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みんなの「もの申す」ブログ


ニュートリノよ! またお前か!

2011/09/24 23:17
 CERNの研究者がニュートリノを飛ばしてみたところ、光の速度を(ほんの少しばかりだが)上回るそれで目的地に到着してしまった、と、大騒ぎになっている。確かに、これが普遍的に妥当する結果だとすれば、特殊相対性理論の帰結―光速度では物体の質量は無限大になって加速はできないはず―とは矛盾する。驚きの結果だ。
 何かが間違っているのは確かだが、修正されるべきなのはどこなのか、今の時点ではよくわからない。特殊相対性理論そのものなのか、時間・空間に関する我々の観念そのものなのか、あるいは単なる測定器の不備か距離や時間のはかり間違いなのか、あるいは加速や実験条件に関して何かのからくりがあるのか、あるいはニュートリノという物質に関して従来の物理理論の範囲で説明できるような特殊性でもあるのか。
 専門家の判定を待つしかないのだが、ここで思い出すのは、1920-30年代にボーアのおかげでそれなりの騒ぎになった、エネルギー保存則がミクロ世界で破れているのではという仮説だ。この騒動は、原子核から電子が飛び出してくるいわゆるベータ崩壊の過程の前後でエネルギー保存則が破れているように見えた不思議さを、解き明かそうとする過程で起きた。詳しくは私が5年前に書いた論文(注)を参照していただくとして(笑)、エネルギー保存則といえば、光速度が速度の上限であるというのと同様の、いな、ひょっとするとそれ以上の、確実性を持っているかもしれない、物理学の基本法則である(ちなみに、当然のように思われているが未だ経験的には確証されたことがあるわけではない―というより、経験的に確証されるような類の法則ではない―、という点でも、この二つの決まり事には共通点があるように思える)。それが破れているように見え、あの物理学界の大御所ボーアが、ミクロ世界ではエネルギー保存則は敗れているのかもしれない、と言い出したのだから、学会は数年間騒然となった。結局、フェルミによるベータ崩壊の理論的説明が登場してこれが受け入れられる中で、ボーアの思いつきも鳴りをひそめて行ったわけだが。
 つまり、この1920-30年代の話では、従来から正しいと考えられていた物理法則(というか、公準)が正しいことが認められたわけだ。現在に至るまで実際、エネルギー保存則は基本的に正しいものとして認められており、物理理論はこれに矛盾しない形で構成されているはずである。では今回はどうか。100年にわたって正しいと思われてきた特殊相対性理論にもいよいよ修正が加えられるべき時が来たのか。それとも80年前と同じく、単なる騒動で終わり、微修正を加えるだけで済むのか。
 ちなみに、この80年前の騒動で加えられた微修正(「微」というのはちょっと失礼かもしれない、貴重な第一歩だったのだが)の一部は、いみじくも、パウリが提唱しフェルミが採用したニュートリノ仮説であった(ニュートリノのような未発見の粒子を仮定すれば、ベータ崩壊の前後でエネルギー保存則が破れていると考えなくともすむ)。ニュートリノは、その後、ご存じわれらがカミオカンデによる観測により、その存在は確証された。何やら因縁を感じますな。

 現代物理学には、もともと、大きな、説明のつかない謎がある。宇宙に大量にあるように見えるダークマターやダークエネルギーはその一例だろう。これらは、かっこいい名前で呼ばれているが、まあ要するに理論と観測とのどうしようもない矛盾・気持ち悪さが表現されているわけである。今回の実験は、ひょっとするとこうした矛盾・気持ち悪さをさらに助長するものかもしれない。しかし、そこからこそ、我々のこの世界に関する把握の新たな進歩、爆発的かもしれない進歩も、生まれてくるのだろう。ちょうど百年前、どうにも解決のつかない謎が、量子力学と相対性理論の出現を促す大きな要因となったように。
 基礎物理学というのはここ数十年、科学的話題の中ではほかの華々しい領域―特に生物学の―に隠れて存在感が薄かったが、今回の奇妙な結果をきっかけに、また新たな革命・飛躍的発展がこの領域で起こるかもしれず、我々はそれを目撃する幸運に、ひょっとすると恵まれるのかもしれない。まあ、予断は許されませんが(笑)

(注)金山浩司「エネルギー保存則は保存される―1930年代半ばにソ連において行われた哲学論争の再考」『哲学・科学史論叢』(東京大学教養学部 哲学・科学史部会)9号(2007年1月)、65-89頁。
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最北の被災地を歩く

2011/07/13 19:19
 八戸に来ている。昨日午後、沿岸部を見てきた。鮫駅周辺―八戸市中心部から電車で十分ほど行ったところである。
 ここに来るまでは、未曾有の大災害の被害をこうむりがらも4ヶ月もたった今となっては、復興ぶりがこの地にも着実に見られることを、どこかで期待していた。復興ぶりを見て、震災の深刻さに関して高をくくることができれば、と勝手な願望を抱いていたのかもしれない。しかし、その期待は見事に裏切られた。漁港の修復は遅々として進んでおらず、被災ぶりの深刻さは到底高をくくれるようなものではない、これが私の結論である。
 駅から歩いて数分、漁港に入ってまず目がついたのが、崩れたまま野ざらしにされている食堂であった。木造の建物は傾いたまま、誰からも見捨てられているかのようだった。鉄筋コンクリート製の建物にもあちこちにひびが入ったままであり、表札は剥落したままである。
 漁船は何艘か岸につけてはある。しかしいかんせん素人の哀しみ、これらの船が震災以前と同様に働けているのかどうかは、見ただけではわからない。
 沿岸部から道路を一つ隔てたところに小さな食堂を見つけた。入って話を聞こうかと思ったが、営業はされていなかった。中をのぞいてみたところ、机やいすも撤去されているようである。この家のほかにも、修繕中と思しき家がそこここにみられる。木造の観光案内所などは、見るも無残に、骨組みと壁の一部だけしか残されていない。中にあったものはみな、流されてしまったのだろうか。
 海水浴場にも人影はさほど見られず、しんとしている。しかしそんな中、騒がしい場所がこの近辺にも残されていた。ウミネコの繁殖地、蕪島である。この日まで、私はこのカモメに似た海鳥の保護区がここにあることを知らなかった。蕪島は、島とはいっても今では陸地と地続きになっており、小高い山のようになっており、神社があり、頂上からの眺めはなかなかのものである(ただし次に述べる事情により、その景観を落ち着いて楽しむことは難しい)。このあたりに近づくほどに、ウミネコのけたたましい鳴き声が聞こえてき、あたりは鉄工所のごとき喧騒に包まれてくる。あとで近くの水族館に行って見てみた展示によると、夏は南方から帰ってきたウミネコがここに大集合している時期で、その数は何と三万匹にも及ぶそうだ。ヒッチコックの映画「鳥」に、鳥の大群の描写が出てきて我々の恐怖をあおってくれるが、それを地でいったものと思っていただければいい。鳥に対する恐怖感がさほどない私でも、神社の裾、階段、境内の至るところにウミネコがたむろし、騒ぎ立てているところを、かき分けしてのぼっていく中にあっては、若干の恐怖を覚えたほどである。いや、恐怖というより、もはやここは彼らの場所であって迂闊に人間が足を踏み入れてはいけない、という畏れとでも言おうか。
 今年は、この地域にとっては、言うまでもなくイレギュラーな年であり、そして、以前のような形にこの地域が戻ることはひょっとするともはやないのかもしれない。しかし、レギュラーなものを象徴する存在として、ウミネコたちがいた。無論、ウミネコとて純粋な自然ではありえず、人間による環境への工作の助けを借りてここに集い繁殖している以上、人間界を襲った災害から自由ではいられないだろう(人間界の被害のために彼らいつもよりも繁殖しているのか、それとも打撃をこうむっているのか、影響の方向性は私は知らないが)。しかしともかく、気の滅入るような人間界の状況に比べれば、ウミネコの社会(?)は元気であり、変わりがない。彼らを眺め、不易のものに思いをはせることが、元あったものの回復と我々の安心にプラスに働かないとどうして言えよう。津波という、その突発的力によりわれわれに激変をもたらした自然は、今度は、相変わらず集ってぎゃあぎゃあと騒ぎたてるウミネコを遣わすという、周期的な、安心できる力により、我々人間による安定の回復への手助けをしてくれるのかもしれない。
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キエフの空港で見かけた、亡命歓迎のお知らせ

2011/01/15 06:53
 先週から今週にかけて5日ほど、ベルリンとプラハを旅行してきた。この旅行は忘れ難い思い出を残したし、現地友人にも「ぜひ紀行文をブログに」と言われたりなどしたが、一人旅の場合と違い、今回の旅は一つ一つの思い出が友人たちの温かい心づくしと密接に結びついているだけに、なんだか書きにくい。照れくさいし、ブログという場にはふさわしくないような交友自慢になってしまうのでは、という漠然とした恐れもある。
 まあ、こういう感想も明日になれば消えて、ここで何か書きたくなってしまうかもしれないが。

 そういうわけなので、当たり障りない(??)話題として、一人で帰った帰路途中で見た興味深いものについて報告しよう。プラハから、キエフを経由してモスクワに戻ったのだが(注1)、その空港で面白い広報を見かけた。
 立派な、スペースを十分取った、目立つ一角に、次のようなことが書かれていたのだ。故国に帰る際、人種・民族・信条・宗教上等の理由により迫害を受けることが危ぶまれる、そういった人は、我が国において難民(政治亡命者、ということか)としての扱いを受けられる可能性があるので、以下の連絡先に出向くことを検討されたし、と。英仏露、そしてアラビア文字で書かれた2か国語(おそらくアラビア語とペルシャ語だろう)、都合5か国語で同内容のことが(注2)記されていた。

 ロシアのプロパガンダに踊らされている可能性もあるが、どうも私は以前からこのウクライナ国家というものがもつ二枚舌、どっちつかずさ、ご都合主義に対して漠然とした危惧を感じており、困ったことがあればウクライナが面倒を見てくれるという広報をうのみにする気にはあまりなれない―ま、そうでなくとも、今の私は亡命しなければならないほどの切迫した状況には幸いにも置かれていない―のだが、これは果たして信用できるものなのだろうか。

 調べてみると、ウクライナのこうした対亡命者政策は国連難民高等弁務官事務所のお墨付きを得ているようではある(注3)。しかし一方で同サイトによると、ウクライナへの亡命者として認定を受けた人間の数が2010年1月時点で7334人なのに対し、ウクライナからの亡命者の数は24522人、と、3倍以上なのが(注4)なんとも(苦笑) 

注1 やはり中欧という別世界からキエフまで来ると自分は幾分安心する、ということを知った。周りはみなロシア語をしゃべっているし、雰囲気もロシアのそれと似ている。
注2 と思う。私はロシア語文しか読まなかったが。
注3 http://www.unhcr.org/40ec0a914.html
注4 http://www.unhcr.org/pages/49e48d4d6.html
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「「暴力装置」の起源と系譜」へのつけたし―トロツキーにおいては実際にこの語は使われている

2010/11/22 07:39
 官房長官の「失言」ですっかり人口に膾炙してしまった「暴力装置」。一連の騒動に関連していろいろな問題が明るみに出てきたと思う。政権にある人に今なお残る左翼アレルギー、その感情的な忌避のようなものがてらいもなく堂々と表明されてしまう実情、それに乗っかるマスコミ、常識的とも思える用語・国家観がさほど普及していないこと、エトセトラ。ただこれらについては他の人も散々言っていることでもあるし、このエントリーでは省略するとして、ここでは「暴力装置」という語の起源に関する問題に話を絞りたい。

 当初から、この語をヴェーバーに結びつける人は圧倒的多数を占めていた。Twitterなどを見ていると、「職業としての政治」の一節においてヴェーバーがこの概念を用いて近代国家の性格を説明したということがしばしば(とりわけ社会学系の人々により)、強調されていたように、感じらる。その一方、少数であるがレーニンの『国家と革命』に言及する人や、本当に当該の語はヴェーバーが実際に用いた用語なのか、疑問を呈する人もいた。
 (個人的には、彼らを引くまでもなく、近代国家の根底には暴力装置の語で表されるものが横たわっているというのは常識的事項であり、むしろこの常識が共有されていないことに驚きを感じていたが、それは別の話だ)

 昨日、匿名の興味深いブログ記事が現れた。「暴力装置」の起源と系譜と題されたもので、その要諦は、レーニンにもヴェーバーにも原文を当たってみたところ「暴力装置」という語はそのままの形では出てきていないこと、日本語でのこの語の利用は、戦中は地下にもぐり戦後に本を出せるようになった共産主義者・神山茂夫に最初にみられるらしい、ということである。
 後者については私も確定的なことが言えないのでしばらく措くとして、ここでは前者について補足的な指摘をしておきたい。レーニンやヴェーバーはいざ知らず、ヴェーバーがその講演の中で例を引いているトロツキーにおいては、確かに「暴力装置」という語が利用されているということである。
 ロシア語がお分かりになる方はこちらのページを見ていただきたい。これは1918年1月14日、ブレスト・リトフスク条約締結に向けてのドイツ・オーストリア代表との交渉の席上におけるトロツキーの発言であり、ヴェーバーが言及していたのもひょっとするとこの発言ではないかと思われるが、三段落目後半にはっきりと暴力装置аппарат насилияの語が用いられているのが見える。いちいち逐語訳しないが「貴方がたはソヴィエト権力が力を行使していると言っているがそもそも国家とは少なくとも現在のところ力をいざというときに行使せずにはいられないものであり」云々といった文脈で、用いられている。
 ちなみにこの発言をトロツキー自身気に行っていたらしく、1932年にも、「チューリンゲンの労働者への書簡」の中で自ら引用している

 まあ他愛もない豆知識であるが、「暴力装置」という語は日本語特有のものではないことは指摘しておきたい。むろん、日本語にこの語が導入され、普及するに至った経緯はまた別問題である。個人的には、日本の共産主義者がトロツキーの当該発言を意識してこの語を用いるようになった可能性は―残念ながら、というべきか―、低いと思っている。誰かより専門的に調べてみてはいかがだろうか。
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Twitter日本語でも

2010/10/12 04:14
 3日ほど前ですが、一年半にわたってロシア語のみでしかつぶやいていなかったTwitterを、日本語でもやるようにいたしました。http://twitter.com/kanayVc
 一年半前にTwitterに参入した時点では、この新しいツールが正直恐ろしくてならず、不用意なことを言ってそれがすぐさま広まってしまったらどうしよう、何か不毛な争いに巻き込まれたらどうしよう、などと思っており、その恐怖感が取れるまで一年以上の静観時間―つまり、母語において他人のツイートを観察するばかりで積極的に参加しない期間―が必要とされました(何ごとにせよ、私は何かに慣れ、身を投じるまでに時間がかかる。現代のようなせわしなくて余裕のない世の中にあっては淘汰されやすいタイプであろう)。ただ次第に、自分にはむちゃくちゃに不用意なことを言えるほど度胸があるわけでもなければ、不毛な争いに巻き込まれるほどネット上での交際範囲が広いわけでもなく、そういったことは5年近くブログをやっていながらたいして反応がないことからもわかることで、まあ要するに自分を買いかぶりすぎて勝手に緊張していたのだ、ということを知り、日本語でも、恐る恐るではあるが、つぶやき始めることにした、そういう次第です。
 バカでこういうことにセンスがないので、すぐに気取り方を間違えて―恰好悪い日本語ツイートのスタイルを採用して―失笑されるのだろうな、とは思うのだが。ともかく、かたくなで不自然な鎧をようやく脱ぎ捨てる気になったわけです。

 Twitterは―もちろん同じネット上のツールであるので―、このブログとも距離が近い。日本語でTweetしだしたこととはあまり関係ないが、先日の科学コミュニケーション関連記事(http://hisphyussr.at.webry.info/201010/article_4.html)は、どうやら、Twitterのおかげで過去のいかなる記事よりも多くの読者を獲得しているようだ(クイック数だけから判断すれば)。実際、ちらちらとTwitter上をさまように私の記事を読んで話題にしてくれている方も何人かいる(賛同や反発、反応はいろいろであるし、むろんいろいろであってよい)。
 
 はなしついでにもはやTwitterと関係のない話をに移ると、読者を継続的に引き留めておくことは実に難しい。今の私の各種能力(せまい意味での文章力だけでなく、マメさ、人生経験、サービス精神、受け手の要求を察知する能力等々)では、特にそうである。ブログ等を通じて何かを訴えたいなら、読者を失望させないための広い意味での努力が必要なのであるわけだが、これはまさに全人的努力(笑)であり、長年の修養が必要である。

 ところで、私は、前の私の記事が少数派の意見あるいは抑圧された意見であることを願っている(私はいつでも、多数派が言いそうな意見は仮に思っても言わず、自分の意見が少数派の(あるいは多くが言いにくい)意見であると思う時にのみ、それを公にしてきたつもりだし、この主観と客観が一致してくれればうれしいものだ、と思っている)。多数派に押されて思ったことが言えない、あるいは、なんとなく思ってはいたがうまく言語化できない、そのような人の助けにでも、私の記事がなればうれしいものだ。
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科学技術(等々)コミュニケーションをやらないやつはダメなやつなのか?

2010/10/06 04:53
 科学技術コミュニケーション―いや、科学技術に限らず、あらゆる学問分野の、専門家以外に対する自らの学問の存在意義やら面白さやら展望やらを説明する行動―が脚光を浴びて久しい。しかし私は、こういった風潮に対しては、歴史学という一学問分野に従事する専門家のはしくれとして、非難するというほどでもないが、ため息をつきたくなっている。そういう違和感がどこから生じているのか、私自身まだ整理しきれているわけではないのだが、ちょっとここで言いたくなってきた。(ここで告白すると、このエントリーを書くきっかけとなったのは、敬愛するドイツ現代史家nob_deさんの最近の一連のツイート、あるいはリアルでの発言、です。nob_deさん、こんなわかりにくい場所で反対意見を述べて申し訳ないですが、何らかの反論をコメント欄にでも頂ければ嬉しく存じます)
 なにせコミュニケーション推進派は強い。ネット上では、科学技術(に限らない学問分野)の内容を一般に分かりやすく説明しない・説明できない人間を、「実情をわかっていない・遅れた」人間として快く思わない、ときには彼らを揶揄する、かのような言論が目につく。コミュニケーション推進派には、必然的に、ネットやら何やらで自らの分野の殻以外のところに進出する意思力・技術力を持った人間が集まるわけで、だから彼らの発言の側が余計に目立つという事情があるわけだが、それにしても目につく。たしかに彼らの主張は、この世知辛い世の中において非常にリアリティーを持っている、と納得するのだが、その一方、地道にそれぞれの分野に沈潜しつつ己の専門家としての能力を磨いていこうとしている人たちに対して、「専門家以外の人間に対してアピールするということもできないと生き残れない」というプレッシャーがどれほど重荷になっているか、この推進派の人たちは考えたことがあるのだろうか、とふと思う。
 急いで付け加えると、私はもちろん、学問をやる人間たるものアカデミックな仲間内の評価を得られるような論文を書いてさえすればそれでよい、とも思わないし、そんな「象牙の塔」にこもった立場では、現今の状況からしてアカデミズムが成り立たなくなる、ということも、おそらくそうなのだろう、と推察する。そうした状況の中で、危機感を抱いた人々が専門家外の人々に対してのアピール活動を重要視する動機は、私とて理解しているつもりだ。しかしやはり、そうした「コミュニケーション活動」は、専門家としての研鑽をつむ過程を犠牲にしてまでも行うべきことではない、ましてそれに向かない人々にそうした活動への負荷をかけるべきではない、とも思っている。いかにも頭の固い教授風の意見、と思われるだろうが。
 科学技術コミュニケーションは何のために行われるか? 当該分野の存続のため、等々「大人の事情」もいろいろあるだろうが、やはり、本来的には、専門家ならではの知見(必ずしも、一般大衆に喜ばれるような知見とも限らない)を社会に還元するためであろう。専門家の知見とは何か、という問いは難しいが、当該の問題について毎日、頭をふりしぼって考え抜いた人によっても認められるようなそれ、一般人がそうそう思いよらないような事項あるいは解釈を頭の中にいろいろ持っている人が持つものの見方、といえばそれほど外していないのではないかと思う。
 こういった専門家としての要件をまだ満たしていない修行中の研究者見習いが「コミュニケーション」に対して熱心になりすぎるとどうなるか。もちろん、いわゆる本末転倒、という結末が待っている。
 ああ、いかにも頑固おやじ的な結論だが、しようがない。私は、個人的には、大学院、ことに博士過程ともなれば、そこは専門家としての知見を植え付ける場所ではあるが、それ以上の何かを求めるべきでもない、と思っている(というと、おまえは実情を何も分かっていない、との轟々たる非難が飛んでくるだろう。しかし私はいろいろな事情があることを承知したうえで、あえて理想主義的にこう言いたい)。もちろん、余力がある人は何かすればよいが、余力のない―コミュニケーション活動をやるだけの才能や現時点でのコネがない人も含む―人に対し、「コミュニケーション活動をやっていない、自らの分野の社会的存続のためにも何もやっていない」として非難して彼らを苦しめるのはフェアな態度なのだろうか。それはただでさえ論文を書いて学者として生き残るための自分の能力にまだ自信を持てない若手の研究者たちに対して、プレッシャー(あるいは逃避?)を与えてはいないだろうか。私個人は、自らの分野が一般に知られることはもちろん喜ばしいことにせよ、まずは自らの分野が科学として成熟するための人材を擁してほしいし、その前提がなければ、逆に本当に心ある「一般大衆」を面白がらせるに足るような「コミュニケーション」も成り立たないのでは、と、勝手に思っているのだが。もちろん、このような考え方は「偉い学者だけが大衆にも語りうる」という変な権威主義を場合によっては助長しかねないが、それにしても、近年の我が国のコミュニケーション偏重には、何か倒錯的なものを感じるのだ。
 専門外の人間に対して当該分野の意義を説明しなければ分野の存続すら危ぶまれる、という状況は、別に不健全なものではなく、現代社会における学問の立ち位置・責務といったことから導出される帰結として、至極まっとうである。しかし、意義を説明しない人間、意義を説明するには向かないような人間、が―優れた論文を書ける人であっても―専門家の間で糾弾されるような状況が、果たして学問の発展にとって健全なのであろうか。
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「すべからく」は「すべて」ではないと何度 その二(だいご氏のコメントに答える)

2010/10/03 04:26
 前回エントリーで「すべからく」という語の誤用が蔓延していること、これを許容しかねること、を書いたところ、だいご氏から、これを「すべて」の意味で用いる用法もまた、人口に膾炙している以上、もはや正しいものとして受け入れてよいのではないか、この誤用にもそこに至るまでの理解可能な経緯はあるのではないか、との反論を頂いた。だいご氏には申し訳ないが、結論から言うと私はこの意見は承服しかねる。それはなぜなのか、以下、詳しく説明させていただく。

 なぜ、「すべからく」を「すべて」の用法で使うことを、よく見られる言葉の理解可能な変化の一例として受け入れることができないか。この「転用」は、たとえば「ら抜き言葉」だとか、「ざっくばらん」を「和気あいあいとした」という意味で使う、といった事例とはどこが本質的に異なるのか。ひとことで言えば、現在見られる「すべからく」の誤用は、他の、言葉のやむを得ぬ変化と解釈できる事例とは異なり、およそ情状酌量の余地もない、愚劣で笑止千万なそれにすぎない、ということである。この誤用がいつ始まったのか知らないが、仮に100年前からあったとしても、私はだいご氏とは異なり、これをいかなる文脈のもとでも正当な用法としては認めない。
 「すべからく」の誤用は三重の意味で愚劣かつ笑止千万である。それは1.おそらく意味が転じて用いられるようになった、というようなものではなく、単に響きが似ている別の語と混同しているだけである、という意味で愚劣かつ笑止千万であり、また2.仮に百歩譲ってだいご氏の仮説のような経緯があったと認めたとしても、そこには見過ごせないカテゴリー上の取り違えがみられるという点で愚劣かつ笑止千万であり、かつ3.この語が現代日本で使われる際の利用者の心理等を忖度した際、その心理にのっとる人間としては、これを誤用するのはおよそふさわしくない、という意味で愚劣かつ笑止千万である。以下、それぞれの項目についてもう少し敷衍してみていこう。

1.だいご氏はコメントの中で、「すべからく」という語が発せられる際、発話者の強い願望あるいは確信が背景としてあった、そこから「ある事柄からは必ず、すべての場合に、一定の帰結が導ける」という心理的過程を経由して「すべて」の意味に転用されるに至ったのではないか、と推測しているが、おそらくそんな「高尚な」過程は経ていないのではないか。これは単に、「すべて」の最初の二文字がたまたま「すべからく」と一致している、ということから起こった誤用にすぎないのではないか、と私は睨んでいる。もしそうだとすると、こんな馬鹿馬鹿しい誤用を擁護するいわれはあまりないように思う。
2.第二に、仮にだいご氏の推測が正しかったとしても、それはそれで本来の用法からの重大な論理的ギャップがあり―実はこのことはだいご氏自身別の表現で述べているのだが―、そのことが「ざっくばらん」の場合と比べても「すべからく」の誤用を受け入れがたいものにしている。「すべからく」本来の用法は、先のエントリーにも明記したように、当為を表す定型表現であり、ここには「すべてはーである」という叙述表現の含意はおろか、「話者の主観的な強い願望」といった、当為でも事実でもない境界線上の含意も、およそ入り込む余地はない(ひょっとすると日本人の多くはそこまでとは思わないかもしれず、だとすればこのテーマは国民文化史文化論上の興味深い問題に結びついてくるかもしれないが、ひとまずそれは措く)。もしだいご氏の言うような経緯をたどって「すべて」の意味で使われるようになったとすれば、「転用」の際に重大な、論理学上の誤りがおかされていると言うほかない。(これに対し、「ざっくばらん」を「和気あいあい」という意味で用いるのは、人間交流の上での態度に関する形容表現という共通点があり、また意味上においても、この転用がなされるようになった経緯は理解できるものである)
3.およそ現代日本語で「すべからく」といった古い漢文調の表現を用いるからには、用いる人は相当に改まった―ありていに言えば気取った―心理状態にあるものと思われる。そうした狙いをもってこの語が使われている以上、上で述べたような、悲劇よりは笑劇に属する類の誤用がおかされているのを見るのは、まあ、「残念なことに」なっていると言いますか、「可笑しくてたまらない」と言いましょうか、とにかく、観察する側としては意気込みと結果との落差を楽しむことができるものの、まじめに擁護する気は失せてしまう。これが何の意気込みもないところで発生したうっかりした誤用などであれば、まだ許せようが。

 以上のようなことであります。
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「すべからく」は「すべて」ではないと何度

2010/10/02 04:04
 今日は日本語のとある誤用について書く。いや、こんなこと、私が書けた義理ではないのはわかっているのだ。私だって今まで変な日本語をいたるところで書き散らかしてきたのであろうし。しかし、この件ではそろそろ我慢できなくなってきているころであり、ちょっと言わせてほしい。

 「すべからく」は「すべて」という意味ではない!!

 この件についてはもう30年近くも前から呉智英先生や小谷野敦先生が注意を喚起しているにもかかわらず、私の見たところ、(ネット上であろうと出版物の中であろうと)一向にこの誤用が収まっているようには見えない。別に私ごときがこんなマイナーブログでもの申したからといって事態が改善するとも思えないが、それでもつい、義憤に駆られてしまうほど、これは―言葉のプロとでも言うべき人も含めた間で―蔓延しているように見える。
 「すべからく」を漢字で書くとすれば? そう、「須く」、である。ではこの漢語はどういった表現と組み合わされるべきか。そう、高校の漢文の授業で習ったように、すべからく、「べし」と結び付けられるべきである。当為表現である。私個人としては、日本語では必ずしも「すべからく」と書き始めた文章を「べきである」と締めなくとも、全体の文意が当為命題を表しているのならそれで構わないとは思うが、ともかく、これは「すべて」の意味では全くない。
 言葉は生き物だから変化に目くじらを立てても、という意見もあろう。確かに、口語表現が次第にずぼらに、あいまいになっていくのは仕方がない側面もある。「ら抜き言葉」もそうだし、「ざっくばらん」を本来の意味とは少し違う、「和気あいあいとした」の意で使うのも、まあ、変化の一環として受け入れるべきかもしれない。
 しかし「すべからく」を「すべて」の意味で使うのは、「ざっくばらん」などとは異なり、「転じてこのような含意を含むようになった」、というようなものではない。明白に異なった意味で用いられている、誤用である。しかもこれは、口語ではまず使わないような漢語表現であり、たいていの場合、利用者はかなりの改まった気分(あるいは見せびらかしの気分?)を込めて使っているはずである。こうした語の場合は、やはり保守的態度をとるべきではないか、元来の、漢語における利用の仕方に従うべきではないか、と思うのだが、いかがであろうか。
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日中関係の復古

2010/09/28 06:31
 どうやら日中関係がこのところきな臭いらしい。といっても、この問題に関してほとんどだれも関心を持っていないロシアに居て、ましてネット環境なども自由にならない出張先に居て、私自身は具体的な情報も、日本の皆さんがおかれているもろもろの雰囲気も、うまく知ることはできない。
 ただ、これについて言いたいことが多少あるし、今言わないと時宜を逸してしまうかもしれないので、不十分さを承知の上で、言う。上述したように情報が限られていることもあり、まあ、以下は思いつきのようなものではあるが。

 5年前、小泉時代にも日中関係が緊張したことがあった。その時には私は、ブログ(当時はWeb日記だったか)で、日本側の排外主義的ナショナリズムの高まりに対して強い警戒を表明する記事を書いた気がする。
 今でも、排外主義的ナショナリズムが―とりわけ若い層の間で―支持を得ている状態に対して警戒心を覚える点で、私の立場は変わっていない。中国や韓国を侮辱することがまるで「デフォルト」のようになっているネット上匿名領域の状況、排外主義に合わせることがすなわち「空気を読むこと」となっている状況は―年長の識者がこの動きを過小評価しているように見えるだけに―、どれだけ警戒しても警戒し過ぎることはない、と、今でも私はそう思っている。
 ただ、2005年と2010年とでは、同じ日中対立といってもそれをとりまく事情が若干異なっている。そのことを言いたい。
 この間にみられるのは何といっても中国の躍進だ。軍事力はいざ知らず、国全体としての経済力ではぐんぐんと日本に追いついてきている。国外での中国人の活動も活発化しており、日本社会での中国人の存在感もずっと、増していよう。それに対する焦りが日本側のナショナリストをますます燃えたぎらせる、そのような構造が見えるようにも思う。
 結論から言うならば、私は、この手の日中対立としては、今回は日本側が何か対等なパートナーとして中国に対して文句をつけることのできる、最後のラウンドではないか、そのように思っている。つまり、今後は何を言っても、彼我の力関係からいって、対立をあおるだけ日本にとって損になるのではないか、ということだ。(まあ、中国に対して何か多少言い返すということができているように見えている状況だって、戦後日本の歴史からみれば、ここ最近の例外事項だったのかもしれませんが。)
 中国は今まで日本より弱いように見えたが、今後は強くなる。いや、単にしばらくの間弱いふりをしていただけかもしれない。私は子供のころから、日本の教育で中国が「後進国」の範疇に入れられて教えられていることが不思議であった。地理分野では、中国は世界最大の人口と世界3位の面積をもっている。政治分野では、核保有国であり、多数の諸民族を支配している(単純化して言うなら)。歴史分野では、世界最古の文明を今に至るまで継承している唯一の地域であり、この国の文化から、日本も明治維新までは散々学んできた。なのに、現在は「後進国」とはこれいかに。もちろん、経済的指標やら近代以降にこの国がたどったかんばしくない(とりあえずこう言っておく)歴史やら何やらを見れば、そう言われる理由は頭では理解できる。しかし、東アジアで現在、まるでわが日本が唯一の先進国のような顔をしてのさばっている状況は、自分が日本人のくせに、なんだか心情として納得がいかなかったものだ。
 今後は、私にとっては腑に落ちることに―もちろん、多くの日本ナショナリストにとっては腑に落ちないことに―中国は東アジアの旧来の体制を(もちろん、そっくりそのままではないが)復活させることになるのではないか。いい悪いとは別に、これは避けられないない歴史的過程のような気がしているし、日本が今後国際社会で(あるいはそこから身を引いて)生き残ろうとするなら、この現実を認識した上で対策を練ればならず、とすればかの国と同じ土俵で勝負しているようではダメなのではないだろうか。
 中国が「後進国」であることが明白であったのはたかがここ150年のことにしか過ぎない。さまざまな要因―人口、資源、文化的遺産、国民性等々―を考え併せてみるならば、グローバル経済の分野で今後優位を握るのはかの国のほうであろうし、数年後には、それに伴って日中対立も皮肉な形で解消するだろう(日本ナショナリストが望む形では無論なく、中国側が日本側を歯牙にもかけないようになり、それに対して日本が何も言えなくなる、という形で)。
 我々としては、何かの外的な威力を借りてかの国に対抗しようとするのではなく、元来東アジアの秩序というのはそのようであったことを認めつつ、この秩序を受け容れ、中国人とどうにか、こちらの持つカードを冷静に見極めつつ、―下手に彼らを刺激しない方法で―折り合っていき、最大限の利益を享受させてもらう、ということしかできないのではないだろうか。敗北主義のようで申しわけないが、まるで我々がかの国に対して何か優位に―あるいは対等に―立っていると信じ込む旧来の態度、それに基づいたつまらぬ意地は、こっけいな、ひいては悲劇的な結果を招きかねないように思う。
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都市に込められた歴史性―ロシアの二大都市で過ごしてみて

2010/09/28 05:22
 今月は、ロシアを初めて訪れる日本人若手研究者の何人かに対して、モスクワを案内して差し上げる機会があった。まだ新鮮な視点をもっている外国人がこの国のどこに引っ掛かりを覚え、どこから強い印象を受けるのかが思い起こされた。そういう意味で、もはやすれっからしとなってしまったかもしれない私にとっても、彼らとは少し別の意味で、これはなかなか新鮮な体験であった。
 彼らからはいろいろ面白いコメントが聞けたが、かも氏―このブログのコメント欄でも時々登場している―のコメントはとりわけ興味深いものであった。かも氏が現在在住しているドイツ西部のボーフムという街は、まだ来歴が新しいこともあって(また地方の小都市であることもあって)、その街が背負ってきた歴史を感じさせる建物等の文化的遺産に乏しい。それに対し、モスクワにはそういった遺産がふんだんに集中してみられる。この集中ぶりは後発帝国主義国の特色なのではないか、と(私の理解したうえでは、ということです。かも氏がこの通りのことを言ったかどうかは定かではありません…)。
 確かに、言われてみれば、―後発帝国主義国云々はともかくとして―モスクワという街は中心部を散歩するだけで、由緒・いわれある(あるいはよくわからないままにもいかにもそういったものを背負っていそうな)建物に、数十メートル歩くごとに行きあたることができる。これが、私が今一時滞在しているペテルブルクとなるとさらに極端で、この北の都の目抜き通り(ネフスキー大通り)ときたら、19世紀から基本的な街並みや建物の構造は全く変わっておらず、街全体も革命前ロシアの景観を保存する巨大な建築博物館のようになっている。まあ、こうした整然たる風景が形作られたのはおそらく、ロシアが伝統的に中央集権的な政治体制を採ってきたことと無関係ではないが、そのことの善しあしは措くとして風景だけを見るなら、とにかく圧巻である。
 こういった街に暮らしていると、何もここで生まれたわけでもなければここに特に愛着を覚えているわけではなくとも、この地において数百年にわたる人間の創造的建設の努力があったこと、一つ一つの建物に明確な個人の(あるいは集団的な)意思が集約され具現化されていること、その遺産が今でも利用されていること、を否が応でも意識させられる。ここで生まれ育った者、あるいはここに興味を抱いて移り住んできた者であればなおさら、この意識は強まるであろう。人によっては街の歴史に対する大いなる興味が、あるいはそうした歴史を世代を超えて伝えていきたいという強い欲求が、呼び起こされるであろう。実際、モスクワとサンクト・ペテルブルクの本屋には、両都市の来歴を詳しく図入り・写真入りで解説した本が、それこそ何十種類も置かれている。そしてそれらのほとんどはロシア語で、すなわち外国人観光客向けではなくロシア人に(もっと言うならその土地に住む人々に)向けて、書かれたものである。
 翻って我が国の都市と文化は…と言えば慧眼なる読者にはあとの展開があからさまに見えるであろうし、言うだけ野暮な気もするので、これ以上多言は費やさないことにする。ただ一言だけ贅言するならば、国の代表的な諸都市に次々と新しいものを導入することに熱心なことと、自国の(あるいは他国の)歴史を顧みず、過去に立ち返って現在の指針を求める(あるいは他国を理解しようとする)姿勢に乏しいこととは、―どちらが鶏か卵かというのではなく―おそらく表裏一体の関係にあるのではないか。無意味な仮定ではあるが、我が国がもし、近代以降、代表的諸都市において集権的体制のもとで都市計画を綿密に立てたうえで建造物に対する頑固な保護を行っていたならば、いま「歴史コミュニケーション」に対して歴史家が割くべき負担はかなり軽減されていたかもしれない。
 ロシアに、というより西洋という「歴史臭い」―永井荷風が確かどこかでこの表現を使っていたような―場所に、そしてとりわけモスクワのような街に、身を置いていると、私自身歴史家のはしくれのつもりでもあることもあり、ついこのようなことを考えてしまう。上述したことは私が言いだしたことでもなければ、私自身、昨日今日に気付いたことでもないが、今回、観光案内などを試みる際にふと改めて思ったので、書きとめておくことにした。
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タイトル 日 時
才能と欠乏との、あるいは才能と締め切りとの微妙な関係―小田嶋隆へのインタビューから
結局「なぜ人はものを書くのか」という話をすると「書きたいものがあるからだ」というのは一応建前としては正しいんですが、実は私も含めていろいろなライターさんを見ていると「締め切りがあるから書く」ということだったりするんですね。 ...続きを見る

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2010/08/17 02:54
個人性が軽視される風土―鳩山首相辞任に思う
 辞めておしまいになられるそうだ。ううむ。 ...続きを見る

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2010/06/03 04:51
イカロスとサムライ精神
 日本が最近打ち上げた金星探査機小型ソーラー電力セイル実証機(訂正6月3日。金星探査機はイカロスではなく、彼と同時に打ち上げられた「あかつき」だとのことです。kitayamatakeshiさん、指摘ありがとうございます )は「イカロス」と名付けられているそうだ。 ...続きを見る

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2010/06/01 07:11
雑感
最近はブログへのモチベーションが低下している。あまりにも多くの人に見られすぎている、ということが慎重さのゆえんになっている。これは認めざるをえない。 でもまあ、たまにはやっぱり書きます。ひと月ふた月もすれば、言いたいことの多少もたまるので。以下、最近感じたことのうちいくつかをつづります。 ...続きを見る

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2010/05/08 06:21
近況と身内の結婚と牛丼騒動と
・締め切りをいよいよ10日後に控えた博論改訂作業を進めているが、かなりモチベーションの喚起に苦しんでいる。いや、今見直して再提出しなければ、4か月前のとんでもない版が国会図書館やらに出回ってしまうのはわかっているので、改稿はやらざるを得ないのだが、見直す過程で自身の愚かさ加減・不注意さ加減を思い知らされるというのがたまらんというか。  いやよくもまあ、こんなものを提出したものである去年の自分は。提出当時よほど衰弱していた、ということでもあろうか。  見直し作業はぜいぜい言うばかりで進まない。... ...続きを見る

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2010/04/15 03:02
ツポレフかっ!(続き)
 前回の記事にうぐいすさんからコメントを頂いたこともあり、また新しい情報が入ったことにより、もう一度、10日に起きたスモレンスクでのポーランド大統領機墜落事故について触れます。  一昨日から昨日にかけて体調不良で臥せっていたもので、エントリーをあげるのが遅くなり、時宜を逸している気もしますが、ロシアのことわざにあるように「遅くともやらないよりはまし」だろうということで。 ...続きを見る

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2010/04/14 12:36
もろもろ
・復活祭の日曜日は博論改稿作業。再提出を三週間後に控え、そろそろ本気で進めていかないとまずいのだが、後ろを振り返る作業であるゆえか、気勢が上がらないことこの上ない。ううむ。 ...続きを見る

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2010/04/05 03:07
「政治と芸術は同じではない。政治は人間のすべてではない」
 北の国の重苦しい週も、はや週末を迎えている。ここ数日間、テロの衝撃の中、「なぜこのような事態に」という答えの出ない問いに苛まされつつ、私はどうにかこうにかアパシーと戦っていた。  この数日間私を支えてくれたのは、日本から持参した、吉田秀和の著作集の中にある次の言葉である。1968年秋、「プラハの春」とそれに引き続くソ連の軍事介入の衝撃に世界が震撼する中、吉田はソ連からの劇団がチェーホフの「三人姉妹」をやるというのに対して、当初は抵抗しつつ、それでも見にゆき、「涙ばかりこぼして」帰ってくる。(... ...続きを見る

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2010/04/03 06:48
看過されるロシア
 29日月曜日朝のモスクワ地下鉄爆破事件はもちろん、当該都市在住者の私には衝撃的であった。今日はやはりというか、一日落ち着かない気分でした。  安否を気遣うメールやメッセージをくれた皆様、ありがとう。あなた方のことは一生忘れませんよ(ホントに)。 ...続きを見る

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2010/03/30 03:44
Twitterってどうよ
 Twitterを始めたのは昨年4月のことと記憶している。はや一年近くが経過し、500以上のPostをつぶやき散らかして(こんな単語があるかどうかは知らないが)きた。  で、実際のところこの新しいツールに何か革命的なものがあるのか、というと、よくわからない。財界では顧客と企業主との直接的コミュニケーションがとれるだとか、より一般的にはMixiなどよりも垣根が低い人的交流ができるだとか、手軽なアイデアの出し合いのツールとして使えるだとか、いろいろ言われているようではあるが、まあ私にとっては今のと... ...続きを見る

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2010/03/28 18:32
私には博士論文を仕上げるための才能があったのだと思う
 先月末に博士論文口頭試問を無事クリアし、来月末には博士号(学術)を頂けるであろう身である。しかしなんでまた私ごときがここまでこぎつけられたのだろうか。最近時々そんなことを考える。    ちなみに私は修士号を頂いてから現時点に至るまで7年間かかっている。博士請求論文の量にしても、400字詰めで1150枚という、昨今の基準に照らしてさほど少ないものでもない。さらにおこがましい言い方をさせてもらえれば、論文の内容そのものもさほど単純なものではない。1年以上にわたる外国でのフィールドワークや、5本... ...続きを見る

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2010/02/21 03:57
後醍醐考
 相変わらず暇なので、愚にもつかないことばかり考えながら過ごしている。数日前、Youtubeで大河ドラマ「太平記」からのいくつかのシーンなど見て、南北朝時代のことなどうだうだ考えていたりした。  この大河ドラマが放映されていたのは確か1991年、私が中学2年生のときで、毎週欠かさず見て、結構はまっていた記憶がある(それが昂じて、この大河ドラマの原作、吉川英治の『私本太平記』を全巻読んだりしていた。まあ、ちょっと変な中学生ではある)。今やインターネットメディアの発達により、なつかしのオープニング... ...続きを見る

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2010/01/16 05:26
家畜との共生はいかに始まったか
 1月10日になってもラジオで「新年おめでとう!」と騒いでいる素敵な国から挨拶です。皆さんご機嫌いかがですか。  相変わらず暇なので、愚にもつかないことをぼんやり思いつつ日々を過ごしている。昨日は人類はどうやって最初に家畜をてなづけたのか、うだうだ考えていた。  ロシアに来て一年近く、私もいっぱしの肉食人種になってしまったような気がしているのだが(一年前はほぼヴェジタリアンに近いような食生活をしていたと思うが、いやはや罪深くなったものである)、肉を舌なめずりしながら食べつつも、時々家畜につい... ...続きを見る

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2010/01/10 10:29
米国留学にしり込みする若者たち?
 科学技術社会論の分野で有名なEさんがTwitterで取り上げてくださった、朝日新聞の記事。草食化?学生、米留学に尻込み 10年で1.3万人減  近年の傾向として、海外に留学する人の総数は多分減ってはいないが、留学先として米国を選ぶ人の割合が激減しているという。 ...続きを見る

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2009/12/22 00:00
ユング『千の太陽より明るく』露語版まえがき、あるいはソ連人は原爆投下をどのように見ていたか
 少し前のことだが、レーニン図書館にてかの有名な―20世紀の科学技術史をやる人は一度は読んだことがあるのではないか―、ユング『千の太陽より明るく』ロシア語版を閲覧した。原著(英語)が1958年刊行なのに対し、1961年に出たというから、かなり早くに翻訳されたことになる。  ここでの翻訳者(В. Дурнев)によるまえがきが、ソ連人が広島・長崎への原爆投下に対してとっていた一般的なスタンスを表していて結構面白い。日本人読者にとって特に興味深かろう一節をご紹介しよう。 ...続きを見る

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2009/12/21 06:28
米国かぶれ
 最近Twitterで、一瞬だが、なぜ日本人の多くは二度の原爆投下などの大量無差別殺戮を被ったにもかかわらず親米でいられるのか、という話題が出たことがあった。その時、どなただったか、戦後米国からの奨学金で留学させてもらった人たちが学術界のトップ層として居座っているからではないか、という意見を書いている人がいた。  私個人はこれにはあまり賛成しないけれど―学術トップ層の持つ社会的影響力を過大視しているように感じる―、問いそのものは面白いと思った。今日は米国かぶれということについて、思いつきを綴っ... ...続きを見る

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2009/12/17 22:35
今回の仕分けはフルシチョフによるスターリン批判である
 仕分けに関して、いろいろと言いたいことはもやもや、たまっているのだが、とりあえず一つだけ基本的な私の感想をいうと、 ...続きを見る

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2009/11/23 06:17
神の前に謙虚であれ、か
 宗教についてちょっとばかり考えてみる。  私の宗教観念といえば前々世紀のマルクスの定式化「宗教は民衆のアヘンである」からたいして変化していない。これに対していろいろと反論もあるかと思うが、やはりこのマルクスの考えはそんなに間違ってはいないと私は思う。要するに、現世利益の追及を投げてしまっている人間が自らの頭脳・思考を朦朧とさせるために宗教に頼るのであって、頼ってしまったが最後、支配階級にいいように利用される、ということである。宗教的権威に関することででもなければストも抗議もせず、ただただ座っ... ...続きを見る

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2009/11/23 03:55
淡々
 今日も今日とてD論見直し。精神状態は安定しているが、体調が今一つ。 ...続きを見る

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2009/11/21 01:36
仕分け関連続き
 先日のエントリー時には、13日に行われた事業仕分け議論(科学研究費、若手研究者支援対策等に関する)そのものの内容をよくつかめなかったのだが、本日ネット上にこれに関する詳しいデータ(音声記録・議事録・評価コメント等)が上がっていたので、参照してみる。  なるほど、確かにこれはひどい。「ポスドクの生活保護のような制度はやめるべき」だとか「博士号取得者を甘やかさず、民間企業に拾わせるような努力が必要」とかいうのは、少なくとも人文社会系の若手が置かれている現状に照らしてみれば、的外れの暴論と言うしか... ...続きを見る

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2009/11/15 23:29
仕分け関連って? 騒ぐべきなの? どうなの?
 仕分け事業関連で研究者業界は大変な騒ぎになっている。少なくともTwitterではほとんどお祭り騒ぎである(と言ったら失礼か)。 ...続きを見る

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2009/11/14 03:09
科学研究費補助金の一部の執行停止に対する反対署名
科学研究費補助金の一部の執行停止に対する反対署名 ...続きを見る

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2009/11/06 02:21
コミュニケーションが何だってんだ
 ビーフストロガノフを意気揚々と作ってみたものの失敗して落ち込んでいる金山です。肉固いし、バター入れすぎたorz  アブハジアワインを飲んでいる。それ自体としてはおいしいのだが、甘すぎて肉料理に合わないorz   ...続きを見る

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2009/11/04 05:03
Mixiのダメさ―「ボイス機能」をめぐって
 ひと月ほど前、Mixiに新しく、ボイス機能なるものが加わった。これはまあ、みたところTwitterの後追いであり、基本的にあれと何ら変わるところはない。ただ、Twitterをもっぱらロシア語で発信する場として使っている私としては、日本語でつぶやきたくなったときにはこちらを使う、という役割分担でいいかな、と思い、実際一日ひとことぐらいの割合でMixiボイスも、使ってきた。 ...続きを見る

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2009/10/23 06:50
1970年代末生まれはいろんなことに関しての最後の世代である
 眠れない・もう朝4時なのだが  仕方がないのでブログを書く。単なる思いつきを書き連ねてみる。 ...続きを見る

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2009/10/20 09:31
科学技術コミュニケーションとは何だったか?
 いやはや、あの、2000年代なかばに科学論業界を狂騒につつみこんだ科学技術コミュニケーションって、一体何だったのだろうか。私は今のところ、小泉政権下における「大衆の反逆」―大衆の「エスタブリッシュメント」に対するルサンチマンの爆発であり、これに「お上」は着実な支持を与えた―と、それに対応せざるを得なくなった科学者・技術者の過剰反応の一形態としてあの現象をとらえているのだが、これはまあ、間違っているかもしれない。  いずれにせよ、こんな、それ自体としては全く新鮮味のない事項が―科学・技術を一般... ...続きを見る

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2009/10/20 05:24
下手な考え休むに似てない
 最近のこのブログの諸エントリーに関して、それぞれのアクセス件数をちょっと見てみたところ、私見を開陳した「オリンピック」などよりも、著名人の名前で釣っているような「加藤周一自選録」や「太宰語録」のほうが、アクセスの伸びが速いようだ(まあ、びっくりするほどの差があるわけでもないが)。で、メドヴェージェフ大統領の名前を出した先月末のエントリーにはびっくりするぐらいみんな「釣られて」いる(いや、読者を欺いているわけではないですよ。事実を書いたんだし)。  ううむ。所詮世間は無名の若造の個としての貧し... ...続きを見る

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2009/10/07 02:33
太宰語録
 日の高いうちから呑む。一年に一度か二度、そうせざるをえないような状態の時がある。  で、シューマンを神妙に聞いている。これは良い傾向ではない。いったいに、私はシューマンという作曲家を好まない。うねうねした気分の浮き沈みにつきあわされている間に、こちらまで気がおかしくなってしまいそうになるからだ。しかし、今日はシューマンが受け入れられる。これは、繰り返すが、私にとってはいい兆候ではない。でも仕方がない。そういう日もあるのだ。    酒を飲みながらシューマンを聞きながら何をしているかというと... ...続きを見る

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2009/10/06 00:09
オリンピック
 そういえばリオデジャネイロに決まったそうで。おめでとうございます。 ...続きを見る

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2009/10/04 02:40
イスラエルワイン
 イスラエルワインとやらを飲んでいる。MonforTとかいう赤で、近所のスーパーで買ってきた。  買う時にはかなり葛藤があった。何せイスラエルである。私に言わせれば現在の世界で最悪最狂の人殺し国家である。「ならず者」度合いはしばしば非難されるイランやらリビアやらロシアの比ではない。そんな国のものを買って飲むのか、と。  しかし、好奇心に負けた。日本ではめったにお目にかからないし(イスラエルとロシアとには知る人ぞ知る、「緊密な」関係がある。そのためワインも入ってきやすいのではないか)、それにあ... ...続きを見る

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2009/09/27 02:49
敬老の日は必要か?
 いまさらながら、敬老の日があったそうですな。  これについては、不要論も出ている。たとえば私がいつも拝見している尊敬すべき科学史の先輩I氏の次のエントリーなどだ。 日記  ここでは敬老の日に対する根源的な疑念が述べられている。さすがに聡明なI氏のこと、「経験には経験を積んだ人間にしか評価できない価値があるかもしれないし、その意味ではとりあえず敬老しておく、ということもまったく不合理ではないかもしれない」という但し書きも述べてはおられる。しかし「とりあえず」というよりはもう少し積極的な敬老... ...続きを見る

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2009/09/23 03:53
護憲派じゃないもんで
 昨日に引き続き呑み。メンツの一人は昨日と同じA氏であった(爆)  A氏とは数年前、とある同じ「地下組織」=研究会のメンバー同士として活動していたよしみがある。私もA氏もその研究会のアクチーフ(活動員)だったのですな。彼の表現によると、同じメンバーだった某氏(今は某独立行政法人構成員)はその地下組織の中では右翼穏健派だったが、私は明らかに左派だったとのこと。まあ、そうだったかもしらん。当時、私は本当に若造だった(今でもそうだ)が、呑むとがあがあ放言していたような記憶もある。私の放言には、さすが... ...続きを見る

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2009/09/20 05:27
高等教育人事、あるいは、若者にとって住みよい社会
 モスクワにいらっしゃっているお世話になっている某先生と、数年ぶりにお会いする某先生と会食。学問上の話題も含め、話は多岐にわたった。大変に感じのよい会合だった。 ...続きを見る

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2009/09/19 05:19
シルバーウィーク
 わが国では今年、シルバーウィークなんてものがあるそうですな。  こちとら、休日も平日もない単彩色な生活を10年近く続けているので、自分の国の休日がいつなのやらさっぱり分からなくなっております。なのでシルバーウィークなんて言われても今一つピンときませんのです。まして今は外国にいるし。はは ...続きを見る

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2009/09/13 20:16
こんな大学いらねえ!?
 国立大学の統廃合私案なる面白いブログエントリーを見つけた。国立大学は多すぎる、10数校で十分じゃないか、とのこと。コメント量、多いですねえ。  半分以上ネタなんだろうけど、釣られてちょっとマジレスしてみよう。 ...続きを見る

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2009/07/19 23:02
ヘタレでも大丈夫、だといいなあ
 たまに精力的な人と言われたり紹介されたりすることがあるが、自分では全くそう思えない。少なくとも外国にわざわざ長期留学して研究をしようとするような元気ある人々の中では、私は相当無気力な引きこもりと分類してかまわない気が、主観的にはしている。毎日(昼寝を含めてだが)10時間近く寝て食事もちゃんととっているにもかかわらず、一日の半分は茫然としたり現実逃避をしていたり、計4時間も集中してものを書くともうへとへとになり、あるいは4時間も外出していると疲れきって家に帰りたくなる、人間関係もできる限り限定し... ...続きを見る

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2009/07/10 05:17
これが応用哲学だぁ??
 今年4月に行われた、応用哲学会開会式(?)の記念シンポジウムの画像が、ネット上にも配信されている。パネリストは伊勢田哲治、森岡正博、茂木健一郎という、ビッグ・ネーム。 http://www.youtube.com/watch?v=T2aIfzgUaAI&feature=player_embedded http://ocw.kyoto-u.ac.jp/extension-lecture/04/090426-10  3人の発表と質疑応答を2時間近くかけて見て、そのあまりのひどさにびっくり... ...続きを見る

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2009/07/07 06:18
iTunesUの恐ろしさ(その2)
 ちょっと前にiTunesUについて「びっくりしました」という趣旨のエントリーを書いたが(いいのか、そんなまとめで)、それがかも様のお目にとまったらしく、ご自身のブログにて関連した記事を書いていただいたようだ。ありがとうございます。  言い訳すると、あの時は軽い興奮状態のまま、いろいろとよく考えもせずに書いてしまったかもしれない。かもさんのおっしゃる通りドイツ語圏でもわずかながらiTunesUへの参加の試みはあるらしいし、日本でも例えば東大が、一般向け公開講座を、ネット上で無料配信したりしてい... ...続きを見る

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2009/06/18 04:00
『科学史研究』つまらない?
 叉聞きのそのまた又聞きという感じではあるが、学術雑誌『科学史研究』(日本科学史学会邦語雑誌)に最近魅力がない、という声がある、といううわさを聞いた。 ...続きを見る

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2009/06/16 02:52
「横浜はサイエンスカフェ不毛の地?」?
横浜はサイエンスカフェ不毛の地? ...続きを見る

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2009/06/07 06:12
iTunes Uの恐ろしさ
 iTunes UなるWeb上のサービスをご存じだろうか。いや、もうよく知られているのかもしれないが、私は今日初めて知って、個人的にびっくりしているところである。これは、米国のいくつかの大学が主導しつつ進めているプロジェクトで、大学内で行われている講義やイベントのの音声や画像をiTuneに取り込める形でアップロードし、世界中に向けて無償で提供しようとするものだ。  今渦中の人物(らしい)梅田望夫氏がコラムの中で紹介しているのを読み、早速UCバークレーの該当サイトを訪ね、たまたまもう載せられてい... ...続きを見る

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2009/06/05 02:57
みくしぃって何
 始めて、というか招待されて、3年近くたつと思うが、ミクシィ(mixi)ってのはなんなんだろう、と思う。  日記交換が主な目的なのか、とは思うが、私にもなんと40人近く(!多い!)のマイミクがいるのだが、日々チェックしていても、皆の書く日記のうち、本当に面白いと思うそれは10分の1以下にすぎず、読むだけの意義を見いだせない。わが友人たちには申し訳ないが、正直なところである。   (いや、面白い日記を書く人もいますとも。それについては後で述べます。) ...続きを見る

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2009/06/04 06:48
外国かぶれを戒めて
 先ほどのエントリーで、ついつい「進んでいるこちらの国ではこうなのに、それに引きかえわが国では」という物言いをしてしまった。まあ、私の場合「こちらの国」が通常日本人が見向きもしないロシアなので、そうしたニュアンスは薄れて伝わったかもしれないが。  こういう論理は、東洋と西洋が置かれてきた歴史的力関係や、様々な評価基準なるものが西洋のそれに基づいて作られてきたという経緯にまで想像力の及ばない「外国かぶれ」がよく採用するところであり、私なども「西洋」の一環に暮らす身として、こうした思考停止には陥ら... ...続きを見る

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2009/05/27 01:45
しっかりしている(かもしれない)ロシアの学問状況、あるいは博士号に求められるもの
 師匠と面談。詳細はこのブログにも貼り付けてあるTwitterを参照してもらうとして(笑)、まずまず上首尾の会談ではあり、上機嫌で帰ってきた。最近、研究所に行く時にはいつも「帰りはよいよい、行きは怖い」になっているような。 ...続きを見る

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2009/05/27 01:14
ついにロシアでも感染者
 主要国のうちで唯一、新型インフルエンザの感染確認がなされていなかったロシアですが、このたび、とうとう、アメリカからの帰国者の中から感染者(大学の先生らしい)が特定されたようです。 ...続きを見る

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2009/05/23 21:48
苦労してきたな
・世界で最も美しい国歌をもつ国が世界最狂のならず者国家である件 ・30年、振り返ってみたが、俺は何のかんの言って、かなり苦労してきたように思う。  若いうちの苦労は買ってでも…と? しかし、あまり理不尽なことを強いられると、人間ひねくれますよ。 やはり、苦労はしないでよいなら、それにこしたことはない ・通じる日本語を書ける人間というのは、識字人口のうちほんのわずかでしかないのかもしれない、という件。ミクシィ日記とやらを見よ。日本語になっているものは半分ほどでしかない。   他人に通じる言... ...続きを見る

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2009/05/23 06:22
国際主義のために
 今晩は呑まないつもりだったが・・・ついうっかり、やってしまった。理由をつけることにしよう。 ...続きを見る

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2009/05/02 05:22
本は読んでも呑まれるな
 日本ってメーデーは祝日じゃないんだっけか。 ...続きを見る

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2009/05/01 16:58
ニュース番組
 風邪をひいた。のどが腫れ、微熱がある。一日寝たり起きたりで、ここぞとばかりにサボっている。風邪をひくとサボる口実が自分に対して出来上がる、というのがよい。まあ、確かに独り暮らしで病気になると心細い、というのもあるが、近所に買出しに出かける程度の体力はあるので、数日休めば何とかなるだろう。  先週研究所の研究員の方に知らせていただいた、指導教員の先生の講演も、そんなわけで大事をとって聞きに行かずじまいだった。残念だが、これは仕方あるまい。 ...続きを見る

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2009/04/14 04:37
ミサイル発射?
 日本海を隔てた某国からミサイルが発射された、と、日本の公(おおやけ)筋が発表したものの、これは誤認だったとか。ご愁傷様です。  勝手な推測だが、こんな重大な誤認を犯してしまったのは、技術的問題というよりは担当者の精神的な問題によるところが大きかったのではなかっただろうか。わが国ではとかく一方向的な一過性の熱狂というのが起こりがちで―今回の場合、必ずあの国は今日何かしてくるはずだ、ということが言われすぎていた―、現場担当者・専門家もまた、今回はそうした「空気」に踊らされて本来もつべき冷静さを失... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 7

2009/04/04 21:49
文部科学省からの返信(長期海外留学支援制度について)
 以前のエントリーで扱いました、文部科学省海外留学生向けの奨学金が来年度からストップするという件に関して、先月半ば、文部科学省担当者に事情を問い合わせるメールを出しました。その返信が得られております。少し前のことですが。  これは公的な書簡だと思われるので、問い合わせメールともども、ここに掲示しておきます。(ちなみに、問題となっている制度はこれ) ...続きを見る

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2009/03/04 02:53
「重要なことは日記になんか書かなくても記憶に残るはずだ」という命題は検証不可能である
 以下の本文に直接関係ないですが、今朝は、夢の中で父(いわゆる「理系」人間)に「歴史なんて文芸批評なんかと変わらんのだろ」と言われ、「違う、歴史もまた実証科学の一分野なんだ!」と反論しようとしたところで目が覚めました。なんだかな。 ...続きを見る

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2009/02/23 01:44
ニートブログをまとめ読みしていたら日が暮れた件、あと、Jとの二週間
 ニートブログをまとめ読みしていたら日が暮れてしまった。いや面白かったもので。  定義上は(たぶん)私はニートじゃないのだが、多くのニートと共通する生活習慣やら、感覚やらの持ち主であるもので、共感できるところが多かったのだと思う。  そういえば今日は、銀行に行って公共料金を払い込み、両替をしてきたのだが、なんだかこれだけで大仕事したような気分になってしまい、帰ってから何も実のあることはやっていない。この辺もニートっぽいですかね。まあ、モスクワの銀行はストレスがたまる場所なので疲れたのだよ、と... ...続きを見る

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2009/02/18 03:15
お、俺のせい?!
 私が今奨学金を受け取っている(正確には、まだ受け取ってはいないが、受け取れるはず)の、文科省長期海外留学派遣制度(大学院生・若手研究者向け)、来年度から新規採用をストップするらしい。ええええ ...続きを見る

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2009/02/10 23:03
「ソ連時代のほうが、全体としては良かった」
 モルドヴァからJが来ており、うちに泊めてやっている。なんだかつい数ヶ月前にも東京で全く同じ状況を経験したような気もするが。気のせいだろう、多分。 ...続きを見る

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2009/02/05 00:17
嫌いなもの-ヴィザ
 数年前まで、嫌いなもの、なくなってほしいものは何ですかと問われても、―いや実際にはこんな質問をされることなどまずないけれども、仮に問われたとしても―、ちょっと返答に窮していただろう。で、変に抽象的なもの(米帝の傲岸さ、とか)を苦しまぎれに出していたかもしれない。  しかし今では即答できる。「ヴィザです」。まったく、この、厳然たる国家間の壁を象徴する書類のために、滞在国に有力な紹介者・保証人(大学など)を持たない私などはどれだけ神経をすり減らしてきたことか。  ヴィザ制度は、実際に人々を威圧... ...続きを見る

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2009/01/28 18:08
国歌はこうやって歌うものです!!!!
 国旗だの排外主義だの、新年早々うっとおしい話題を振ってしまいましたので、口直しにおもしろ映像の紹介をば ...続きを見る

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2009/01/03 08:35
ロシア国旗は嫌いだあ あるいは、排外主義を排す
 今年の年始はクレムリンに初詣でに行って、まあ、それはそれはきれいだった。それはいいのだけれど、ちょっと気になることがあった。  クレムリンに向かうモスクワ川に架かる橋の両脇が、みごとに、上から白・青・赤(だったっけ?)でライトアップされていたのだ。もちろん、ロシア国旗をもじった(?)ものである。  なんだか嫌な気分が少しした。別に私はロシア民族やロシア国家に対してなんら含むところはなく、それどころか日本人にしてはこの国を尊重し、敬意を払っているほうだとは思うが、それでも近年のここでのナショ... ...続きを見る

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2009/01/03 06:25
唯物論者?
 先日研究所に行き、たまたまそのとき行われていたミニ・パーティー(彼らの定義づけによれば「セミナー」あるいは「国際シンポジウム」)で、現地指導教員の先生から、「たぶん、おまえは唯物論者だろう」と問われた。「たぶん、そうだろう」と、適当に口真似をしてその場は答えておいたが、さて、はたして自分は唯物論者だろうか。  以下、哲学に詳しい方にとっては全く幼稚にうつるであろう議論を展開することを断っておく。目に余る、という時にはお叱りをください… (ちなみに先生は「私は観念論者だな、ハハハ」と言ってい... ...続きを見る

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2008/12/29 06:30
キリル文字入力があああ
 パソコンにアプリケーション快速化ソフトなるものを入れたら、途端にキリル文字入力ができなくなってしまった(文字そのものを再導入しようとしてもダメ)。何なんだ、速くしてやるのはいいがそのかわりロシア語は使わせないぞって言うのか(いや、このソフトのせいと断言するのにはまだ早いのだが)。いろいろとやることがまだあるこの時期に、かなり弱ったことになった。 ...続きを見る

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2008/12/12 01:11
やはり英語一辺倒か…
[ニュース]外国語を「話せる」日本人のうち、英語以外が「話せる」と回答したのは個々の言語ごとに[追加12月11日]10パーセント未満[題目は変えてあります] ...続きを見る

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2008/12/11 00:41
放浪し、希求する者たち
 昨日、モルドヴァから(正確には未承認国家沿ドニエストル共和国から)来たJが、北海道に発った。  今日も、フランスから来たJを、日本人彼女が引き取りに来た(なんだか不用品みたいだな)。これで彼らの出迎え・宿泊所の提供という私の役目はひとまず終わった。あとは女の子たちにバトンタッチ、である。  モスクワで知り合った別の日本人の友人には、よくもまあ一か月もの滞在を許したものだ、と驚かれたが、なあに、寝る場所を提供しただけで、互いに特に干渉せずに過ごしていたから、たいしたことではない。彼らは独立心... ...続きを見る

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2008/10/06 22:20
ハイヤームはアラビアの人? ペルシャの人?
 10世紀前後文化の話をする際に、この時代の先進地域であったアラビア半島含むイスラム教地域のそれに関して、あれは「アラビア」文化だったのか「イスラム」文化だったのか、という論争があるらしい(よく知らないけれど)。言語をとるか宗教をとるか、という話なんだろうか。  私は別にこの論争に関してどちらに与するというほどの知識もないし、論争に与したいとも思わないのだが、ひとつだけ・・・自分はこの手の話を聞いた時には常にペルシャの知識人・オマル・ハイヤームの事を思い出すなあ、という感想のみ、述べておきたい... ...続きを見る

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2008/08/28 01:38
市民科学研究室講座(原爆開発の歴史に関する)に参加
 暑い中、久々にNPO法人・市民科学研究室の催しに行ってきた。去年から話題沸騰のドキュメンタリー映画「よみがえる京大サイクロトロン」を上映して、それに基づいて討論しましょう、という企画。  映画そのものは「よくやった」、ということで済ませまして(近しい研究仲間の作品なのに申し訳ない。長く論評している余裕がない)、そのあとの討論―主として第二次大戦戦時下(終戦直後も含む)の物理学者の軍事研究協力をどう評価するかに関して―から感じたことを、忘れないうちに書き記しておこう。雑駁なメモですが。 ...続きを見る

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2008/08/03 01:51
日本人の国民性―吉田秀和の文章から
 吉田秀和の評論「荷風を読んで」を興味深く読んだ。ああ、われわれ日本人って、確かにこうかも知らん。 ...続きを見る

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2008/07/09 18:25
コメントに対して
 過去のエントリーに対する南下政策を調べていた通りすがり。さんから寄せられたコメントへの回答を書いていたら長くなり、字数制限を超えてしまいました。以下に掲載します。 ...続きを見る

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2008/07/09 17:40
エコにふさわしい制度は?
 ひと月前、療養生活のヒマにまかせてこんなことを考えた。よく言われるように、先進工業国の資源消費の膨大さは、このままでは間違いなく次世代以降に禍根を残す。今、できる限り省エネ省資源に尽くさなければならないが、そのためには個々人の自助努力や意識改革に待っていたのでは間に合わないかもしれない、というか到底間に合わないだろう。なんとか、いささか手荒な手段でもこの際いいから、制度的な改革をもたらしえないか。 ...続きを見る

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2008/07/05 03:55
やっぱりホイッグ史観はどうかと思うという話
 最近ますますその印象を強めているのだが、どうも近代以降の科学史・技術史をやる人には、勝利者への思い入れ・あるいは欠如・限界とみた事象に対しての未練をもとにした歴史記述に傾く傾向が多いように思う。これは、自然科学・技術という分野が、芸術はおろか政治や経済といった分野に比べても、「勝利者」がより明確に判定される、少なくともそう思える場合が多い、そして教育も勝利者の学説をもとにして行われる、という事情と関連しているのだろう。  上記のような記述方法は必ずしも著者によって意図的に選択されていない場合... ...続きを見る

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2008/07/02 04:50
リトアニアからソ連が消える
 リトアニアが国内でのソ連を想起させる象徴の掲示、ソ連国家の演奏等を禁止したそうだ。ファシスト・ドイツと共産主義ロシアを同一視している、という解釈でいいんだろうか。多分いいんだろうな。 ...続きを見る

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2008/06/18 22:19
ええ加減なもんや
 肝炎が見つかって、一週間入院した。今回のことで、医療を見る目が柔らかくなったというか、その案外ないい加減さを身をもって知ったといえる。これは大きな収穫だった。  入院は突然のことで、家族も驚いたらしい。最初の晩、実家に電話を入れたところ、関西に帰って父親が勤める病院で治療してはどうか、と両親がしきりに勧める。(私の父は臨床歴30年のベテラン勤務医である)  これには気乗りがしなかった。普段であれば帰省するぐらいどうということはないが、この場合肉体的な消耗が心配だった。体が非常にだるく、異常... ...続きを見る

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2008/06/05 19:34
ガソリン値上げ
 寝ころがっての蟄居生活だが、世間の様子は知られぬでもない。ガソリンがまた上がったそうだ(数日前のニュースですかね)。 ...続きを見る

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2008/06/05 10:51
「ヴェトナーム! ホー・チ・ミーン!」
 去年モスクワに留学していた時期にはちょっと変わった出来事にあうことが多かった。以下はそんなエピソードのうちほんの一部。 ...続きを見る

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2008/03/08 21:17
科学史を元気にする?
 日本の科学史の元気がない、という。みんな小さな自分の研究テーマにちぢこまっている、スターがいない、社会に対するアピール力がない、大学院生が集まらない、講座も切られていく、なんというか、ないないづくしだな、と。その通りだと思うが、はてどうすればいいかとなると、どうも姑息な手段しかとられていないようにも思う。「科学をわかりやすく伝える」ための道具として自分を売り込むとか。そんなの科学史家の仕事じゃないだろ、という気がするが、そんな私は現場の切迫感を理解していないおめでたい、時代がかったロマンチスト... ...続きを見る

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2008/02/29 00:02
「短文傾向」について
 最近気になることを少し。  若い(20代の)知人友人のブログなどにおける文章に、気のせいか、最近「短文傾向」が目立つように思える、ということだ。  短文、というか、一パラグラフが、私などの目から見るとずいぶん短く思える、と言い換えてもいい。つまり、改行が多すぎる、ということか。  彼らの文章とて、論理が通っていないわけではない。しかしまあ、とにかく、途切れ途切れで思考をつむいでいる印象が強いのだ。  この手法は、プロでいえば、村上龍、内田樹などに目立つ。 (後者は私の嫌いな論者だが、... ...続きを見る

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2007/10/04 05:44
ロシアの食文化をめぐって
 しばらく放置しておりました。皆様いかがお過ごしでしょうか  10月になりましたが、まだ10月なのか、というのが偽らざる気持ちです。9月は研究面で驚くほど充実しており、快調だったのですが、10月に入って反動が来たりはしまいか(経験上、こういうことはありがち)、と戦々恐々としております。  ともあれ、肩の力を入れすぎずにがんばっていこうと思います。 ...続きを見る

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2007/10/03 06:06
いつ留学すべきか
 いつ留学するのがいいのか、などと言ったって、そんなことは留学の目的によって違ってくる、というのが一番正しい答えであるわけで、それでこの話は終わってしまう。プロのスポーツ選手・音楽家になりたくて外国でしかいい指導が受けられない、というのなら15歳だろうが何だろうが四の五の言わずにさっさと出るべきだろうし、すでに一人前の域に達している学術研究従事者が資料集めや外国人との交流を図るために、というのなら、40歳だろうが50歳だろうが外国に滞在するのに遅すぎるということはないだろう。ここでは「日本と外国... ...続きを見る

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2007/09/22 04:08
売り手が買い手に感謝するのは当然なのか?
 ロシアに来た日本人が驚くことのひとつに、キオスク・商店での売り子の愛想の悪さに加えて、買い手の側が商品を受け取るさいに「ありがとう」という習慣のことがある(もっとも、それほど頻繁に見かけるわけでもなく、また、たまには「買ってくれてありがとう」という店員もいなくもないが)。実は私自身、いまだこの習慣にはなじめておらず、商品受け取りの際にどういう態度を取ればいいかわからず、ばつの悪さを感じてしまうのだが、まあそれはともかく、ここからいろいろと日本人の論評が始まるわけだ。 「あんなに態度悪い店員に... ...続きを見る

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2007/09/06 05:42
近況と、ウクライナ・ナショナリズムをめぐって若干
 日本は全国的に猛暑だそうで。ご愁傷様です。  などと見下ろすかのように言いましたが、当地モスクワでも午後6時ごろは結構な気温になります(不思議なことに、この時間が一番暑い)。おまけに数日前から、発熱と胃腸の不良に悩まされていて、今日などはかなりダウン気味、一日部屋で過ごしておりました。8月に入ってから、精神面はともかく体調はどうもいけないな。気力の残っているときを捉えて読書・勉強するようにしていますが。  20代前半まではどんなに無茶苦茶な生活を送っても、翌日休養すればなんともなかったのだ... ...続きを見る

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2007/08/12 01:11
ロシアの売り子にはサービス精神がない、というのは本当か
 ロシアでは旧ソ連時代の遺物なのか、サービス精神がなっていない、という感想をよく聞く。無愛想な店員や公共機関の職員、好き勝手な時間に休みに入ってしまう受付の人々、そんな風景を見れば、「まったく、社会主義というのはだから、、」などという気持ちを、特に外国人が抱きがちなのはわからないでもない。私も以前は、ロシアの店頭などで、まるで怒られているかのような対応をされたと感じる(今思えばこれはやや被害妄想であったが)機会が多かったので、サービス精神というのはあまりこの国には根づいていないな、などと思ってい... ...続きを見る

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2007/07/16 02:30
「愚かさに国境はない」という言葉をめぐって(短文です^^)
 愚かさに国境はない、という。  まったくそのとおりで、どこの国にも馬鹿なやつはいる、わけだ。   しかし、この格言はいやなものだ。この格言の主張そのものがいやなのではなく、こんなことをわざわざ主張しなければならない状況がいやなのだ。  「愚かさに国境はない」などとわざわざ言わねばならないということは、「愚かさに国境はある」と思っている人間がどこかでいる、ということだろう。そうでなければこれは格言として成立しない。  外国の過剰な美化、あるいは自国に対する過剰な自信、そういったものがこの... ...続きを見る

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2007/07/09 04:04
やっぱりバクーニン
 大学図書館に行ってバクーニンを読んできた。  一年前このブログでも書いたことがあるが、やっぱりバクーニンは面白い。19世紀ヨーロッパは数知れない社会思想家を生み出したが、その中で人の心を打つ文才をもった人物として筆頭にあげられるのはバクーニンではないか。その思考の明晰さ、首尾一貫性、そして何よりの、あっけらかんとした楽天性において、この「西欧に対する反逆児」はほかの追随を許さないように思う。マルクス主義者などよりも、数倍共感できるさわやかさを持っている。  危険思想。そう自覚していたからこ... ...続きを見る

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2007/06/06 03:06
無題
 モスクワは最高気温31度だそうです。なんやそれ〜 ...続きを見る

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2007/05/31 23:59
記事移動−この国で知識人として・・・
 昨年7月に書いたエントリー「この国で知識人として立つことの困難さ」がなぜかスパムの集中攻撃にあっているので、当該エントリーを消去し、こちらに移動します。さくママ さんからいただいたコメントもこちらに転載します。 こんなことをせねばならんのは残念です。 ...続きを見る

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2007/05/22 12:30
実在論は馬鹿にできない
(4/20、タイトルを一部修正) ...続きを見る

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2007/04/17 18:53
ヴェーバー読解をめぐる羽入―折原論争、あるいは、現代日本における人文社会系学問の堕落?
 アカデミズム内での動向に関して、最近気になることはいろいろあるが、そのひとつが羽入―折原論争(論争といっても今のところ一方が批判するばかりで、一方が批判に答えていないのだが)である。これは2002年にミネルヴァ書房から出版された羽入辰郎著『マックス・ヴェーバーの犯罪』に対して、ヴェーバー専門家の折原浩氏が、当該書物に見られるヴェーバー読解のずさんさ、不適切さ、著者の学問に対する姿勢にある根本的な不真面目さ、等々を激しく批判する論議を展開し、これにからめて『ヴェーバー学のすすめ』(未来社、200... ...続きを見る

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2007/04/17 00:01
これがハイテクか
 最近パソコンが動作不安定で、しょっちゅう予告なしに電源がぶっちぎれる(たぶんCPUのオーバーヒートのためだと思うのだが)ので、不安を感じてデータのバックアップを試みている。しかし、これすらうまくいかない。  CD-Rにデータを焼こうとしても(断っておくが、別に大容量のそれでもなければ、特別な処理を行おうとしているわけでもない)途中に何かしらトラブルが起きて、うまくいかない。こちらは、さほど複雑な処理を試みているわけではないのだが。何がいけないのだろう。 ...続きを見る

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2007/04/11 03:03
冷笑家、不平家を警戒せよ
 アカデミックな世界は、納得いきかねる、不条理、矛盾、醜悪さに満ち満ちている。嫉妬、不透明な人事、姑息なごまかし、強情さ、怠惰、権勢の誇示、まあ、悪徳なんでもござれ、だ。  しかしこういった要素はほかの世界にも共通のもので、人間同士が集う以上は必然的に出てくるのだろう(とはいえ、アカデミックな世界特有ではないかと思える病理もまたあるわけで、これについて突き詰めて考えてみることも必要だが)、と考え、大概のことには我慢するようにしている。  しかしそんな風に大人であろうと努める私にしても、どうに... ...続きを見る

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2007/04/06 20:59
ダ・ヴィンチ展@国立博物館
 昨晩、焼酎を片手に十年ぶりぐらいにドストエフスキーの『地下室の手記』(江川卓訳、新潮文庫版)を読んでいたら、「ええい、実証研究なんて、博士論文なんて、どうでもええやないか」という気分になってきた。いかんな。 ...続きを見る

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2007/04/05 20:08
ビザンツ帝国史、ダ・ヴィンチ
 ここのところ自分の専門以外のことについて十分に読んだり考えたりする時間(というより精神的余裕)がない。専門馬鹿になってしまうのではないか、いや、今は馬鹿であっても専門家になるのが先決問題なのか、など、悩みは尽きない。 ...続きを見る

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2007/04/03 22:31
進化に関する講演を聴く、あるいは、現代の科学哲学者に若干もの申す
 午後、大学に自転車をこいで行き、進化概念に関する哲学研究者の講演を聴く。最近、生物学の哲学に少し興味を持っていることもあり、大変いい勉強をさせていただいた。 ...続きを見る

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2007/03/07 01:04
人間観の転回−廣松渉「マルクス主義と自己疎外論」を読む
 廣松渉の初期の作品「マルクス主義と自己疎外論」(1963年)を読む。難しいが、結構考えさせられる論文だ。  自分なりに勝手にまとめてしまうと、個人を社会を成立させるアトム的な基本単位として捉える、従来のブルジョア社会で一般的だった人間観−自然法の思想やヒューマニズムや一時期はやった自己疎外論も基本的にこのような人間観を基盤にしている−に対して、個人を第一次的に被拘束的なものとして、「社会的諸関係の総体」として捉えたのがマルクスだ、とそういうことなのだろうと思う。  ううむ、ということは近年... ...続きを見る

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2007/03/03 00:59
厳罰をもって臨むように??
 飲酒運転に対する罰則が強化されるという。ううむ。  別に飲酒運転を擁護するわけではないが、少し事件が続いたからといって即座に厳罰でもって臨むのはいかがなものか。 ...続きを見る

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2006/12/28 22:23
なぜ「なぜロシアをやるの?」と聞くのか?
 初対面の人に、自分が何者で今何をやっているかを説明すると、ほとんど十中八九と言えるほど「なぜロシアに興味をお持ちで?」と聞かれる。正直言って、またか、という感じで、この時点で内心うんざりしている。そう、わが国ではロシアのことを扱う人間はなぜか珍獣扱いされるのである。  本心ではこう聞き返したい。「なぜそんなことを聞くのですか。あれほど重要な国に興味を持つのがそれほど不思議ですか。隣国で、日本とも少なからぬ交流の歴史があり、文化大国でもあり、今でも好き嫌いは別として国際社会における存在感だって... ...続きを見る

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2006/11/29 01:14
時には金の話もするべきではないか
 昨日、大学から、8月に利用させていただいた公費の後払い(10万円以上)が振り込まれたとの知らせが届いた。やれやれ。  これだけ遅れたことに対して、私自身と大学の事務サイドとのどちらに責任が重いのか、よくわからない(私自身にある種の怠慢があったのは確かだが)。事態を振り返っても状況はかなり錯綜していて、当事者である私ですら全貌はつかめない。官僚主義的システムはかくも複雑なのであり、おそらく後世の歴史家に格好の材料を提供する類のものなのだ。 ...続きを見る

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2006/11/16 00:02
ドイッチャーを読み返して
 昨日は二日酔いのせいで、昼過ぎまで起き上がれなかった。痛い頭を抱えつつ、久々にドイッチャーの『レーニン伝への序章』(山西栄一訳)を読み返す。マルクス主義者でかつ、正面きっての戦い―スターリニズムに対しても、ナチズムに対しても、もちろんアメリカ帝国主義に対しても―を挑んだ人の信念により、ボディーブローをくらったような気分であった。 ...続きを見る

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2006/11/10 23:09
国産旅客機・・・
 一昨日のニュースだが、戦後唯一の日本産旅客機、YS-11が最後のフライトをしたようだ。この旅客機、1971年に製造が打ち切られてのちも、日本のローカル線においては細々と運行が続けられていたようだが、ついに老朽化が隠せないのか、現役を退くこととなった。徳島空港では「涙ながらに」別れを告げる航空機ファンの姿が多くみられた。 ...続きを見る

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2006/10/02 23:23
原子力発電の逆襲?
 もう二週間前だが、ロンドン滞在中に買った週刊誌NewScientist誌に気になる記事が載っていたので、それについて書く。 ...続きを見る

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2006/10/01 22:51
ロンドン雑感
 ロンドンとはどういう街だったか。 ...続きを見る

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2006/10/01 00:04
新政権誕生
 どうもここ数年の政局は、手品でも見せられているようだ。なぜ、格差社会を助長し、国家構成員の多くの部分に明白に損害を与えている政権が、時代遅れとなった対米追従の外交姿勢を伴っているにもかかわらず、支持を得続けているのか。あまつさえそれに反対しようとするいかなる言論も野卑な叫び声によってかき消されようとする状況が形作られているのか。なぜ、一人ひとりの生活を向上させよう、というもっとも切実であるはずの要望が、政治に対して投げかけられること・あるいはその声が取り上げられることがここまで少ないのか(これ... ...続きを見る

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2006/09/23 23:15
釧路方面紀行文その三―土産物屋の店頭で晒されていた白いキタキツネの仔について
 阿寒湖畔の土産物屋の店先に、白いキタキツネがつながれていた。  掲げられていた「自己紹介文」によれば、彼はまだ一歳程度で、エリマキにさせられそうだったところを救われて、この店の「営業部長として」働いているのだという。命を助けられた見返りとして、人間の好奇の目に晒される役目を任じられた、ということか。  この幼いキツネ、明らかに人見知りをするようだった。店の人が散歩に連れて行こうとしているところをちょうど見かけたが、見るからに嫌がっており、綱を振り切ろうとしていた。  『ブラックジャック』... ...続きを見る

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2006/08/21 21:44
国際関係ニュースあれこれ
 国際関係でいろいろあったここ一週間ほどだった。ロンドンでのテロ騒ぎ、靖国参拝、根室での銃撃。 ...続きを見る

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2006/08/19 01:18
ソクーロフ『太陽』公開。あと、キューバはどうなる
 明日から、昭和天皇を描いたソクーロフの映画『太陽』が公開される。  妙な「自主規制」などせず公開のために尽力した関係者の方々に敬意を表したい。言論の自由は首の皮一枚でつながった、か。 ...続きを見る

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2006/08/04 20:52
ロシア語の難解な論文を読む楽しみ
 とあるロシア人生物学史家の、最新の論文を今日、読み始めた  1920年代、あるロシア人生物学者が人間とサルとの交雑種を作る試みをやっていた。これをどう捉えるべきか、という論文。自分の専門からは少しかけ離れているし、博士論文を書くべき自分がこんな寄り道をしている場合ではないのかもしれないが、しかしまあ、生命倫理のような、今後自分が世間的に期待されるであろう役回り(専門的職業についている人間なら誰でも知っているように、自分の本来やりたいことと周囲から期待されることとには若干のずれがあることが普通... ...続きを見る

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2006/07/24 23:25
オルテガ『ガリレオをめぐって』をめぐって
 オルテガの上述の書(法政大学出版、1969年)を読み進めている。まだ途中だが、少しばかり感想を書いてみる。 ...続きを見る

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2006/07/20 23:59
露鵬復帰!
 昨日のネタですが、昨日は忙しかったもので、今日書きます。 ...続きを見る

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2006/07/20 23:27
安倍への追い風
 北朝鮮のミサイル発射によって国際情勢がいかに動くか、それはまだよくわからないが、日本国内の政治をみれば、これは間違いなく、次期首相に安倍を近づける追い風となっているであろう。中国や韓国からすればもっとも歓迎すべからざる事態であって、あせった韓国が「日本は騒ぎすぎ」と、日本人に嫌われるようなことをつい言ってしまうのもわかるような気がする。 ...続きを見る

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2006/07/15 23:24
青年期の悩みを親の世代は理解しない―豊中の殺人事件に思う
 またも、親殺しかと思われる事件があった。現場である大阪府豊中市は私が生まれ育ったところで、現在でも両親がそこに暮らしている。容疑者は大阪大学に籍を置くが「崩れ」てしまった24歳の学生のようで、そういうところからしても、なんだか他人事とは思えない。 ...続きを見る

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2006/07/08 00:49
ミサイル発射にみるロシア・ファクター
 北朝鮮がミサイルを発射した。しかも7発もである。日本の首脳部、メディア、国民はてんてこ舞いのようである。私も数時間前までその一人であった。 ...続きを見る

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2006/07/06 03:35
北朝鮮の反体制派はどこに
 北朝鮮がひどい、ひどい、といわれて久しいが、不思議なのは北朝鮮の反体制派、つまり内からの反逆者の声が聞こえてこないように見えることだ。耐え切れずに亡命した人はいる。しかし内にあってひそかに反対の声をあげている人物が、思い当たらない。  ソ連史をみてみよう。1970年代、ブレジネフ時代にネオ・スターリニズムの台頭とも言われる言論弾圧の時代が来たときにも、地下出版物や暴露的書物を通じてのきわめて知的かつ大胆な想像力を持つソ連内部からの反体制派の活動は国外まで聞こえてきた(私はその時代に生きていた... ...続きを見る

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2006/07/04 23:28
受験もまたいい思い出だった、などとは一生言わない
 もう今となっては一昔前のことだが、私にも大学の受験生であったことがあった。教師、親、周りの雰囲気、すべてに尻を叩かれながら一年間、ガリ勉した。抜群の成績ではなかったし要領もさほどよくはなかった私は、余裕をもっての現役合格が予想できる身ではなく、センター試験(1月)ごろまでとにかく不安だったことを覚えている。  いまだにあの時期のことはいやな思い出でしかない。受験生時代に苦しむのも後から見ればいい思い出になるよ、とか、人生を切り開くためのいい試練だ、というようなことは当時から聞かされていたが、... ...続きを見る

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2006/06/27 22:14
伝統は閉鎖的な場所では育ちはしない―教育基本法改正案の愚劣さ
 教育基本法改正の動きが物議をかもしている。しかしよく言われるように、改正案はきわめてあいまいで主眼がよく見えない上、「左巻き」の人々が主張するように、教育における強権主義、あるいは現代の法治国家の根本原理との矛盾を抱えた体制、への道を開いてしまう恐れもある。  このエントリーでは、そのような言い古されたことはあえて繰り返さない。改正案のうち「愛国者」にとっても具合が悪いと思われる点を指摘しよう。私は右翼ではないが、まあ、右からの逆襲です。 ...続きを見る

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2006/06/21 23:36
パソコン買い替え時に思う、現代の消費者が置かれている状況
 先日、5年間部屋に置いて色々世話になったデスクトップパソコンに別れを告げた。とあるNPO団体を通じてリサイクルに出してもらった。現在、一昨年夏に買ったノートパソコンのみを用いている。 ...続きを見る

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2006/06/17 02:58
最近政治ネタを書いていないが
 どうも最近政治ネタを扱っていない。関心がなくなったわけでもないのだが。  これだけ問題の多い世の中、視野の狭い私とて言いたいことは色々あるのだ。ただ、単純で月並みなこと/あるいはいい加減な知識に基づく不正確なことは書きたくないという「インテリ病」のせいか、ブログで取り上げる話題は限られてきてしまう。加えて最近は個人的なこと(論文を書くという自分の仕事は必ずしも個人的な事業とは考えていないが)にかまけているということもある。 ...続きを見る

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2006/06/08 20:50
パワーポイントの功罪など
 前回のエントリーで学会発表のことについて書いたが、ちょっと書きたりなかったことを一点。 ...続きを見る

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2006/06/02 23:18
近況
 どうも日程が空いてしまった。心身に余裕がなかったのと、あと、ブログを続ける意味についてはたと考え込んでしまったということがある。  方向の定まらない(よく言えば「話題が多方面にわたる」)日記調のブログなど世界中に公開し続けることに意味があるだろうか、とか、ここに書かれている多くのことはディレッタントの垂れ流し言説に過ぎないのではないか、とか(だからといって日本語で書く以上、現時点では自分の専門のことばかり書いて人が寄ってくるとも思えんしな)、まあ、色々考えていたわけです。  うーむ。 ... ...続きを見る

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2006/06/02 00:29
私は読書家とはいえない、が
 文科系の研究者には、やはりというべきか、読書家が多い。中にはブログ等によって読書記録を公開していらっしゃる方もいて、そうした記録を読むと私はいつも打ちのめされてしまう。毎日新しい本の情報を加える彼/彼女らの読書量、本に対する目配り、はすごい。自分の知人・友人の中にも、ネット上での公開はせずともその途方もない蔵書と読書量を誇ってもよいぞ、と思われる哲学研究者やら歴史家は幾人もいる。 ...続きを見る

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2006/05/26 02:07
文章を書くのは無理やり何かを搾り出す類の作業かもしれない
 差しさわりのある言い方かもしれないが、周囲の研究者・大学院生を見ているとある類型の人がいるのに気づくことがある。彼あるいは彼女は資料を集め、よくそれを読み、あるいは観察しているのだが、にもかかわらず、論文をまとめることができないまま何ヶ月も何年も悩みっぱなしなのだ。私などよりよほど勤勉で史料をよく読んでいると思われる人がいつまでも論文を書けない/平板で主張のない論文しか書けないのを見て首をかしげるときは時々ある。  これはなぜかと考えてみるに、半ばあてずっぽうで言うのだが、彼らはまじめすぎる... ...続きを見る

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2006/05/23 23:34
仲正昌樹『日本とドイツ―二つの戦後思想』(光文社新書、2005年)
 ちょっと期待はずれだった。  二つの敗戦国の戦争総括などの違いがなぜ生じた/生じている のか、明快に対比されつつ述べられているのだろうかと思ったのだが、次から次へと目まぐるしく出てくる両国における思想史の雑多な事例に右往左往しているうちに、自分がどこに連れられていくのかよくわからなくなってしまう感覚を覚えた。何人もの思想家の考えおよびそれの受容のされ方が、しばしばあまりにも単純化された記述によって出現するため、果たしてそれを全部信じていいのかどうか不安になってしまう。さらに筆者の個人的な見聞... ...続きを見る

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2006/05/20 23:58
なぜ実名でブログを運営するか
 このブログ(そして旧HPも)は実名を明らかにした上で運営している。これはネット上での一般的な趨勢には反しているかもしれない。実名ブログの大半は公的な宣伝、意見表明、実業を伴っているが、私のブログの内容は公的な性格が薄く、個人的な独り言のようなものが割合としては多いにもかかわらず、匿名で運営してはいない。 ...続きを見る

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2006/05/18 23:58
電話が嫌だ
 電話をかけなければいけない用事を一つこなした。10分足らずの通話だったが、これだけで、集中して勉強したときの二時間分は疲れたような気がする。結構えらい人相手の重要な会話だから気疲れしたということもあるが、それだけではない。電話そのものがもともと嫌いなのだ。  友人から受ける電話はそれほど問題なく受け答えできるが、その場合ですらどうも用事だけを済まして切ってしまいたくなる傾向が強い。こちらからかけるというのは友人相手やオペレーター相手ですら敬遠しがちで、できる限り用事はメールであるいは直接会っ... ...続きを見る

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2006/05/15 23:31
排外主義的ナショナリズムの興隆をめぐって若干
 以下述べることはある種の人には別段目新しくない、当たり前の意見かもしれないが、私にとっては最近思いついた少し新しい考えなので私的なメモとして書いておく。 ...続きを見る

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2006/05/10 23:20
たいした根拠もなくフランスを馬鹿にする悪癖
 ドイツ語を読まねばならない羽目に陥る可能性が出現。10年ぐらい全くやっていないのに。ガクガク。 ...続きを見る

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2006/05/08 02:17
市民はどこにいるのか
 昔から、日本に市民はいるのかどうか疑問に思っていた。市民がすでに存在していることを当然視し、そのあたりを歩いている人が皆市民であることを疑わないまま話を進める人々には今でも少しく違和感を持っている。  市民という階層は、単なる民衆や人民やましてや群衆ではない。これらの階層に比して、明確な付加的意味が加わっている。単に人間やってますというだけではだめで、国家からも旧来の共同体からも独立した意識・政治理念を持ち、自らの利益を自覚しつつ時には発言行動する階層ということでなければいけないだろう。市民... ...続きを見る

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2006/05/05 23:33
なぜそんなものを読む
 なぜそんなものを読むのだ、と私に聞いてみたくなる人もひょっとするといるかもしれない。そんな今日性のないものを。今では滅びた思想を。 ...続きを見る

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2006/05/05 00:01
面白いぞバクーニン
 先日、バクーニンを読み始めた話をしたが、引き続き読んでみるとめっぽう面白い。エンゲルスより面白い。市民運動家の人たちの文章より面白い(失礼!) 自分の論文を読むよりはるかに面白い。 ...続きを見る

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2006/05/04 18:06
橋爪大三郎の文体
 橋爪大三郎『隣のチャイナ』(夏目書房、2005年)を、渋谷の書店で買ってきて、今、読んでいる。  橋爪大三郎には、誰が見てもすぐさま気づくような、独特の文体が、ある。その文体ゆえに、彼の文章はわかりやすく、すんなりと、頭に入ってくる。 ...続きを見る

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2006/04/29 21:01
休んでます。
 火曜日に、研究会で時間をかけた(2時間ほどの)発表をした。原稿やレジュメの作成は間に合ったし、用意したギャグが受けなかったことを除けば、まあうまくいった発表および質疑応答だったと思う。 ...続きを見る

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2006/04/28 13:40
生涯の年金額は保険料の・・・!??
 今更ながら、一月ほど前に社会保険庁から送られてきた「国民年金保険料の納付についてのご案内」の文面が気になっている。皆さんももうご覧になったでしょうし、読み流されたかもしれませんが、  こんなことが書いてあるのだ。 ...続きを見る

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2006/04/22 03:03
「女嫌い」
 一ヶ月ほど前、川島慶子『エミリー・デュ・シャトレとマリー・ラヴワジエ―18世紀フランスのジェンダーと科学―』(東京大学出版会、2005年)を読んでいたら、本論ではない一口コラムのような箇所の一節が妙に気になったので、引用しておく。 ...続きを見る

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2006/04/22 01:39
近況、あと、こんな国にいて死にたくなりませんか
 論文の仕上げを中心とした禁欲的な生活が続いています。昼過ぎに起き、雑用をこなし、ワープロソフトを立ち上げ、査読者の意見を参考に論文に加筆し、疑問点を史料に立ち返って調べ、また論文をチョコチョコ書いたり削除したりし、また史料を読み直し、黙考し、不見識を恥じ、また書き直し、また史料に帰り、嫌になってきてそのうち細かい訂正や小手先の修正に走り出し、まあそんなことをやって疲れ果て、気づいたらとっくに日付が変わっていたりするころ魅惑的な液体に手を染め、酩酊状態でゲームやらネットサーフィンやらに打ち興じ、... ...続きを見る

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2006/04/14 01:23
都留重人って、あるいは、現代の知識人って
 最近知ったのだが、都留重人って今年二月に亡くなってたのね。享年93歳。合掌。  この世代の知識人といえば、、丸山真男(1914年生まれ)、吉田秀和(1913年生まれ)、そして都留重人(1912年生まれ)、あたりか。それぐらいしか思い浮かばないのかよ、と突込みが入りそうだが、まあなんだろう、この辺りの人たちのとてつもなくかっちりした教養と勉強量と舌鋒の鋭さというやつは燦然と輝いておりますな。最近論壇で活躍している人に彼らクラスの人間がいるのか、というと心寒いように思えてくる。  むろん、これ... ...続きを見る

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2006/04/13 23:39
粗雑な態度をとる「学者」
 以下、差しさわりがあるかもしれないことを書く。昨日いったん投稿しようと思って思いとどまったのだが、やはり言っておくべきことかもしれないと考え直したので。 ...続きを見る

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2006/04/07 03:44
学者だったら書きなさい
 今回の記事では思い切り口はばったことを書きます。 ...続きを見る

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2006/04/05 03:35
困った「憂国の士」
 憂国の士や組織の将来を憂える人々の中にはさまざまなタイプがいる。困るのは、一見全体のため、他人のためを思って行動や発言をしているように見えて、他人を見下したいだけである人々だ。  具体例を挙げるなら、たとえば近年の宮台真司などはそうではないか。最近彼の本は立ち読みでしか読まなくなってしまったが、その文章は一見紳士的な叙述を通しているようでいて行間からは「全く愚民ども、俺の言うことを聞いていれば間違いないものを」という傲慢で人を馬鹿にした態度が読み取れる(彼の発言そのものを取り出せば首肯できる... ...続きを見る

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2006/03/24 10:11
中島秀人『日本の科学/技術はどこへいくのか』
 話題(?)の新刊である同書(岩波書店)を購入、読了した。同感のところもあれば、反感・疑問を感じるところもある。数年前の純真な青年であったころはこうした本を読んでも素朴に受入れてしまったことが多かったのだろうが、数年の間に、尊敬に足る先生や友人と出会って影響を受け、また自身でも幾分か研究と呼べなくもない仕事を行ったりする中で、研究を専門として行うとはどういうことか、実証研究はいかに行われるべきで、どのような意味があるのか、といったことについて考え、少しばかり自分の考えめいたものも出来上がってきた... ...続きを見る

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2006/03/22 23:28
われわれの世代って?
 時々、自分たちの世代の特徴のようなものはあるのだろうかと考えることがある。世代論なんて、戦争や革命のようなよほどの事件でも起こった時代ならともかく平時では大して説得力を持つ議論にはならないだろうと思いつつも、いやそれでも青、年期の共通経験がそれなりに人間集団を一定の性格類型・思考パターンに追い込んでしまうことはなくもなかろう、とも思うのだ。  私は1979年生まれ(そう、世界史上いろんな事件が起こったあの年だ)で、いわゆる団塊ジュニア世代よりは少し年下、といったところだ(両親は団塊の世代だが... ...続きを見る

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2006/03/08 01:05
英語の覇権はいつまで続くか
 親しい日本史研究者が英語で日本史のレヴュー記事を書かねばならない羽目に陥っているらしく、憤慨している。「日本史を研究しているのなら日本語で読め! 米帝学者どもめ!」とのこと。  英語で読むのは何もアメリカ人ばかりではないと思うのだが・・まあそれはともかく、現代はどんな学問分野をやるにせよ英語との関係は切りたくても切ることができない。よく知られている「理科系」諸学問や人文諸科学の場合だけでなく、日本史の分野においてすらそうなのである。19世紀ー20世紀前半の英国の強国としての地位、そして20世... ...続きを見る

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2006/03/05 10:46
 自分探しなんぞはやめたまえーノルベルト・ボルツに賛成
 ノルベルト・ボルツ『意味に飢える社会』(村上淳一訳、東京大学出版会、1998年)を最近、手持ち無沙汰なときにちらちらと読み返している。基本的に気に入らない。この気鋭のメディア論者の言うことに、自分の脳みそが全くついていけていないのが悔しい。ゴダールの映画に接したときと同様の気分だ。  そうはいっても、全編がちんぷんかんぷんというわけでもなく(そうであれば専門分野の必読文献でもないこの本、とっくに投げ出していただろう)、ところどころよくわかる言葉もある。たとえば次の物言いには深く賛同した ... ...続きを見る

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2006/02/23 03:16
平和を本気で願うのならば・・(その2)
 この話題に関してはしばらくかけて考えをまとめてから大論文をうってやろうかと思っていましたが、「9条守りたいね」さんからコメントをいただいたことだし、このコメントに間接的に答える形で、部分的な話から始めようかと思います。まずは外堀から埋めていこうか、というところで。 ...続きを見る

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2006/02/07 15:10
平和を本気で願うのならば
 昨日の記事はこまごまとした修正が多くてすみませんでした。やはり飲んだ勢いでああいう大きな記事を書くのはよくないな。 ...続きを見る

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2006/02/01 21:21
皇室は存続すべきか?
 皇室典範の改定問題が世間を騒がせているらしい。皇室の正統性を保つためにはいかにすべきや、といった議論である  第二次大戦終了時にも皇室をどうするか、という問題はあがっていた。ただし日本国民の間からではなく占領軍の間からであるがー結果はご存知のとおり、昭和天皇の戦争責任は問われず、退位も要求されなかった。天皇制の正統性(削除2006/2/1)は保たれたし、それどころか戦争責任の追求そのものが、ドイツの場合とは違って不徹底なままにしておかれた。むろん、戦後日本占領の責任の大部分を引き受けたアメリ... ...続きを見る

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2006/02/01 03:57
去年、自分の中で何が変わったか
 年が明けて二週間もたつのに今さら去年のことを言うなど、わが国の慣習には反しているが、自分の内面で何が変わったか、について少しばかり書き留めておきたい。 ...続きを見る

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2006/01/17 23:17
陰謀説を振りかざすものは愚か者である
 ある人間が天下国家に関する意見を述べているとき、彼または彼女が正当な判断力を備えた人間かどうか、簡単に判定できる方法が一つある、と私は信じている。その方法は、「陰謀説に寄りかかっているかどうか」を検討することである。いやしくも天下国家を論じるにあたって陰謀説に寄りかかっているような人は、論理的で責任を持てる意見の持ち主ではないから、そんな人の「議論」は無視してよい。  アメリカの陰謀、ユダヤロビーの陰謀、コミンテルンの陰謀、中国共産党の陰謀、等々、世間にはそんな三文スパイ小説まがいの「陰謀」... ...続きを見る

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2006/01/13 23:24
後輩の悪口は禁じ手である
 私は特に道徳的に厳格な人間ではないと思うが、それでも、やってはいけないこととして自ら禁じていることがなくもない。そのうちの一つが「陰で後輩の悪口を言うこと」である。ここでいう後輩というのは年齢関係なく、自分のやっていることと同分野のことを手がけていて自分よりもキャリアの浅い者、という意味で言っている。私の場合なら学部時代のサークルの後輩や、同じ研究室に属している修士課程までの学生、がそれに相当するだろう。  このブログのようなオンラインではもちろんのこと、実際に誰かと話すときにも、後輩の悪口... ...続きを見る

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2006/01/09 22:51
ウクライナのことは他人事ではない
 ロシア/ウクライナの「ガス戦争」について何か言おうとして、数日前このブログの中でもそう予告したが、ロシアの新聞記事などを読んでも真相は何がなんだかよくわからない。事情通でもない身としては、下手な論評は避け、このできごとから得られた漠然とした感想を述べるにとどめようと思う。 ...続きを見る

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2006/01/08 23:24
「女は愛情のバケモノである」by太田光
 大晦日、祖母宅でテレビを見ていたら向田邦子を扱った番組をやっており、爆笑問題の太田がゲストとして色々発言していた。向田邦子から始まった話は自然と男女の関係一般についての話題に発展し、大変興味深かったのだが、中でも太田の次の発言は印象に残った ...続きを見る

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2006/01/04 12:19
ロシア/ソ連は「あくなき南下政策」をとっていたか?:藤原正彦『祖国とは国語』を読んで
 藤原正彦の『祖国とは国語』(新潮文庫)を購入、帰省中の新幹線の中で読んだ。藤原さん、最近『国家の品格』なる本を出してこちらも売れているようだが、いかにも右翼の好みそうなこのタイトルは避けてこちらの文庫本を買った。私は以前からこのアツい数学者が書くもののファンだった。  本の内容は新聞コラムが中心で、憂国の調子のものが多い。藤原さんは極めて健全な愛国者であって、偏狭で排他的な国粋主義者ではなく、バランスの取れた観点を持った人だ。収められたコラムの主張には激しく同意したくなるものが多い。小学校に... ...続きを見る

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2005/12/31 17:11
空間の概念史を教育すること
 物理学史と、空間をどう捉えるかという概念史とは密接に結びついている。デモクリトスの自然哲学体系などは原初的思弁的なものだったにしても、近代科学の成立過程においても、デカルトやニュートンの自然哲学体系の創設において、あるいはファラデーらによる電磁気学の創設発展において、空間概念をはっきりさせるということが主要な成果あるいは目的の一つとして意識されていた。20世紀に入っても、アインシュタインによって提唱された時空概念の融合を経て、重力場の観念の定立、場の量子論の提唱と発展、に至るまで、物理学の基礎... ...続きを見る

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2005/12/26 20:21
言語運用
 ロシア語を読んでいると、かの言語の文法構造の緊密さに驚嘆せざるを得ない。おそらくロシア語は、数多いヨーロッパ言語の中でも古典語の複雑な文法構造の色合いをもっとも濃く残している言語のひとつであろう。名詞・形容詞の格変化が豊富で、語と語の間の関係が常にはっきりしているので、複雑だが明快な構造の文章を作ることが容易になっている。  言語は思考を規定する、というのはおそらく本当で、母国語での語彙や言語運用能力を高めることは思考の繊細さや厳密さを高めることと密接に結びついている。その意味で、口語として... ...続きを見る

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2005/12/21 23:59
大陸国家を理解する
 中国との関係をどう築くかはますます日本にとって焦眉の課題になっている。東アジア共同体の構想における相違や、靖国問題、領土問題、等々、軋轢と不協和音はいたるところに見られるが、経済面、文化面での交流の活発化はもはや止めようもないし、今後もこの傾向は増大する一方であろう。好むと好まざるとにかかわらず、われわれはこのプライドの高い大国とつきあっていかねばならないし、軍事面でも国際政治の面でもアメリカに頼ることしかやってこなかったがゆえに起こっているさまざまな問題を解消するためにそれは必要なことでもあ... ...続きを見る

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2005/12/16 20:28
同業者の皆さん!
 このブログでは、あまり引用はしないー印刷されたものからであれ、ネット上からであれ、ーことをモットーにしている。稚拙であっても自分の言葉で正直に語ることこそものを言う際のルールだと考えるからだ。引用は自説の補強や自分が話題にしたい事柄の題材として使う場合にのみするべし。 ...続きを見る

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2005/12/06 09:36
大学院博士課程は職業意識(プロフェショナリズム)の植え付けこそ重要では
 博士課程三年目にもなると、具体的に将来のことを考えたりする。私は基本的にはうかつな人間で、如才ない振る舞いもできないし、今まで専門家として身を立てることこそが最重要だと思ってどちらかと言うとわき目振らずに勉強してきたが、時にはわが身の行く末や、自分の分野ひいては学問全般のこの国での扱われよう、に対して思いをめぐらしたりもする。大学院生問題に関して少し調べたり耳を傾けたりもする。  ポスドク余ってさあ大変、国家はちゃーんとしましょうね、という議論は近年はあちこちでみられて、まあこの問題に対して... ...続きを見る

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2005/12/01 22:08
「中進国」の悲惨
 人間の歴史あるところ、国家の栄枯盛衰がある。覇権争いがある。俺が一番だということを示すために諸国家は軍事力、経済力、文化水準を持ち出して互いに争う。中でも20世紀には帝国主義の張り合いが飽和点に達したことでこの争いが極端な形を取り、莫大な人命が犠牲にされてしまった。 ...続きを見る

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2005/11/30 21:26
『非米同盟』
 もう二週間ほど前になるが、田中宇『非米同盟』(文春新書、2004年)を読んだ。どうもこの本の内容が気になるのでちょっとメモしてみます。ここ最近読んだ本の中で一番の問題作だったように思うので。問題作、というのはほとんどほめ言葉のつもりで言うのだが、つまり大変刺激的な本だった、ということです。 ...続きを見る

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2005/11/26 00:40
スターリン時代の大粛清、の犠牲者のことを考える
(23日午後7時台に書いたものです。サーバーの調子が悪かったものでこの時間の投稿となりました)論文を見直し、それを打ち込む。そろそろ、いいかな、投稿しても。英文アブストを作らないといけないが。 ...続きを見る

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2005/11/24 00:13
日露首脳会談
 プーチン大統領が来ている。相変わらず日本側の報道は、北方領土関係で話が進展したかどうかばかりを問題にしている。日本政府の、また一般国民の関心もそれ以外にないのだろう。こうして日露関係は疎遠になるばかりか白痴化する。ロシアからみても日本はまったく単細胞な国のようにしか思えないだろう。やれやれ ...続きを見る

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2005/11/21 19:56
1960年代生まれ
 今社会全体において若手ー中堅どころを担っているのは1960年代生まれ、つまり30代後半から40代前半の人々だろう。言論界でもそうだし、私の分野でもこの世代は結構連帯した、ひとつのまとまりを構成しているような印象を受ける。  60年代生まれの特徴を強引傲慢与太話的にまとめてしまうと、その思想的立場にかかわらず虚無的な言動が目につき、書くものや発言はいささか下品であり、良くも悪くも生活に根を下ろしている、というところだろうか。こうした特徴が形作られるのは、ひとつには、数の上でも思想的にも彼らを圧... ...続きを見る

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2005/11/19 12:30
「学者の保身」
 何週間か前だが、野田正彰という精神科のお医者さんが新聞紙上に発表したコラムを集めた論集『なぜ怒らないのか』(みすず書房、2005年)を読んでいた。まあ、良識派の方である、揶揄して言うのではなくて。  その中に「学者の保身」というコラムがあった。一部引用する ...続きを見る

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2005/11/12 14:03
ネットと言論の自由
かつて冷戦華やかなりし頃、西側諸国はソ連には言論の自由がない、としてさんざん批判していた。これはよく知られたことだ それに対してソ連のほうにも言い分はあった。西側諸国の言論の自由といっても、力のあるもの(ブルジョアや有力民族)が好き勝手にメディアを操作できる状態での自由など、まやかしに過ぎない。本当に言いたいことがある人の声は結局届かないではないか。すべての人に発言の平等を与えるためには、まずは階級のような力関係をなくさなければどうにもならない。 ...続きを見る

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2005/11/12 13:24

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