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科学史、音楽、露西亜、そして、、、
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ロシア史研究会年大会(10月22日‐23日)

2011/10/19 19:13
 ロシア史研究会が年に一度開催する大会が、来たる22日、23日に青山学院女子短期大学で開催されます。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jssrh/taikai/index.html
 個人的には瀧口順也氏(北海道大学スラブ研究センター・非常勤研究員)の「ボリシェヴィキ党大会(1927−1934):スターリニズムの演出と舞台装置」とオルガンコンサート(爆)に着目しています。瀧口氏には2007年夏にモスクワでお会いしたが、研究にかける熱意に圧倒された記憶が。
 あと、来週頭の授業で日露戦争の話をすることだし、日露戦争関連の報告も聞き逃せないですな。

 そういえば、青山学院女子短期大学というのは、非常勤含めて4人(5人だったか)の、科学史を専攻する先生が教えています。科学史技術史教育が異様に充実している短大としても知られています(知られているのか?)。
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ジョージ・ソロスはこんなヤツだった―ある科学史家の回想より

2011/10/15 23:42
 ハンガリー生まれの投資家・慈善家であるジョージ・ソロスが、ウォール街での格差社会反対デモを裏で支援しているという話があるそうだ。 (ロイター通信記事
 米国でもかなり上位に名を連ねるという大富豪にして、格差社会への反対者とは、何とも奇妙ではある。このソロスという矛盾した(ように見える)人格について、米国の高名な科学史家(ロシア・ソ連科学史が専門)であるローレン・グレーアムが回想している。グレーアムは1990年代前半、崩壊後混迷を極める旧ソ連の科学・技術を援助する、ソロスによって設立された資金の顧問を務めていたのだ。この種の基金はいくつかあったが、ソロスがこの領域に進出するや、ほかの米国の基金はその存在がかすんでしまった。それほど、ソロス基金から供出された援助は莫大なものだったらしい。

 グレーアムによればソロスは「子供のころから黙示録的な幻想にとらわれていた」複雑な人格の持ち主であるという。「こうした幻想を制御こそしたが抑え込むことはしなかったということもあり、彼は史上最も成功したヘッジファンドのマネージャーとなった」(Loren R. Graham, Moscow Stories (Indiana UP, 2006), 263)。
 ソロスは自らが誤りを犯しうる存在だと進んで認めることができたと同時に、恐ろしく傲岸不遜であったとグレーアムは述べており、そのために耐えかねて顧問を辞そうかと思ったこともあるほどだったらしい。
 ソロスのやり方は時に実に荒っぽかった。1992年、ロシアの科学者の経済的な窮状が伝えられる中で、ソロスは一人当たり500ドルの資金援助を決意し、グレーアムに向かってこんな難題を出したとか。「ローレン、君はロシア科学のエキスパートだろう、旧ソ連で最良の科学者2万人の名簿を提出できないか。」(Moscow Stories , 265)グレーアムは非常に驚愕した―このやり方をとろうと思えば、どうやって最良の科学者を選ぶのか、金をどうやって届けるのか、問題は尽きない―が、ともかく数週間以内にやり遂げたというからあっぱれなもの。
 ソロスの慈善事業はロシアのマスメディアには疑いをもってみられ―頭脳流出を促している、文化的侵略をたくらんでいるなど、当時、ソロスに対する中傷記事が多く見られたそうだ―、彼は傷つき、この分野からやがては撤退していく。グレーアムはこれらの中小は濡れ衣であるとしながらも、ソロスが慈善事業と投資事業との区別をやがてあいまいにしたことについては残念に感じている、という。1996年にはソロスはロシアのある放送局に投資するようになっていった。これ以降、グレーアムも―彼の善意に対する信頼は保ちつつも―彼の基金にかかわるのをやめてしまった。

 グレーアムは次のように書いている。「ソロスの投資家としてのきらめきには、哲学者、利他主義者、改革者としての動機が混ざりこんでいる。あまりに財産を持っているがため、ソロスが行うことはみな、よいことも悪いことも、規模が膨大になり、そして彼のあらゆる特徴―善意、強欲、莫大なエゴ―は、目も眩むほど、大きく映し出されるのだ。」(Moscow Stories , 275)
 強欲にしてはかりしれない善意の持ち主。吝嗇にして豪放。謙虚にして傲岸。資本主義システムにおける最強の勝者の一人でありながら同システムへの反逆者。なんとも、矛盾と魅力に富んだ人格ではある。
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『科学・技術・倫理百科事典』

2011/10/06 17:52
そんな事典が丸善から12月に出ます(出てほしい。はらはら)。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4621083872.html
原典はこちら。私も翻訳に参加しています。主に作業していたのは去年夏なのですが、いろいろあって最近また新たに2項目を訳していました。

いわゆる技術倫理や環境倫理がらみの項目だけでなく、文学者や特定文化圏(言語圏)の人々が科学技術文明をどのようにとらえていたか、特定の政治体制が科学技術にどう対峙してきたか、といった項目も多数あります。
英語圏でこうしたもろもろのテーマについてどのように理解がなされているのかを知りたい人にはお勧め。逆に、まあしようがないことですが、われわれのような英語圏以外に住む人間にはそれほど興味がわかないような項目や記述もなくはないです。
日本語版の同様の事典が刊行されることに期待します。もしかすると、そういった企画が実現できるかどうかが、我が国の科学論まわり業界のいろいろな意味での底力をみる試金石になるかもしれません。

私の訳したのは以下14項目。もうこれ以上増えないことを祈ります。これだけ多数を引き受けてしまったバカはたぶん私だけだと思う・・・
「ファシズム」「ザミャーチン」「ナショナリズム」「全体主義」「権威主義」「サハロフ」「バナール」「トルストイ」「ベルジャーエフ」「ロシア人の見解」「近代化」「チェルノブイリ」「保守主義」「国家による地質調査」
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講義「科学という文化」明日から開講します@電気通信大学

2011/10/02 20:06
 ネット上ではあまり言っていませんでしたが、今年度後期(10月―3月)、電気通信大学にて非常勤講師として一般教養科目「科学という文化」を受け持つことになりました。受講生の皆様、よろしくお願いします。

 以下が現時点での講義計画です(明日のガイダンスの時に配るものとは若干の異同があります―講義のルールや成績評価等については割愛してます―が、講義計画については変わりません)。
 科学という文化というか、20世紀の科学技術と文化との相互関係、という感じですね。お気づきの点、助言等ありましたら遠慮なく、コメント欄にお寄せくださいませ。

 第15回についてはまだちょっと考え中。

科目名:科学という文化

講義のねらい:

 科学技術の発展ぶりやその内容・成果は、我々の生活・文化に大いに影響してきたし、今なおしている。20世紀には、科学技術がもたらす恩恵と弊害はますます多数の人間、多数の地域に及ぶに至っただ。また、科学技術の発展を受けた新たな芸術作品・思想的潮流が生まれてきたほか、科学技術と社会・国家との新たな関係性の中から、科学者や技術者の行動規範や倫理もまた、問い直されることになった。
 この講義では、上記のような問題に関連する20世紀の歴史的事例をいくつか取り上げる中で、科学技術とほかの人間の営為との関係性についての、受講生の興味を喚起し、理解を深めることを試みる。

講義計画:


・第1回(10/3).ガイダンス
・第2回(10/17).20世紀科学技術と文化―視角
それまでの、あるいはそれ以降の時代と比べ、20世紀の科学技術には、その営為の方法、その成果が科学者・技術者共同体を超えた広範囲の社会的・精神的領域にもたらした影響について、いくつかの特徴がみられる。それはどのようなものだったのだろうか。
・第3回(10/24).戦争と科学技術(1)―日露戦争、第一次世界大戦
史上初めて無線通信機器が利用された戦争として知られる日露戦争、化学兵器・航空機・戦車等の利用がなされた第一次世界大戦の様相を、科学者・技術者の戦争へのかかわりを中心にみてこう。
・第4回(10/31).槌音がこだまする―前衛芸術と科学技術
科学技術の目立った発展ぶりと産業構造の変革は、芸術家たちをも大いに刺激し、20世紀初等に前衛芸術運動をもたらすことになった。イタリアとロシアにおける未来派運動を、絵画や音楽を鑑賞しつつ概観してみよう。
・第5回(11/7).科学者の思想(1)―生命圏、知性圏
地球科学、生物学(進化学説)、人類学等が発展するに従い、科学者たちの中には、時にとして夢想的とも思えるような壮大な地球あるいは人類の現状と未来に関する構想を持つ者も出てきた。ロシア・ソ連の地球化学者ヴェルナツキーと、フランスの人類学者・宗教家テイヤール・ド・シャルダンの思想についてみていこう。
・第6回(11/14).イデオロギーと科学技術―ソヴィエト型マルクス主義の場合
20世紀の新興国家ソヴィエト連邦は、その世界観を科学に立脚し、技術を振興発展させることに(効果のほどはともかく)とりわけ熱心に取り組んだ。マルクス主義思想を受け継いだソ連イデオロギーと科学技術との関連についてみていこう。
・第7回(11/28).戦争と科学技術(2)―第二次世界大戦
史上最大規模の総力戦となった第二次世界大戦では、交戦諸国は科学技術の粋を集めようとした。「物理学戦」と呼ばれることもある同大戦への動員に科学者たちはどう対応したか、主としてソ連・日本の物理学者の事例をもとに考えてみよう。
・第8回(12/5).中間試験 
これまで扱ったトピックから論述問題。興味ある問題を選択してもらい、回答してもらう。持ち込みは可。
・第9回(12/12).科学者の思想(2)―数的調和の夢
20世紀には宇宙論が長足の進歩を見たが、それに取り組むなかで、宗教的ともいえる、調和した宇宙の表象に取りつかれた、優秀な科学者もいた。イギリスの物理学者エディントンらの数秘術的発想について、その源流を探ってみよう。
・第10回(12/19).核物理学者の倫理と行動―オッペンハイマー、テラー、サハロフ
第二次大戦中の原爆開発、戦後米ソの核兵器開発競争の中で甚大な役割を果たした物理学者たちの中には、強烈な政治的主張(さまざまな方向性の)をするに至った者たちがいた。彼らをそうさせたのはなんだったのか、探ってみよう。
・第11回(12/26).戦争と科学・技術(3)―小銃の開発と普及
驚嘆すべき技術上の発想によって作られたが、それが優れているが故に悲劇的な帰結がもたらされた例として、小銃カラシニコフの開発と普及の例が挙げられる。その設計思想と、世界情勢へもたらした影響について知ろう。
・第12回(1/16).核時代の黙示録―文学・映画の表象における
核兵器、「核の平和利用(原子力発電等)」がもたらす厄災について、戦後の思想家・芸術家たちは意識せざるを得なかった。20世紀後半芸術における核の表象について、いくつかの文学・映画作品をもとにみていこう。
・第13回(1/23).科学史・科学哲学の興隆
科学や技術の発展ぶりやその性格づけ等々を扱対象とする学問領域である科学史・科学哲学が興隆したのも20世紀であった。これら分野の発展史を述べたうえで、科学者や技術者にとって同分野がもつ意義について考えよう。
・第14回(1/30).チェルノブイリ―いかにして、なぜ?
最近まで史上最悪の原発事故と言われてきたチェルノブイリ原発事故(1986年)。これが起こった要因はどれほど、ソ連の社会体制の特殊性と結びついており、どれほど結びついていなかった(普遍的な要因があった)のだろうか。
・第15回(2/6).概括と展望 

2/20 期末試験(中間試験と要領は同じ、出題範囲は今期後半のトピック)


 もぐりも歓迎です。月曜7限(19時半―21時)、調布キャンパスA202。
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ニュートリノよ! またお前か!

2011/09/24 23:17
 CERNの研究者がニュートリノを飛ばしてみたところ、光の速度を(ほんの少しばかりだが)上回るそれで目的地に到着してしまった、と、大騒ぎになっている。確かに、これが普遍的に妥当する結果だとすれば、特殊相対性理論の帰結―光速度では物体の質量は無限大になって加速はできないはず―とは矛盾する。驚きの結果だ。
 何かが間違っているのは確かだが、修正されるべきなのはどこなのか、今の時点ではよくわからない。特殊相対性理論そのものなのか、時間・空間に関する我々の観念そのものなのか、あるいは単なる測定器の不備か距離や時間のはかり間違いなのか、あるいは加速や実験条件に関して何かのからくりがあるのか、あるいはニュートリノという物質に関して従来の物理理論の範囲で説明できるような特殊性でもあるのか。
 専門家の判定を待つしかないのだが、ここで思い出すのは、1920-30年代にボーアのおかげでそれなりの騒ぎになった、エネルギー保存則がミクロ世界で破れているのではという仮説だ。この騒動は、原子核から電子が飛び出してくるいわゆるベータ崩壊の過程の前後でエネルギー保存則が破れているように見えた不思議さを、解き明かそうとする過程で起きた。詳しくは私が5年前に書いた論文(注)を参照していただくとして(笑)、エネルギー保存則といえば、光速度が速度の上限であるというのと同様の、いな、ひょっとするとそれ以上の、確実性を持っているかもしれない、物理学の基本法則である(ちなみに、当然のように思われているが未だ経験的には確証されたことがあるわけではない―というより、経験的に確証されるような類の法則ではない―、という点でも、この二つの決まり事には共通点があるように思える)。それが破れているように見え、あの物理学界の大御所ボーアが、ミクロ世界ではエネルギー保存則は敗れているのかもしれない、と言い出したのだから、学会は数年間騒然となった。結局、フェルミによるベータ崩壊の理論的説明が登場してこれが受け入れられる中で、ボーアの思いつきも鳴りをひそめて行ったわけだが。
 つまり、この1920-30年代の話では、従来から正しいと考えられていた物理法則(というか、公準)が正しいことが認められたわけだ。現在に至るまで実際、エネルギー保存則は基本的に正しいものとして認められており、物理理論はこれに矛盾しない形で構成されているはずである。では今回はどうか。100年にわたって正しいと思われてきた特殊相対性理論にもいよいよ修正が加えられるべき時が来たのか。それとも80年前と同じく、単なる騒動で終わり、微修正を加えるだけで済むのか。
 ちなみに、この80年前の騒動で加えられた微修正(「微」というのはちょっと失礼かもしれない、貴重な第一歩だったのだが)の一部は、いみじくも、パウリが提唱しフェルミが採用したニュートリノ仮説であった(ニュートリノのような未発見の粒子を仮定すれば、ベータ崩壊の前後でエネルギー保存則が破れていると考えなくともすむ)。ニュートリノは、その後、ご存じわれらがカミオカンデによる観測により、その存在は確証された。何やら因縁を感じますな。

 現代物理学には、もともと、大きな、説明のつかない謎がある。宇宙に大量にあるように見えるダークマターやダークエネルギーはその一例だろう。これらは、かっこいい名前で呼ばれているが、まあ要するに理論と観測とのどうしようもない矛盾・気持ち悪さが表現されているわけである。今回の実験は、ひょっとするとこうした矛盾・気持ち悪さをさらに助長するものかもしれない。しかし、そこからこそ、我々のこの世界に関する把握の新たな進歩、爆発的かもしれない進歩も、生まれてくるのだろう。ちょうど百年前、どうにも解決のつかない謎が、量子力学と相対性理論の出現を促す大きな要因となったように。
 基礎物理学というのはここ数十年、科学的話題の中ではほかの華々しい領域―特に生物学の―に隠れて存在感が薄かったが、今回の奇妙な結果をきっかけに、また新たな革命・飛躍的発展がこの領域で起こるかもしれず、我々はそれを目撃する幸運に、ひょっとすると恵まれるのかもしれない。まあ、予断は許されませんが(笑)

(注)金山浩司「エネルギー保存則は保存される―1930年代半ばにソ連において行われた哲学論争の再考」『哲学・科学史論叢』(東京大学教養学部 哲学・科学史部会)9号(2007年1月)、65-89頁。
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山荘で共同体の基本原理についてうだうだ考える

2011/08/11 02:29
 軽井沢に避暑に来ている。かつて所属していた研究室の後輩の知り合いがオーナーであるところの、山深いところにある邸宅を、そのオーナーのご好意でしばらく貸していただけている。今回、そのかつての所属研究室の後輩(上述した者とは別の人物)と二人で来ているが、実は7月下旬にも同研究室の人間が大挙して(といっても私を含めて最高5人程度だが)押しかけており、研究室合宿、もしくは研究室の院生ルームをそっくりこの邸宅に移してきたといったような様相を呈していたことがあった。
 珍事件も起こった、なかなか楽しい共同生活であったわけだが、ふもとの町まで車で行くしかない、二人を除いては車の運転ができない、という物理的には孤絶した状況の中にいると、共同体を作って生活するという人間の基本的習性が持つ性格について考えさせられることがある。私が言いたいのは、結局共同体では食料分配の問題が決定的に重要な意味を持っており、これを巡って暗黙のうちに公正さとバランスを保とうと、構成員はさりげなく努力するものである、ということである。いや、これは地方で大家族で暮らしている人などにとっては当然すぎる話かもしれないが、普段、大都会の真ん中で一人暮らししており、食料など気が向いたときに買いに行けばいい、と思っている私にとっては新鮮であった。
 山の中にある邸宅では、もちろん備蓄されている食料の量は一定程度を超えることはない。買い出しに行けばよいのだが、それも、いつでも思い立った時にとはいかない。近所の人たちと食糧を融通しあうほどの関係は築けていない。構成員同士は、研究室の仲間とはいえ、まあ赤の他人であり、お互いに対する無償の愛などは(言っちゃ悪いが)期待できない。この状況下で5人もの人間がいると、だれが調理し、それをどう配分するかが、皆の日常における基本的話題―それも、最重要な―として立ち現われてくることになる。そこでは、今から思えば、自分だけはくいっぱぐれないようにという利己主義に対して、共同生活の秩序と人間関係を壊さないようとする配慮を何とか対置させようと、構成員全員が、日々さりげなく努力していたように思える。「**さん、どうそ**を食べてください」という優しいセリフが食事時になると頻繁に飛び交っていたが、それは、われわれが育ちがよいせいか食べ物にがっつかないということもあろうが(ただし、この点に関しては例外的人物もいなかったわけではない)、共同体の互助的状況なんてものはそうした食料分配に関する配慮を全員が常に示すことでようやく保たれるものである、ということの裏返しかもしれない、と思った。

 ところで、今や収監されてしまった鈴木宗男は、所内で炊飯掛を引き受け、公正な分配が行われているか目を光らせているという。上記のようなことを考えるにつけ、さすが彼は元大物政治家、政治の、ということは人間の共同体を運営していく際の調整の、肝をわかっているなあ、と感心させられる。
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安藤昌益はなぜこの地で

2011/07/13 19:57
 八戸に来ている。ここに来た第一の目的は、江戸時代にこの地で活躍した思想家・安藤昌益の足跡をたどることである。
 昌益の(ちなみに不思議に思うのだが、日本の思想家って下の名で呼ばれることが多いですね。中国の思想家が多くの場合姓名あるいは通称で呼ばれること、近代以降の西洋の思想家がだいたい姓のみで呼ばれること、を考えあわせてみると面白い。)名を初めて知ったのは、90年代に広く読まれたヴォルフレンの著書『人間を幸福にしない日本というシステム』の中であったと思う。ヴォルフレンはこの中で、自由や平等といった概念は普遍的であって西欧に特有のものではないことを示す証拠として、江戸時代に、外国とは隔絶されたところでこれらの理念を育んだ思想家、昌益の名前を挙げていた。この著書の主張はともかく、昌益が八戸という地方においてこの思想をひそかに発展させていたということ、さらには、彼の思想は人間社会に関するものにとどまらず自然にも及んでいた、というよりむしろそこに彼の本領があったらしいことも、私の興味を惹いた。しかし数年間、私はソ連科学史の専門家となるべく博士論文に集中せねばならず、日本を長期にわたって離れていたこともあって、昌益に関する興味は、自ら寝かせておいたままであった。今年になって日本に帰り、旅行する時間の自由も得たこともあり、せっかくだからということで八戸を訪ねたのである。
 八戸の市街そのものには、ここがかつて城下町であったことを偲ばせるようなものは少ない。昌益の家なども現在の繁華街近辺にあったようなのだが、今では見る影もない。しかし、第二次世界大戦後の昌益ルネッサンスにより、この思想家の足跡と全貌を明らかにしようとする人々が多数現れ、また彼ら・彼女らの努力と情熱は並々ならぬものがあったようで、数年前、安藤昌益資料館が八戸の中心街にオープンしている。今日私も訪ねたのだが、酒蔵の一角を借りてのこじんまりした展示場であることが何やら微笑を誘う、貴重な史料―その数は必ずしも多くない―の数々と、今までに著された研究書が多数並べられている、素朴な温かみのある場所であった。今は解説も不足気味でやや雑然としてはいるが、今後、よりまとまった、堂々とした博物館に発展していくことを期待したい―それだけの価値がある思想家であるように思う。
 幕藩体制の中で平等思想等、相当にラディカルに見える考えを説いた安藤昌益を産んだ八戸という土地の特質はどこにあるのか、それを見極めたいとも思ったのだが、鈍才の哀しさ、現代的に塗り替えられた街並みを二日ほど見て歩くだけではとてもその疑問に対する回答は得られなかった。ともあれ、毀誉褒貶激しい、また、発見されてからたかが百年しかたっていないことなどの故に研究者たちの彼を見る目の客観性もまだ研ぎ澄まされていないようである、この思想家のことは、今後も気にかけていこうと思っている。私は当分彼を専門にする気はないが、もし老後という、現代日本では望むのが大変な贅沢となりつつあるものが幸いにして自分に許されることがあれば、それを彼の本を読むことに捧げるのもいいか、と漠然と思っている。
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