて街の雰囲気などはよく似ているのだが、その中での微妙な違いを探して歩くのがなかなか面白い。 ...続きを見る

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2007/07/30 04:44
キエフに行きます&愉快な街モスクワ
 先週突然、衝動的に決めたのですが、明日から5泊の予定でウクライナの首都・キエフに遊びに行くことにしました金山です。2年前からだったか、日本人にはウクライナの短期滞在に際してヴィザがいらなくなり(といってもロシアから出入国するのでロシアのマルチヴィザは必要)、かなりお手軽に旅行の計画を立てることができました。もっともこれは、ユーシェンコ現大統領のかなり無茶な西側寄りの政策のおかげであり、その点は複雑な気分ではあるのですが、ともかく、夜汽車での旅でもあり、列車での国境越え(これは生まれてはじめてだ... ...続きを見る

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2007/07/24 03:50
ロシアの売り子にはサービス精神がない、というのは本当か
 ロシアでは旧ソ連時代の遺物なのか、サービス精神がなっていない、という感想をよく聞く。無愛想な店員や公共機関の職員、好き勝手な時間に休みに入ってしまう受付の人々、そんな風景を見れば、「まったく、社会主義というのはだから、、」などという気持ちを、特に外国人が抱きがちなのはわからないでもない。私も以前は、ロシアの店頭などで、まるで怒られているかのような対応をされたと感じる(今思えばこれはやや被害妄想であったが)機会が多かったので、サービス精神というのはあまりこの国には根づいていないな、などと思ってい... ...続きを見る

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2007/07/16 02:30
ロシア雑感、二題ほど
 俗にロシア人は人なつっこいというが、モスクワに限ってはあまりそうでもないようだ。サンクト・ペテルブルクなどほかの都市を訪れたことのある人は、「モスクワの人間はどうも陰険でいかん」と言う。私はあれこれ言えるほど滞在していないが、モルドヴァ(ルーマニアの国境近くにある国です)からきて3年モスクワに滞在しているロシア人、ジェーニャも「モスクワ人は好かん」と言っていた。のどかな田舎から出てくれば誰でも大都会に対してはそんな感想を抱くのかもしれないが。  言われてみれば、親しい間柄や素性の知れた間柄な... ...続きを見る

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2007/07/10 05:22
たたずむ人々
 モスクワの街を歩いているとよくたたずんでいる人を見る。地下鉄の出口付近で、商店の前で、あるいはほんとうに何もない道端で、何をするわけでもなく、人待ちをしている風でもなく、放心状態のままたたずんでいる人々だ。たむろっている人々もたまに見かけるが、こちらは意外と珍しい部類に属する。  3年前にもモスクワに来てしばらく暮らしたが、そのときにはあまり「たたずむ人種」の存在に気づかなかった。私が特に着目しなかったからもあろうし、おそらく季節のせいもあると思う。3年前には秋口に来たので、すでに日も短くな... ...続きを見る

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2007/07/06 04:28
モスクワよりご報告その一
 モスクワに来て三週間たつ。ネット環境にさほどの問題はなかったのだが、どうもなかなかこのウェブを更新するきっかけがなくて、ずるずると来てしまった。  外国行きに限らず、何か前方にことを見定めるとそのことばかりにかまけ、家族やら友人やらを省みなくなる悪い癖が、どうも私にはある。この3週間も、日中は資料集め、読書、買い物といった「攻め」の姿勢ばかりとり、息抜きは息抜きで、こちらの寮の人々との会話やウオッカでの晩酌、といった、これまた日本と異なる環境への適応という微妙に「攻め」の要素が入ったものばか... ...続きを見る

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2007/07/05 17:40
渡航二日目
モスクワのホテルから、不安定な無線LAN環境に戸惑いつつ書いております。 ...続きを見る

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2007/06/15 05:58
渡航二日前 フルトヴェングラー『音と言葉』
 友人らと飲み、弱音を吐きまくっていた週末を過ごした金山です。皆様いかがお過ごしでしょうか。 ...続きを見る

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2007/06/11 21:02
記事移動−この国で知識人として・・・
 昨年7月に書いたエントリー「この国で知識人として立つことの困難さ」がなぜかスパムの集中攻撃にあっているので、当該エントリーを消去し、こちらに移動します。さくママ さんからいただいたコメントもこちらに転載します。 こんなことをせねばならんのは残念です。 ...続きを見る

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2007/05/22 12:30
やはりロシア語は難しい、のか?
 どうして金その他のものがこれほど早く俺のもとを去っていくのだ、とぼやきつつ今宵も日本酒を飲んでいる金山です。皆様いかがお過ごしでしょうか。 ...続きを見る

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2007/04/09 23:55
ビザンツ帝国史、ダ・ヴィンチ
 ここのところ自分の専門以外のことについて十分に読んだり考えたりする時間(というより精神的余裕)がない。専門馬鹿になってしまうのではないか、いや、今は馬鹿であっても専門家になるのが先決問題なのか、など、悩みは尽きない。 ...続きを見る

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2007/04/03 22:31
はとバスを見るとどきっとする
 はとバスを見ると私はいつも一瞬どきりとしてしまう。  HATO BUS が НАТО(ナトー) BUS に見えるからだ。ナトー(北大西洋条約機構)のバスがなぜ東京を走る? 日本何かしたのか。 ...続きを見る

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2007/03/27 10:30
ロシア語交じりの論文の校正はつらいという話
 昨日、印刷所から今年7月に書いた論文の二校が送られてきた。初校は、脚注部分の誤植がひどく、先週愕然として校正作業を行った。脚注部分だけ手作業で組んだのだろうか、ロシア語の書名等の誤植が・・・  まあロシア語に対する無知をもって中小印刷所の写植者を責めるのはいくらなんでも無体というもの。それぐらいは僕もわきまえているつもりだが、不安になる。いま、二校の校正をやっているが、まだ誤植は残っている。(もちろん私にも責任の一端はあるのだが)。気分的に厳しい。最後まで(印刷される段階でも)残りはしないだ... ...続きを見る

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2006/12/11 14:47
なぜ「なぜロシアをやるの?」と聞くのか?
 初対面の人に、自分が何者で今何をやっているかを説明すると、ほとんど十中八九と言えるほど「なぜロシアに興味をお持ちで?」と聞かれる。正直言って、またか、という感じで、この時点で内心うんざりしている。そう、わが国ではロシアのことを扱う人間はなぜか珍獣扱いされるのである。  本心ではこう聞き返したい。「なぜそんなことを聞くのですか。あれほど重要な国に興味を持つのがそれほど不思議ですか。隣国で、日本とも少なからぬ交流の歴史があり、文化大国でもあり、今でも好き嫌いは別として国際社会における存在感だって... ...続きを見る

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2006/11/29 01:14
ロシア人化学史家との交流
 今日はお出かけの日であった。都内某所で、サンクトペテルブルクから来日している化学史の先生がメンデレーエフの生涯について話されるというので聞きに行く。お話はロシア語でなされ、招聘したK先生ー私が科学史に足を踏み入れていら、お世話になりっぱなしの先生だーが通訳をされた。  内容はとても興味深いものだった。周期律の発見者としてのみ一般には知られているメンデレーエフの、生涯の多面性にむしろ焦点を当てたお話であった。彼は手がけたことのほとんどが中途半端な成果しか得られず、失敗に終わった。周期律の発見は... ...続きを見る

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2006/11/14 22:04
近況
 おお、気がついたら13日の金曜日だ。 ...続きを見る

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2006/10/13 15:09
札幌で研究
 まったりとした研究生活を続けている。図書館に行き、3冊か4冊の気になった本を出してもらって閲覧し、気に入った本はコピーする。読みもする。あまりにも暑いなどの理由で出かける気が起きないときには家でうちわをあおぎつつ読書する。読書すらかなわないような気だるいときにはあきらめて昼寝してしまう。いいんかなこんなんで ...続きを見る

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2006/08/20 20:47
国際関係ニュースあれこれ
 国際関係でいろいろあったここ一週間ほどだった。ロンドンでのテロ騒ぎ、靖国参拝、根室での銃撃。 ...続きを見る

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2006/08/19 01:18
近況(含演奏会の感想、ショックな出来事)
 27.5歳の誕生日を迎えた金山です。 ...続きを見る

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2006/07/31 19:48
邦訳してもいいかも
 以前こちらの記事にて一部内容を紹介したGrahamの新刊本、やはり面白い。  モスクワにおける著者のいろんな体験が、ときにはまるでミステリー小説のような緊迫感あふれる描写で、次々と描かれていってます。20ほどの章立てになってますが、ソ連やロシアに興味のある人にとっては、どれも本当に面白いエピソードではないかと思います。  いやあ、学者でこれだけ文才のある人も珍しい(って、私の英語力で言うのもなんですが)。 ...続きを見る

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2006/07/29 18:34
ロシア語の難解な論文を読む楽しみ
 とあるロシア人生物学史家の、最新の論文を今日、読み始めた  1920年代、あるロシア人生物学者が人間とサルとの交雑種を作る試みをやっていた。これをどう捉えるべきか、という論文。自分の専門からは少しかけ離れているし、博士論文を書くべき自分がこんな寄り道をしている場合ではないのかもしれないが、しかしまあ、生命倫理のような、今後自分が世間的に期待されるであろう役回り(専門的職業についている人間なら誰でも知っているように、自分の本来やりたいことと周囲から期待されることとには若干のずれがあることが普通... ...続きを見る

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2006/07/24 23:25
ミサイル発射にみるロシア・ファクター
 北朝鮮がミサイルを発射した。しかも7発もである。日本の首脳部、メディア、国民はてんてこ舞いのようである。私も数時間前までその一人であった。 ...続きを見る

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2006/07/06 03:35
伝統は閉鎖的な場所では育ちはしない―教育基本法改正案の愚劣さ
 教育基本法改正の動きが物議をかもしている。しかしよく言われるように、改正案はきわめてあいまいで主眼がよく見えない上、「左巻き」の人々が主張するように、教育における強権主義、あるいは現代の法治国家の根本原理との矛盾を抱えた体制、への道を開いてしまう恐れもある。  このエントリーでは、そのような言い古されたことはあえて繰り返さない。改正案のうち「愛国者」にとっても具合が悪いと思われる点を指摘しよう。私は右翼ではないが、まあ、右からの逆襲です。 ...続きを見る

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2006/06/21 23:36
ソ連の学生寮における恐怖の批判集会
 ソ連時代には、党組織やら青年サークルやら労働組合において、活動的な分子によって組織される集会がしばしば開かれていた。その中では、時に革命的でないとみなされる構成員に批判が集中し、自己批判を迫られた。コワいコワい集会だったのだ。 ...続きを見る

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2006/06/19 20:52
近況
 どうも日程が空いてしまった。心身に余裕がなかったのと、あと、ブログを続ける意味についてはたと考え込んでしまったということがある。  方向の定まらない(よく言えば「話題が多方面にわたる」)日記調のブログなど世界中に公開し続けることに意味があるだろうか、とか、ここに書かれている多くのことはディレッタントの垂れ流し言説に過ぎないのではないか、とか(だからといって日本語で書く以上、現時点では自分の専門のことばかり書いて人が寄ってくるとも思えんしな)、まあ、色々考えていたわけです。  うーむ。 ... ...続きを見る

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2006/06/02 00:29
仲正昌樹『日本とドイツ―二つの戦後思想』(光文社新書、2005年)
 ちょっと期待はずれだった。  二つの敗戦国の戦争総括などの違いがなぜ生じた/生じている のか、明快に対比されつつ述べられているのだろうかと思ったのだが、次から次へと目まぐるしく出てくる両国における思想史の雑多な事例に右往左往しているうちに、自分がどこに連れられていくのかよくわからなくなってしまう感覚を覚えた。何人もの思想家の考えおよびそれの受容のされ方が、しばしばあまりにも単純化された記述によって出現するため、果たしてそれを全部信じていいのかどうか不安になってしまう。さらに筆者の個人的な見聞... ...続きを見る

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2006/05/20 23:58
バクーニンを読み始める
 大学図書館に行って、はじめてバクーニンに挑戦する(注)。まずはデビュー作といわれる「ドイツにおける反動」から。亡命中のバクーニンがフランス人になりすましてドイツ語で書いたというやつだ  哲学青年だったバクーニンが社会活動家として産声をあげた作品、とか何とか解説には書いてあった。確かに最初三分の二ぐらいは哲学の論文みたいで、やたらに抽象的である。よもや具体的なことが書いてはおるまい、と思ってしまうし、解説にもあるように、そのせいで検閲も逃れえたのかもしれない。  ヘーゲル哲学の用語がやたらに... ...続きを見る

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2006/04/29 20:33
『大審問官スターリン』
亀山郁夫『大審問官スターリン』小学館、2006年  2月に発売されたという同書、ずっと気になっていたが今日ようやく購入しざっと通読した。  この本は著者も断っているように歴史書ではない。研究書とも言いにくく、学術論文での引用言及ははばかれるだろう。もっと言うと、素面で読む本ではないかもしれない(けなしていると受け止めないでいただきたいのだが)  しかし、貴重な本だ。スターリン時代のソ連について、事実関係は今までしだいに明確にされてきたし、今後も色々と明らかにされるだろう。精錬された歴史観も... ...続きを見る

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2006/04/06 23:51
ロシア語小ネタ
 ロシア語でゴキブリのことは「タラカン」と言う。これを聞いたときには、なぜかモンゴル馬に乗ったゴキブリ弓騎兵の大群が東方から押し寄せてくるという恐怖の図を思い浮かべてしまった。タラ汗国の軍勢、ですか。  ロシア語でグループのことは「グルッパ」と言う。これを聞いたときには、なぜかクッパ一族がピーチ姫を取り囲んで舌なめずりをしているいやらしい図を思い浮かべてしまった。クッパのグループ、グルッパ。 ...続きを見る

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2006/04/05 22:37
ロシア民謡「鶴」
 時々訪ねているこちらのサイトに新しく加わっていた歌「鶴」を聞いて不覚にも涙しそうになってしまった。普段知的な指揮者の解釈のもとで古典派やバロックの音楽を弾いている、インテリ層に属する(多分)人間としては、こんなメロメロの曲が好きだ、というのは正直恥ずかしいのだが、でもやはりいいなあ、と思わずにはいられない。  戦場に斃れた兵士に対して、これだけ優しく詩情にあふれた歌を捧げられる国民がほかにどれだけいるだろうか? アメリカ人には500年たっても無理だろう。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 5

2006/03/29 23:21
今日「おおっ」と思った言葉(露西亜関係)
 大学の図書館で文献を読む間、ふと手に取ったE.H.カーの1930年代の作品『ドストエフスキー』をぱらぱらとめくってみた。その中に以下のような言葉を見つけた ...続きを見る

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2006/02/10 01:06
大発見?
 午後から図書館に行き、30年代ソ連の社会史・経済史関連の文献をいくつか借り出し、コピーした。  院生室でそのうちの一つの論文を読んでいたところ、思いがけなく、科学史家として修士論文以来引っかかっていたある謎を解く手がかりが得られたように思えた。図書館に戻り、閉館時間までいくつかの関連文献を流し読みしてみたところ、これはかなり説得力ある説明になるのではないかと直感している。先行文献(自分の修士論文も含め)では不明だった政治決定のプロセスが、ある一つのファクターを導入することで読み解けるのではな... ...続きを見る

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2006/01/24 22:47
ウクライナのことは他人事ではない
 ロシア/ウクライナの「ガス戦争」について何か言おうとして、数日前このブログの中でもそう予告したが、ロシアの新聞記事などを読んでも真相は何がなんだかよくわからない。事情通でもない身としては、下手な論評は避け、このできごとから得られた漠然とした感想を述べるにとどめようと思う。 ...続きを見る

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2006/01/08 23:24
ロシア/ソ連は「あくなき南下政策」をとっていたか?:藤原正彦『祖国とは国語』を読んで
 藤原正彦の『祖国とは国語』(新潮文庫)を購入、帰省中の新幹線の中で読んだ。藤原さん、最近『国家の品格』なる本を出してこちらも売れているようだが、いかにも右翼の好みそうなこのタイトルは避けてこちらの文庫本を買った。私は以前からこのアツい数学者が書くもののファンだった。  本の内容は新聞コラムが中心で、憂国の調子のものが多い。藤原さんは極めて健全な愛国者であって、偏狭で排他的な国粋主義者ではなく、バランスの取れた観点を持った人だ。収められたコラムの主張には激しく同意したくなるものが多い。小学校に... ...続きを見る

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2005/12/31 17:11
言語運用
 ロシア語を読んでいると、かの言語の文法構造の緊密さに驚嘆せざるを得ない。おそらくロシア語は、数多いヨーロッパ言語の中でも古典語の複雑な文法構造の色合いをもっとも濃く残している言語のひとつであろう。名詞・形容詞の格変化が豊富で、語と語の間の関係が常にはっきりしているので、複雑だが明快な構造の文章を作ることが容易になっている。  言語は思考を規定する、というのはおそらく本当で、母国語での語彙や言語運用能力を高めることは思考の繊細さや厳密さを高めることと密接に結びついている。その意味で、口語として... ...続きを見る

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2005/12/21 23:59
大陸国家を理解する
 中国との関係をどう築くかはますます日本にとって焦眉の課題になっている。東アジア共同体の構想における相違や、靖国問題、領土問題、等々、軋轢と不協和音はいたるところに見られるが、経済面、文化面での交流の活発化はもはや止めようもないし、今後もこの傾向は増大する一方であろう。好むと好まざるとにかかわらず、われわれはこのプライドの高い大国とつきあっていかねばならないし、軍事面でも国際政治の面でもアメリカに頼ることしかやってこなかったがゆえに起こっているさまざまな問題を解消するためにそれは必要なことでもあ... ...続きを見る

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2005/12/16 20:28
研究に関する決意表明(?)
 先日の日記で海外の同分野の研究者に私の論文の英文サマリーを送った話をしたが、 二人から返事が返ってきた。感謝。 ...続きを見る

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2005/12/12 22:55
ボーム『因果性と偶然性』
 上記の本を今日図書館で借りてきた。ぱらぱらめくっただけだが、なんとなく理解できそうな、楽しく読めそうな予感がしている。  2年ほど前ならとてもそのようには感じられなかっただろう。もちろんここに書かれている物理学上の内容は周知のことなのでかなり分かっただろうが、肝心要のボームの世界観は表面的にしか見えてこなかったに違いない。それが今理解できそうなのは、意外に思われるかもしれないが、ここ一年間ソヴィエトの歴史史料に集中して取り組んだ経験を持ったからである。  変なことを言う、と思われるだろうか... ...続きを見る

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2005/12/02 21:02
「中進国」の悲惨
 人間の歴史あるところ、国家の栄枯盛衰がある。覇権争いがある。俺が一番だということを示すために諸国家は軍事力、経済力、文化水準を持ち出して互いに争う。中でも20世紀には帝国主義の張り合いが飽和点に達したことでこの争いが極端な形を取り、莫大な人命が犠牲にされてしまった。 ...続きを見る

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2005/11/30 21:26
水上の学会
 今からオケの練習に行きます。その前にちょっと軽めのトリビアネタをひとつ ...続きを見る

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2005/11/26 16:38
スターリン時代の大粛清、の犠牲者のことを考える
(23日午後7時台に書いたものです。サーバーの調子が悪かったものでこの時間の投稿となりました)論文を見直し、それを打ち込む。そろそろ、いいかな、投稿しても。英文アブストを作らないといけないが。 ...続きを見る

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2005/11/24 00:13
日露首脳会談
 プーチン大統領が来ている。相変わらず日本側の報道は、北方領土関係で話が進展したかどうかばかりを問題にしている。日本政府の、また一般国民の関心もそれ以外にないのだろう。こうして日露関係は疎遠になるばかりか白痴化する。ロシアからみても日本はまったく単細胞な国のようにしか思えないだろう。やれやれ ...続きを見る

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2005/11/21 19:56
ロシア式論文の書き方
 アカデミックな世界にはいろいろなしきたりがあって、論文というものはかくあるべし、といったことも当然あるわけだが、そしてアメリカの大学院などではそれが体系的に、みっちりと仕込まれるということだが、この論文の書き方にしても、やはり人間のやること、ヴァイオリンの弾き方にも国によって流派がいろいろあるように、基本を押さえたある程度以上のレベルになると、よしとされるスタイルにも微妙な違いが出てくる。パラグラフライティング(段落によってはっきり論理的区分をつけること)をしっかりしたまえ、とか、はっきりくっ... ...続きを見る

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2005/11/15 00:25
ネットと言論の自由
かつて冷戦華やかなりし頃、西側諸国はソ連には言論の自由がない、としてさんざん批判していた。これはよく知られたことだ それに対してソ連のほうにも言い分はあった。西側諸国の言論の自由といっても、力のあるもの(ブルジョアや有力民族)が好き勝手にメディアを操作できる状態での自由など、まやかしに過ぎない。本当に言いたいことがある人の声は結局届かないではないか。すべての人に発言の平等を与えるためには、まずは階級のような力関係をなくさなければどうにもならない。 ...続きを見る

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2005/11/12 13:24

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