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zoom RSS 札幌で研究

<<   作成日時 : 2006/08/20 20:47   >>

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 まったりとした研究生活を続けている。図書館に行き、3冊か4冊の気になった本を出してもらって閲覧し、気に入った本はコピーする。読みもする。あまりにも暑いなどの理由で出かける気が起きないときには家でうちわをあおぎつつ読書する。読書すらかなわないような気だるいときにはあきらめて昼寝してしまう。いいんかなこんなんで

 The Social Context of Soviet Science(1980)も今回札幌に来てようやくコピーし、読み始めた本のひとつだ。本の存在は私が研究生活に入りたてのころから知っていた。しかし、大学図書館にもネットを通じての市場にもなく、半ば忘れかけていた。今夏、ポッとここ北大で見つかったのでコピーし、いまさら、読んでいる。本来なら修士課程のときにでも読んでおくべき重要文献だったが、こういうこともある。。
 四半世紀前に編まれた論集だが、総じて各論文の歴史観が公正で陰影に富んでいるのに気づく(平板で退屈な論文もあったが)。昨今もてはやされている乱暴なソ連史の記述(その最たるものが最近邦訳の出たカレル=ダンコースのレーニン伝だろう)とは一味違った奥行きが感じられる。四半世紀たって、ソ連史のレベルはかえって落ちてしまったのか。というより、崩壊後のヒステリックな清算主義的雰囲気が、10年以上たった今でも続いているということか。若い世代に属する私がこれら「世渡り上手の大家」に対してとるべき姿勢は、一言、黙殺、なのかもしれぬ。

 今日はカピッツァの大部の論集を見つけた(1998年刊行、ロシア語)いまさらこうした基本的文献の存在に気づくなど、不明を恥じるばかりだが、東京にいたのでは気づきにくい文献が札幌にいるといろいろと引っかかってくる。札幌が予想以上に暑かったのには参ったが、来た甲斐はあった、というところか。

 夜、これまた札幌に来て見つけた、ヴェルナツキーの内戦期の日記を漫然と読む。ヴェルナツキーはなぜボリシェヴィキに違和感を持ったのか、そしてなぜそれにもかかわらずロシアにとどまったのか。前者については日記を読めばおおよそわかる。彼はあまりにも西欧的でありすぎたのだ。その点、彼とてレーニンとさほど違っていたわけではないのだが、そんなことは知ったことではなかったのだろう。
 後者については、実はよくわからない。論文で今後この問題に触れざるを得なくなったときにはなんのかんの書いてごまかすと思うが、正直、まだよくわからない。この問題を理解するには人生経験が必要なのかもしれない。

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