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zoom RSS 高等教育人事、あるいは、若者にとって住みよい社会

<<   作成日時 : 2009/09/19 05:19   >>

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 モスクワにいらっしゃっているお世話になっている某先生と、数年ぶりにお会いする某先生と会食。学問上の話題も含め、話は多岐にわたった。大変に感じのよい会合だった。

 とりわけ興味深かったのは、1930年前後のソ連で農村が持てあましていた人口=若年余剰労働力のこと。まるで現代日本のニート対策みたいなところでソ連政府が頭を悩ませていたことを知ってなんだかおかしかった。しかしまあ、当時のソ連の農村でくすぶっている連中は職を得られないとなるとすぐさま「向上を求めて」「活発化」する傾向が強かったので、ソ連政府のほうがおそらく現代日本政府よりも対応には苦労したことだろう。いや、都市化・「近代化」を進めるソ連政権を積極的に支える勢力に彼らがなった可能性ももちろんあるわけだが、それがうまくいかなかったときにはさぞまずかっただろう、とも思う。
 若者にとって、現代日本と1930年代ソ連と、どちらが住みよい社会であったろうか?
 何かの拍子で職にあぶれてくすぶる若者、というのは、為政者や保守的心情の持主からすると厄介ではある。しかし、彼らの存在形態は、彼らが生きている社会の問題点というのをかなりあからさまな形で示すものでもある。1930年前後、スターリンらは少なくとも、そうした問題点を意識はしていたのだろう(解決方法があれでよかったのか、という点は別にして)。

 ほかにも、現代日本の高等教育担当者の選別方法に関する話題も興味深かった。1990年代には随分といい加減な人事が行われていた、とか。いや、逃げを打って言えば、本当かどうか私は知りませんのですよ、はは。
 研究教育の現場においては、たぶん、人事というのは極めて重要な(ひょっとすると最も重要な)位置を占める。いい加減な人事というのは是非なくしてもらいたいし、たとえば科学史分野では、流行におもねるばかりの空疎な作品しか出していない、まともな歴史学的な中身・業績のない「人材」に関しては採る前に慎重に考慮していただきたいものですな。
 なに、人格? それも大事だが、研究や教育というのは、人の良さだけで行うものでもないだろう。

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