科学史、音楽、露西亜、そして、、、

アクセスカウンタ

zoom RSS 博士課程を振り返るその三(D2の頃)

<<   作成日時 : 2010/05/21 04:48   >>

面白い ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 3

 早くも本人は息切れしかかっているこの「回顧と展望」シリーズ。まあ、続けられるだけ続けます。やめたくなったらやめます(別に誰に頼まれた仕事でもないですし)。続けてほしい方がいらっしゃればぜひ声援ください。

 三回目の今回は、わたくし金山のD2の頃のことを打ち明けるのですが、前回、話し足りないことがありました。D1(2003年)の十月ごろ、自身も編集委員だったような記憶がある研究室の院生紀要のために、長大な書評を書きました(書評A)。前回エントリーでも名前を出したLoren R. Graham という人の、「ソ連・ロシアの事例から我々は科学や技術について何を学べるのか」という、1998年に出た長たらしいタイトルの本についてです。どうもこの年、私はこのソ連科学史の大御所たるアメリカ人歴史家Grahamにほれ込んでいたらしい(今でもその名残はあり、彼の興味深い本を日本語の翻訳しようかともくろみ、手掛けている。まあ、これについてはまたの機会に)。この本は同年2003年夏ごろに、 翻訳までしながら(!)読んだ記憶があり、どうしても書評が書きたかったのであろう。あのころは純粋だったなあ。
 10月ごろ、紀要編集委員に手渡した書評は、頁数にして10ページ以上のものだったのではないかと思う。まあ自己満足・自分の勉強のために書いたようなものであったが、二人ほどからおほめの言葉を頂いたのはうれしかった。私はこの書評の中で、ソ連ロシアを研究するということは、西欧への対し方という点において実はロシアと共通点ある日本を研究するということでもある、ソ連科学史は日本科学史を映す鏡になり得る、と書いたのだが、それが受けたらしい。これは、今だに、我ながらいいことを言ったと思う。つまり、近代以降の日本歴史について考える際には、どうしても西欧の影響とそれに対する距離感というものを考慮に入れざるを得ず、そのようなことを考える国の代表としては、実は日本のほかにロシアというのがあり、したがって、ロシアを考えるということは日本を考えることに結び付く、逆に言うと、日本を考えるためにはロシアのことを考えるのは極めて有益である(そしてひょっとすると、西欧との関係という問題を考えるにあたっては西欧ばかり見ているような人間は適任ではない)、ということである。
 書評Aは2004年初めに刊行された同紀要に掲載された。10ページ以上の書評という横紙破りの形態が許されたのは院生誌ならではである。そういう意義もあるのだ、院生誌には。

 そんな風にして博士課程一年目は過ぎ去っていった。さて二年目はと言えば
 6月に研究室OBのための会(こんな老害のための組織なぞなくしてしまえ、という意見をネット上で目にしたことがある。はは)の会誌編集部から、「戦争と科学」という枠組みで何か書いてくれ、との依頼を受けた。そこで、ちょうどそのころ調べていた、戦後すぐ、西側の核兵器開発に対してさぐりを入れる要員としてボーアのもとに派遣されることになってしまったとあるソ連の平凡な物理学者のことを書いた(エッセイB)。このエッセイには、人文・社会系の人ならだれでも知っているとある書物の表題をもじったタイトルがつけられている。
 このエッセイは、我ながら、いい文章でもって書かれていた。当時の私には文才があったのかもしれない。(今は…)
 8月初旬には、とある研究会で、STSに対してソ連科学史が何か提供できるものがあるか、というような話を、ルイセンコの話などにからめつつ、した。その場ではそれなりに受けたように記憶しているが、その後、この発表が何かにつながった、というようなものでもない。
 今にして思えば、その頃は、科学史の単なる専門家というのは路頭に迷うのではないか、STSにつながりを持っていなければ自分はこの先生き残れないのではないか、という脅迫観念が今より強く、それがゆえ無理に話を組み立てたのではないかと思う。ちなみに今ではこういった意識は以前より薄らいではいるが、それでも正直、全くなくなったというわけではない。まったく、STSというのは科学史を救ったんだか、落ち込ませたのだか、よくわからないところがある。

 話がずれた。その夏の研究会とほぼ時を同じくして、とある、革命の名を付した研究会で、私は前年の論文Aを基盤にした発表を行った。好評だった。学部時代から参加している同研究会でようやく対等な人員として認められたかと思い、うれしかった。
 ただ、これから述べるように研究の関心が移行したこともあって、以降、私はこのときの発表内容をたいして発展させていない。

 9-12月、語学研修を主な目的としてモスクワのとある大学の語学コースで学んだ。寮で暮らし、この時の生活はまあまあ快適で楽しかった。外国生活というのは私のような引っ込み思案なタイプの人間にとってはハードルが高いものだが、かろうじて乗り切れたと思う。
 実際のところ、勉強以外の目標もあった。当時25歳になっていた自分としては、青春めいたことをやるこれが最後のチャンスだ、という気がしていた。この予測は妙な意味で外れたのだが、今でもあの頃のことを目を細めて思い出すことはある。
 この秋、モスクワで初めて私は本格的な現地調査に乗り出した。ロシア語学習やら遊びやらに気を取られて、なかなか時間を取れなかったが、それでも文書館・図書館にときどき通っていた。その中で、自分のテーマに関しておそらく今までだれも指摘していなかった歴史的要因を示唆する、一次資料をレーニン図書館で発見した。
 12月に帰国後、研究室の院生誌に向けて、私はこのネタを一つの論文に昇華させるべく、一ヶ月奮闘した。そう簡単にいった作業でもなかったが、ともかく、2005年1月下旬、私は原稿(論文B)を仕上げ、編集部に手渡した。これは、自分が(ささやかながら)はじめてオリジナルな歴史学上の成果を出せたと感じた時、すなわち自分の学者としての芯ができつつあると実感した時であった。

(このエントリーを書いて推敲のために読み返してみて、回顧というものをする時、たがが数年前のことであってもずいぶん人は身勝手になるもんだな、美化するもんだな、と感じている。実際は私の大学院生活は、こんな、成功に次ぐ成功のようなそれであったためしはないはずだ。しかし、これ以上のことも今書けそうにないので、とりあえず、さらしておく)

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
 なんだ、「女性関係」のではなく、研究経歴の回顧と展望かぁ・・・(笑)

>青春めいたことをやるこれが最後のチャンスだ

↑あんたはまだまだ「青春の現役」です。安心しなさい。

 それはそうと、科学史のみならず、19世紀初頭以降の日本の歴史(幕末〜現代)において、ロシア〜ソ連の影響って、滅茶苦茶重要。幕末・明治期の日本の支配層は、日露戦争までは大国の1つとして、しばしば畏怖の念とともに常にロシアが頭の中にあったし、ロシアを負かして一段落したかと思ったら、今度は革命によって、ソ連はまたもや日本に多大な影響を及ぼす。

 こういう基本的な事実にもかかわらず、日本の歴史を研究する人のなかで、ロシア語・日本語両方の史料を駆使している研究者って、ほとんどいないのね(ロシア研究の人が日本語史料も活用、ってのはちょこっといるんだけど)。「日露戦争を研究しています」って人が、ロシア語ができなかったりね・・・

 前にも言ったと思うけど、今は科学史研究者として立場を確立することで大変だと思うのだけど、いずれ余裕ができたら、科学史に限定せずに活躍してもらいたいです。君は日本史専門家ではないけど、そんなこと全然大目に見てもらえるくらい、日露・日ソ両方の史料を活用できる人が稀なので! 
ひら(Cl)
2010/05/21 08:28
文系の(とまとめるのはどうかと思うのですが)大学院の内情は判らないので面白いです。
私の専門は化学です。修士までは結構勉強していました(が、投稿論文は無し)。
博士二年目で一年間休学してバイクで日本一周したためか、博士の後半は実際ダラダラと過してしまい、結局教授のお情けと幸運でなんとか規定+1年で博士号を取得しました。理系はとりあえず学校行ってれば取れてしまうのです。
それでも、今までやった仕事はほぼ全て学生時代に勉強した内容でこなしているので院に行っておいて良かったなあ、とは思っています。
kitayamatakeshi
2010/05/21 11:52
>ひら氏

女性関係の懺悔はこういう場ではまだちょっと笑 あと40年たてばあるいは別かもしれませんが。

ここだけの話、実は私、今後数年間の研究計画のうちに、20世紀半ばのソ連から日本への思想的影響の究明、というのも含めています(本格的な調査・研究は日本帰国後、ということになりますが)。
最初はとりあえず、自然科学者連中が研究対象ですが、そのうち人文社会系の知識人たちについても調べ出し、うまくいけば日本思想史業界に打って出るかもしれません。乞うご期待。

>kitayamatakeshi
あれなんですよね、文系の多くの分野では、博士課程に進学した時点で相当な悲壮感が伴うのではないでしょうか。とうとう、後戻りできない魔の道に足を踏み入れてしまったか、普通の就職なぞない、あとはこれで行くしかない、という。
逆に言うと、そういった悲壮な決意を伴わずに、他の道もまだあるんではと思っているようではそもそものスタートラインに… というのはひょっとすると私の偏見かもしれませんが。
近年、余剰博士問題に対し、アカデミック以外の選択肢があることに博士(博士課程生)自身の注意を喚起するべき、という声もありますが、どうも私は、もろ手を挙げては賛成できません。それはつまり、腹をくくらなければそもそも専門家としてものにならない、生き残れない、という、人文社会系の大学院に身を置いてきたからかもしれません。
何だか舌足らずですね。我ながら、説明不足だなと思います。機会があればこのブログで、正面切って論じてみたいです。
kanayVc
2010/05/22 04:56

コメントする help

ニックネーム
本 文
博士課程を振り返るその三(D2の頃) 科学史、音楽、露西亜、そして、、、/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる