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zoom RSS 霧のモスクワから―あるいは、世界で最も地獄に近い都市

<<   作成日時 : 2010/08/10 03:08   >>

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 原爆記念日に東京からモスクワに飛んだ。一ヶ月半ぶりのモスクワは、なんだか薄汚れて見えた。
 いや、比喩ではない。文字通り、現在のモスクワ(だけではなくヨーロッパロシア全域)は、酷暑とそれによる森林火災のせいで煤煙に覆われているのだ。百年ほど前、工業化の進展とその功罪が著しくみられる英国を象徴するのに「霧のロンドン」という皮肉な表現が用いられたことがあったと聞くが、現在のモスクワは、まさに文字通り霧にむせんでいる。「霧のモスクワ」から、私はこの記事を書いている。
 暑さもひどい。日中は35度を超える。それぐらいなら日本でも、と言われそうだが、考えてもみてほしい、北国では住居等に暑さへの対策は施さない。空調なども一部の富裕層の住宅(ある種の日本人の住宅も含む)や高級レストランを除いては備え付けられていない。もちろん、私のアパートにもそんな便利なものはない。いきおい、やむを得ず窓を開け―そうしないと気密性が素晴らしいこちらの住宅では室温は上がり放題なのだ―、やむを得ず煤煙を吸い込み、やむを得ずマスクをし、やむを得ずふき掃除に奔走する、という、そういった塩梅になる。
 あるニュースによると、煤煙に含まれる有害物質は一日でたばこひと箱分に相当するとか。むべなるかな。時間帯により差はあれど、ひどい時には―今がまさにそうなのだが―室内にいてもなんだかむせかえるようだ。

 到着の翌日、土曜日が最もひどかった。日中、やむを得ず買い物のために外出した。長期間家を空けた後であり、買い物には行かないと飢える羽目になるからだ。視界は百メートルしかないとニュース等で言われていた。いくらなんでもそれは大げさなのでは、とお思いになるかもしれないが、実際に見てきた私の感覚では、これは本当である。モスクワは、繰り返すが、霧にむせんでいたのだ。気味の悪い黄ばんだ空の色、本来快晴のはずなのに煤けてしか見えない太陽。そのように太陽は機嫌悪いのだが、それでも容赦なく気温は上がっており、暑苦しく、埃がねっとりとまとわりついてくるような不快感を覚える。この街には元来はこれでもかというほど住人はいるはずなのに、真昼間でも人影もまばら。この黙示録的風景の中、30分も戸外にいると目が痛くなってきた。南太平洋の島々の観光パンフレットなどによく「天国に最も近い島」などというのがあるが、それをもじって言えば、今現在、世界で地獄にもっとも近い都市がモスクワなのではないかとすら思える。いや、これはもちろん、半径百メートルしか見ていない人間の観測の偏りに起因する言葉である、としても、だ。

 ちょうどこの日、日本から持参した本、栗生沢猛夫著『ロシアの歴史』(河出書房新社、2010年)をざっと読んだ。これはロシア史に関するあくまでの入門書であり、私が全く知らなかったような知見がとりたてて含まれているわけではなかったのだが、あらためて、このロシアという国がそのたどった歴史において恐ろしいほどの負荷を抱えていることを思い知らされた。幾度、この国を外敵が襲ったであろう? そもそもこの国の人々が生存のために戦わねばならなかった自然条件の厳しさはいかほどであっただろう? 統治のまずさと内紛により、どれだけこの国は呻吟しなければならなかっただろう? 広大で雑然とした国土を防衛し、民族対立の疑心暗鬼に応対するために、どれだけの代償を払わねばならなかっただろう? そして今また、ロシアは突発的で奇妙ではあるが対処せざるを得ない試練を突き付けられているのである。この歴史と現状を見るにつけ、たとえロシア人ならずとも、たとえキリスト教徒ならずとも、世界の苦悩を一身に引き受けているのはまさにこのロシアなのではないか、という非合理的な考えに惹きつけられかねない。
 言うまでもなく、ロシアのこうむった苦難は―今のそれも含めて―単なる天災ではなくこの国の人々自身が引き起こした人災である。それでも。
 私なぞは、あくまでその気になれば逃げだせる外国人に過ぎないのだが、この国の歴史と文化に敬意を抱く人間として、せめてまねごとであろうともロシアが背負っている苦悩を今のところだけは共有しようかと思う。(この考えに含まれている多くの非合理性は承知の上で。)同時に、ここが肝心なのだが、ロシアに比べてはるかに諸条件が恵まれている国―たとえばわが祖国日本―の人々が、まるで自国が今現在危機に瀕しているかのような被害妄想的言辞を振り回すのを聞くときには、ちょうど正反対の野郎自大的言辞を聞くときと同様の、反感をおぼえざるを得ない。卑近な言い方をすれば、「お坊ちゃまのぜいたくな世迷言」と思えてしまうからだ。

 ところで、予報では、今週中はモスクワでは暑さにしても煤煙にしても事態の改善は見こめないという。思うに、おためごかしを言わない、というのはロシアのニュースの特徴かもしれない。これも、あまりにも苛烈すぎる歴史―事態が何か改善に向かう、ということがとても信じられないという観念が植え付けられるほどの―のせいだろうか。このような傾向については、「現実に対する厳しい見方が培われている」、とも言えるし、「あまりにも悲観的すぎるために未来への見通しが立たず、そのために事態が悪化する悪循環を招いている」、ともいえよう。いずれにせよ、この国の余りにも痛ましい歴史に、今、またも新たな1ページが加えられようとしているのは確かなようだ。

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