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<<   作成日時 : 2006/04/22 21:38   >>

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 終日蟄居。火曜日の発表原稿を書く。現在30枚。もうあまりつけくわえるネタもないかな。分量がこれだけだと経験上45分ぐらいしか間が持たないのでもう少し饒舌になってつけくわえてみたいところだが。
 
 Web日記で書いたことがあるかどうか覚えていないが、修士課程のころから、私は自分の研究を口頭発表するとき、必ず完全原稿(てにおはや挨拶や冗談に至るまで完全に書き記したもの)を準備するようにしている。同業者にこれを言って驚かれたことがあるし、日本語の発表でこれを実践している日本人はあまり見たことがないが、個人的にはこれをやらないとどうも不安なのだ。
 原稿に手を加えて論文にするからか、と思われるかもしれないが、そうしたことは今までは一度もない。口頭発表は口頭発表、論文は論文で、両者の間には文体の違いのほかにも、落としどころ、語り口の差がやはりあり、ときには構成の違いも生じるので、ほいほいと口頭発表を論文にはできない(これについては別の考えをとる人が多いだろうが)。そもそも50枚相当の発表なんて準備するほうも聞くほうもやってられないのが普通ではないか。
 時間の計算ができるからか、と思われるかもしれない。確かに原稿用紙一枚にいくらぐらい時間がかかるか、少し経験をつめばおおよその見当はつくし、前夜までに原稿が完成していれば予行演習を行い音読することで時間を計ることもできるだろう。しかし口頭発表というのは読み上げるという行為以外にもいろいろとパフォーマンスを行うこともあるし、場合によっては枚数だけでは正確な計算はできない。しかも、最近は前夜や当日朝の「予行演習」も面倒なのであまりやらないときている。(黙読しながらのチェックはもちろんやるが。)時間を計るためだけでは、わざわざ完全原稿を作るほどの手間をかける理由にはならない。

 では理由は、というと、何のことはない、私が口下手かつ愚鈍なため、まとまった話を口頭でしようとするとすぐにしどろもどろになってしまうからなのだが(学者の中には何ら原稿を用意せずとも細心かつ大胆な議論の運びを長時間にわたってすらすらと口にできる人がいて、こうした人を見るたびに私はうらやましくなる)、そしてやはり書くことのほうに話すことよりも得意意識がある(自分の口を信用していない)からなのだが、もう少し別のかっこいい言い方をすると、書かなければ地に足のついた思考の躍動はありえない、と思うからでもある。
 思考はほとんどの場合、紙に記す前に出来上がっているものではない。書き、ごちゃごちゃといじくる中で育てていくものである。単なるレジュメではなく、時間をかけて文章の形にすることで、私は自分が何を考えているのか、史料群から何を言いたいのかを「発見」し時に「発明」する。もちろん、書く中で適切な表現も発見され、不適切な表現も削られる。即興がなくなる代わりに、考え抜かれた言い回しが生まれる。表やグラフの編集能力だけではなく、日常言語の運用力が高まる。
 そう考えると、完全原稿を作るのは発表(談話ではない、学術的な発表)を一定水準以上のものに仕立て上げるために不可欠の作業ともいえる。何せ書いてみなければまともな思考はないのだから。

 これから学問の道に踏み込みたいという後輩には、ぜひ口頭発表の前には完全原稿を作成することを薦めたい。私は口下手ではないからいいよ、という人にも、学問は営業と違って(あ、偏見かな)単なる饒舌さが通用しにくい場所なのだから、この面倒くさい作業はやって損はない、それは学者として、ひいては知識人としての思考力を身につけるために必要だ、と言っておく。
 ああ、説教くさくてすみません。。。

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